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世界が「自然体」になる~すずめちゃんのプロフィール~

こんにちは、すずめです。

「世界が自然体になる」ことを目指して、ひとりひとりと向き合い、その方が「自然体」で生きれるようお手伝いしています。

以前は、人とうまく関われなくて、自分のことも好きになれなくて、死んだように生きていた時期すらありました。

お蔭さまで今は、100セッションを超えるご相談に乗ったり、仲間と濃い関わりをもって夢を叶える日々を過ごしたり、という毎日を送っています。

今回は、わたしが「自然体」でいられなかった頃から、「自然体」で生きはじめ、「自然体」の未来を描き歩き始めたお話をご紹介します。


機能不全家族と吃音

桜が満開の深夜、わたしは生まれました。
翌朝、淡いさくら色のトンネルを、父ははやる気持ちでくぐり抜け、病院に駆けつけたそうです。
ふたりの流産を経て初めて恵まれた待望の第一子、それがわたしすずめでした。

でも、両親は不仲でした。
いわゆる機能不全家族です。

お皿を投げたり怒鳴り合ったりといったことが一切ない代わりに、母が父に無視を決め込む、ちょっと機嫌が悪くなると物に当たる、凍りついた空気感で満ち満ちた家庭でした。
なので、わたしはとても緊張しいです。

緊張感のある場がとにかく苦手です。

可能であれば緊張する場から立ち去り、そもそも関わらないようにしました。
それが無理な場合は、逆に、ぐっと近づいて、テンションも上げて、消耗してしまうこともしばしば。
反射的にそのような関わりになるので、その後ダウンしてはじめて気がつきます。

とにかくささいなことに敏感で疲れやすい。
典型的なアダルトチルドレンであり、ADHD&ASDの自覚もあります。

小さい頃から発想が独特で、落ち着きがなかったことも、母のストレスが溜まる一因だったようです。

「お前なんか生んだ覚えない」
「橋の下から拾ってきたんだ」
「あんたなんか生まなきゃよかった」

言った本人は反射的に言っています。
だから覚えていません。

でも言った記憶がなかったとしても、幼心に深く傷つきます。
必然的に父にべったり、でした。

わたしのADHD&ASDの性質は父譲りで、父はそういった概念を知らない代わりに、そのままのわたしを受け容れてくれたのです。


また、幼少時より吃音もあります。(今はだいぶマシになりました)

中2の頃、初めて美容室でカットをしてもらいました。

「髪を切るだけで、こんなに気分が変わるものなんだ」と思いました。
「自分の周りのエネルギーがぱぁっと晴れていく感じ」がしました。

その感動に心が揺さぶられ、何の迷いもなくわたしは美容師になりました。

ところが、待っていたのは、美容室の狭い世界、まったく馴染めない現実でした。
接客講習や電話対応などで、吃音が出てしまうことを笑われました。


オーナーは山田さんという名前だったのですが

「山田さま、こちらへどうぞ」

シャンプー台のほうへご案内するこの言葉が、どうしても

「・・・や、や、や、や、山田さま」

になってしまいます。


緊張しなくて大丈夫だから、とにやにや笑いながら言われたのですが、そういう問題ではありません。
顔から火が出るほど恥ずかしくて、その場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになりました。

吃音持ちは家族でわたしだけ。
吃音は、自分のことを好きになれない大きな要因でした。


入店2ヶ月でNo.1風俗嬢

わたしが、「わたしはわたしのままでいいんだ」と想えるようになり、わたしのままで人に喜んでもらえる実感が得られたのは、風俗嬢になってからのことです。

風俗嬢として働きはじめて2ヶ月経った月末、マネージャーから
「すずめさん、あなたがNo.1です。おめでとうございます」
と言われました。

お店に在籍していた期間は3年半、その間ずっとNo.1をキープしてきました。
出勤するとすでに全枠埋まっています。


朝8時半からはじまる予約電話は
「すずめ指名がかぶるため」
回線をひとつ切って対応していたと聞きます。

「すずめちゃんの予約を取るのは、コンサートのチケット取るより大変だよ」
とお客さまから嘆かれたことは一度や二度ではありません。
"姫予約"をお客さまから教わってからは、さらに予約が取りづらい状況に拍車がかかりました。
(姫予約:風俗嬢がお客さまから直接予約を承ること)


