41歳になりましてん

 文章を書くという行為から離れてかなりの年月が過ぎ去った。

 元々は情念のみノーテクの文章をぶちまけ倒し型社会に噛みついてる風どうしようもない与太郎アカウントだったのにだ。

 2022年10月3日で41歳になった。恐ろしい。少し前まで陰毛も生えそろっていなかった気がするしPS2を買った喜びで失禁しかけたりしていたはずなのに。思い返せば10年前に声優を辞めた。元声優と自称するのもおこがましい年月が流れてしまった。
 声優を辞める、それは未だに呪いとして心身に刻みついている。

「その道から逃げた」

 その呪いに囚われ動けなくことが多かった。社会人をやっても可愛いお店を運営している時も心のどこかで「俺はあの世界から逃げたチキンボーイ(30代中年オヤジ)なのである」のマインドが立ち上がり、ただなんとも言いようがない不安と虚無が到来して心の草花を腐らせにくるのだ。

「そういえば最近は呪われていない」

 そう感じたのは二年前くらいか。人生の逃亡を繰り返し、巻き起こる由なし事を諦観アフター抱きしめで虚無ってるボーイ(40歳手前)として過ごしていた時だ。
 世間はコロナなる伝染病によりアタフタしていた。客船が入ってきてドカっと広がり、新宿区大久保から外国人が激減し、どの飲食店も青い顔をしていた時だ。

 多分に漏れず私も地獄オブヘル。毎日カレーを作り、8~9割廃棄するゴミ製造業者としてのスキルが高まってきていた頃だ。
 必死に毎日を何とかしようとしていた。Twitterで発狂をしてみたり、レシピの改造を試してみたり、普段スパイス類を仕入れるお店のネパール人にご当地レシピを教えて貰ったり。簡単にいえば忙しく、ただただ必死に心を亡くして足掻いていた。

 呪い、それは暇な時にやってくるのだ。社会人をやっている時は完璧に呪いが極まっていた。なぜなら暇だからだ。仕事は8時間程で終わり、プライベートで「俺は何をやっているんだ」と考え、それが仕事にも影響してくる。別に「わしゃ元声優やぞ!こんな仕事やっとられるか!」などの思い上がりファッキン思考をカマしていた訳ではない。ただただ燃えないのだ。

 夢を叶える為に必要なことは未来を燃やして進むことだ。

 そんなことを考えながら声の仕事をやっていた。声のキャリアが伸びる度に社会復帰のチャンスが遠のいていく。毎日、毎分、毎秒、周りにいる同年代と差が付いていく。20代の時は合コンで「声優やっちょります~!」と言えばそこそこウケが良かったが30に近づくと「夢を追えてて良いね~」と羨まフェイク罵倒が待っている。
 そして31歳、サーテイーワン無職リームの完成。すべてを芸事に注入してきたと宣っては来たが、そんな物は社会生活では屁のツッパリにもならんですよ。焼いて燃やしてガンガンくべる。燃やした未来の行き先は当たり前だが焼野原。

 そんな生活からも逃亡を決め込む逃げマスターな私はカレー屋をはじめた。これはいろんな偶然が重なってのことではじめたのだが細かい部分は文フリで販売した本(残り2冊・非売品)に詳しく書いたのでガン省き。

 そう、41歳になったんですよ。これで大阪に住んでいた期間よりも東京で過ごした期間の方が長くなった。わしゃ堺っ子の血を持ちながらトーキョーボーイとして過ごせるようになったんや!たこ焼きよりもんじゃ焼き!好き!豚肉の肉じゃが~!

 カレー屋になってからは呪いのことを考える暇がなかった。ただただ毎日の売り上げに追われ、事務作業に追われ、付き合いに追われ続ける。週休二日でやっているが結局仕込みで1日休みがやっとだ。自由を求めて自営業になったのに自由が減るとはどういうこと?どちてどちて~?
 とはいえそんな激烈な毎日を突き進むことができているのは毎日来店してくださるお客様のお陰だ。毎日お客様に向き合い、調理に向き合うことでやっと解呪できた。

 過去に囚われ、理由を付けて逃亡するなんて暇だからできていた。今はそんな暇じゃない。余裕がないという方が適切かもしれないがそれはそれで良いと思える。

 この一年の抱負や生き方を考えてはいるが、そういうのを決めてもその通りにいかないのは見えている。一日一日が無事に終われば良い。それをしっかりとやれるようになった後、余裕ができて呪いが再度忍び寄ってきた時に、もう一度呪いを遠ざけるアクションを起こせれば良い。

 現役で働ける時間が人生の半分以下になってしまった。普通の社会人の半分以下しか働いていないのに。そんな負い目も引け目もしっかり感じながら相変わらず生きていきます。カレーが新たな呪いとして作用するまでに。それが人生にとってのスパイスになるは知っている。

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