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ヒッチハイク

今回の短編は、「ヒッチハイクしてみたいな...」と思いつつ書いたフィクションです。

良ければ一読ください。
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 ながくヒッチハイクがしてみたかった。

「来週の休みはヒッチハイクに行こう」と何度おもったことだろう。

 そして、ついに何十回目の、その思い付きを僕はようやく実行する。

 ただ、その段に差し掛かるにつれて、次第にぞっとさせられるような気がした。
 他人の車に乗り込んで、どこの誰だかわからない人に自分の目的地まで運んでもらう?

「まさか、そんなことが本当にできるのか...」

 ヒッチハイクを経験した友人たちはその面白さと、「ただ目的地を最短で目指す」という事の物足りなさを語る。
 だから、僕は一旦目的地を失って人として、

「どこでもいいから連れて行ってくれ」と言おう。

 それがいかにスリリングで馬鹿げているのか体験しに行くのだ。

 ヒッチハイクというのは不可解で、そのドライバーがなぜ乗せてくれるのか、見たことのない道を本当はどこへ向かっているのか断言できないわけだが、できるだけ肩の力を抜いて相手任せにしてみようと思う。

 ヒッチハイカーは本来的に何の選択権もないのだから、ドライバーが各サービス・エリアに必ず止まって、1時間にも及ぶお手洗いをしたとしても、何の文句も言えたものじゃない。

 僕の初めてのヒッチハイクが、そんなドライバーと共にあるとは考えたくないが。

 もし、そういうドライバーに当たってしまった場合は

「できるだけ簡易なSAに、必要な時にだけ止まってほしい」と、助手席から言うだろう。

 そして果たして目的地につけるのか、それが不安でならない。休日は2日しかないし、あまりSAで時間を食っていると、会社に遅れてしまうかもしれない。

 スーツなんか着て、「あのヒッチハイカーはいったい何なのか?」と思われないだろうか。

 ヒッチハイクを経験したことのない友人たちは「お前は正気じゃない」と言う。
 でも、僕は一応目的地を持った人として、

「『どこでもいいから連れて行ってくれ』と、言ってみるだけだ」と言う。

 そして、会社に間に合わなそうになったらもちろんタクシーを使う。

 自分は正気だと言っているわけじゃなく、むしろその逆。

 正気であるはずの自分が全く正気の沙汰ではないことに巻き込まれている、と思うんだ。

 そのことが後になってはっきりとしてくる何度目か(たぶん2度目)で、僕はようやく信頼のおけるドライバーに出会うのだろう。

 後になって自分を振り返ると、その時の恐怖と焦りが、僕を今につなぎとめていることがわかるはずだ。

 その言い難い不安が、僕を目的地まで運ぶドライブだったことが分かる。

 とにかく、1度だけではなく、2度目以降のヒッチハイクでしか、それはわからないだろうから。

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