特に美人なわけでも、特別スタイルがいいわけでもありません。
ごひいきにしてくださるお客さまのお蔭で、恵まれた風俗嬢時代を過ごすことができました。


でも、ずっと順風満帆だったわけではありません。
基本ごはんを食べる時間はありませんでした。

隙間時間に好きに食べれる、自由度の高い職場です。
接客中にお客さまからの差し入れを一緒にいただくこともあります。

けれど、食べた直後の接客は、自分がしんどくなるだけなので、
基本、飲み物だけでしのいでいました。

入店時はちょっとむちむちしていたのに、あっという間に5kg減。
食べていないうえに過酷な肉体労働なので、当たり前ですよね。
(身体壊すので真似しないでくださいね)

元気にふるまってはいましたが、一日中お客さまのお相手をして、帰りはいつもくたくたでした。
お店から駅に着くまでの間、送迎車の後部座席でシートに身体を委ねるときは

「わたし、おつかれさま」

束の間のほっとできる至福のひととき。

重い身体を引きずるようにして帰ると、休みの日はずっと寝ていました。


そんなある日のこと。

ぎっくり腰になったのを機に、お店に通えなくなりました。
自覚することなく駆け抜けてきたけれど、いつのまにか身も心もボロボロになっていました。


お客様にも喜んでもらえて満足していました。
何人もの方から「天職」と言っていただき、わたし自身も「天職」と想い込んでいました。

わたしはわたしのままでいいんだ、ここはわたしの居場所、そう想っていました。

でも、違いました。

命を削っていくような働き方です。

「天職?それってホント?」
「こんなにボロボロなのに、それでもこれはわたしの天職なの?」

身も心も疲弊してしまう働き方に疑問ばかりが浮かびました。


誰かにとっての「いい子」ではうまくいかない

それから何年も経ってからのこと。

その当時つきあっていた彼との別れを悟った直後から、1週間失語症になりました。
結果的に振られて、1年以上泣き暮らしました。

与え合い支え合ってとても充実していたようでいて、実のところ、互いにしがみつく共依存的な関わりでした。
支配欲求を満たし合う関係性が終わったことで、嵐が過ぎ去ったような静けさが自分の中に訪れ、冷静になってみてはじめて、お互いがお互いのエネルギーを奪っていたことがわかりました。
そのままでは発展しようがなかったし、正直心底くたくたでした。

自分のやり方ではうまくいかない、役に立たない、ことを思い知りました。

「これまでの自分ってなんだったんだろう」

誰かにとって「いい子」でいること、誰かの役に立つ「できる子」でいること、そのやり方ではもうダメなことがわかったんです。


父の死

幼い頃から家庭の冷たい空気感に悩んできました。
長い年月をかけて変わってきてはいましたが、明確にあたたかく穏やかなものに変わったのは、父の大病がきっかけです。

その父が亡くなりました。
尊い日々も一緒に無くなりました。

「生きていてもしかたがない」

介護疲れと喪失感で、まもなく廃人状態の生活になりました。

エネルギーは空っぽなまま。
底に穴の開いたバケツみたいに、いつまでたってもチャージされない、そんな感じ。
ほぼ寝ていました。
寝ても寝ても眠くて眠くて仕方がありませんでした。

もう死んでもいい
疲れた
生きていても意味がない

ずっとそんなことばかり想っていました。


わたし本来の自然体で生きよう

あるとき、ふとこんなことが浮かびました。
「身体が動くこと」が自分にとっての答え。

そっか。ならば、これから先どうしても生きていかなければいけないのだとしたら、わたしはどうしたいんだろう。

身体が強制終了したのだから、今までのやり方じゃダメなことはわかる。

頭で考えるのも、ひらめくのも、"前提が間違っている"のだとしたら?
いつまでも同じことのくり返しになる。

「今までのやり方を変えるときなのかもしれない」

期待に応えるように生きるのはおしまい。
コントロールに甘んじるのもおしまい。
自分のために生きていきたい。
うん、自分のために生きよう。そうしよう。

「身体が動くこと」が自分にとっての答え。
これを気が済むまでやってみて、もしこの"仮説実験"が失敗したら、"やり切った"ってことで、人生おしまいにしてもいいや。

そう、最後の一回。

母と共依存のままでいたら命がもたない。
母の感情的支配、精神的支配から自由になる必要がある。
だからこそわたしは「自分を最優先、自分に執着」することで、母と一緒に引き上がっていこうと決めました。

わたし本来の自然体で生きよう。


「すずめちゃんがすずめちゃんらしくいられることの方が大事」

それから半年して、素敵な仲間と出逢いました。

そこで、わたしは「いい子」の服を脱ぎ、本来の自然体(魂の目的、天命)を生きることを促すセッションを始めます。

通称「すずめセッション」

あるとき「100人セッションチャレンジ」に挑戦することになりました。
3週間、1日3~4人、1人2時間セッションする日が続きました。

日に日に疲れが溜まっていきました。
仲間からも、無理しちゃいけない、ちゃんと休んで、と毎日のように言われるようになります。

残り20人のところで疲弊していたとき、仲間がこんなことを言ってくれました。

「数字的な目標達成はすごいかもしれないけれど、すずめちゃんがすずめちゃんらしくいられることの方が大事。そちらの方を達成してくれる方がわたしは嬉しい」

目から鱗でした。
やはり「いい子」「できる子」をやってしまいがちなわたし。
でも、そのがんばりは間違っていて、本来性の生き方に正してくれる仲間がいる。
救われました。
あたたかい涙がこぼれました。

「いい子」の心癖って無くならないものだなぁ。

無理がたたっていること、当の本人だけが気づけていませんでした。

無理しがちで、自分をいじめるかのような目標を設定して叶えるようなやり方は、はたから見たら見栄えはいいし、「やってる感」もあるけれど、自分自身が倒れてしまったら元も子もありません。

無理をする「手綱を未だにゆるめられない生き方」をまだしていたのでした。

仲間のメッセージをきっかけに、スケジュールを組み直しました。
いかに身体の負担が軽く、心から楽しみながら目標が達成できるか。

勇気は必要だったけれど、自分を大切にするために、「やらなくていいことを決めて削ぎ落とす」ことが大事、ということに気づかされたできごとでした。


世界が「自然体」になるために

自分に向いていることは何なのか、ということが、仲間の中にいることによって、徐々にわかってきました。
自分ひとりで何かを立ち上げるよりも、仲間の中にいて1:1でやりとりすることが向いてるみたい。

そんなとき、仲間のひとりから興味深いプロジェクトのお誘いをいただきました。
それは、わたしがわたしのままでいられることでした。

そこでならできそう!楽しそう!
なんとかそのプロジェクトを形にしたい。発展させたい。

しんどい状態を知っている人たちがつくる世界はより優しくなるに決まっているから、みんながみんなのままでいられる世界を広げたい、末長く繁栄させたい。

それを実現させるために、わたしはどんな自分になればよいだろう。
どんなことを身に着けていけばよいだろう。

「いい子」「できる子」の心癖も、共依存的な気質も、完全に無くなったわけではありません。
ADHD&ASDの性質も健在です。

いろんな「偏り」はあるけれど、そんなことを気にして生きていくことよりも、したいことが見つかりました。
昔はそんな自分のことが嫌いで仕方がなかった、でも今はわたしという個性が大好きです。


ひとりひとりと時間をかけて向き合っていくことによって、みんな着実に元気になっていきます。
その人の「自然体」が輝いてきます。

わたしが掲げる「自然体」は、あなたがあなたのまま「魂の目的、天命」を生きるさまをあらわします。
そして「自然体」で生きる人たち同士でつくる世界は「自然体」になっていきます。

「世界が自然体になる」
世界すら本来の自然体に還っていくことを目指して、目の前のひとりから、いま自分が身を置く小さな世界から、倖いを祈りながら向き合い叶えていきます。

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