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自然体ってなんなの?~いろんな自然体があるよね~

こんにちは、すずめです。

「ひとりひとりが自然体で生きる世界」をコンセプトにお話聴く人やってます。


さて、「自然体ってなんなの?」ってことです。


おもしろいことに「自然体で生きる」ことを最優先に生きはじめると、このような疑問ばかり浮かぶ現象に見舞われます。


つまり

「自然体」とか言いつつ無理しかしてないじゃん、それってめっちゃ不自然じゃん

と突っ込みを入れたくなるようなことばかり起こるんですね。


たいていわたしたちは、生きづらさを感じるできごとを経験した後は、なんらかの解釈(理性)でもって、そのとき味わったこと(感情)に蓋をして、潜在意識下にしまい込んでしまうことで、心の状態を保ちます。

根深いものに関しては、何度も何度もアプローチが必要です。
丁寧に薄皮をはぐように、しかもそれと気づかぬように「いつのまにか」くらいな形で関わっていくほうが、心にとって負担がかかりづらいです。

良くも悪くも、心は急激な変化に耐えられないようにできています。
あまりに大きな変化の場合は「引き戻し現象」という形であらわれます。


けれども、実は「引き戻し現象」は超えていくことができるんです。


どうすれば「引き戻し現象」を超えていくことができるのでしょうか。

それは2つあって、ひとつは「望む未来があること」。
もうひとつはそれを共有し目指していく「仲間がいること」です。


何も言わずとも、今の自分にただ寄り添っていてくれる存在がいる。
傍から見たら、ふざけ合っているようにしか見えない関わりであったとしても、今の自分を肯定し続けてくれる存在がいる。

それだけで救われることってありませんか?

たとえ今すぐ明確な未来が描けなかったとしても、今の自分を受け容れてくれる存在がいる。
まだ見ぬ素敵な未来への可能性を、自分以上に信じてくれる存在がいる。

それってものすごく心強いことだと想いませんか?


自分で「ダメな状態」と想い込んでしまうような状態であっても自然体。
真摯にもがいてどうにもならないときであっても自然体。
逃げ腰で弱気でしかいられないようなときも自然体。
消えてなくなってしまいたいときでさえ自然体。

だって、意識の奥底では、その先の「光」に手を伸ばしてる。
そんな風に「希望に手を伸ばしてる自分もいるんだ」って想えたら素敵だと想いませんか?

BADな状態の自分から、ほんの1ミリでも「光」の自分に近づけたら、その自分も「自然体」の自分です。


無理しかしてなくて不自然な自分ばかり見えるときはチャンスです。

「ホントはどうなりたかったんだっけ?」

と自分に問いかけてあげられるとき。


これまで大事と想っていたものも、いま改めて問いかけてみると、手放せるものも多いものです。

大事なものをいくつか捨てたら「どうなりたかったんだっけ?」という内容も、輪郭を成してまもなく動き出します。

本当に守りたいこと、最優先にしたいこと、がはっきりしてくるにつれ、「自然体」の意味もトランスフォーメーションしていきます。


「自然体」って小綺麗なものばかりを指すわけじゃないです。

無様で、泥臭くて、どんくさくて、いわゆるカッコ悪い。
そんなもんです。

でも、よくないですか?

実は、カッコ悪く生きれる人のほうが、カッコいいから。

たいてい、カッコ悪く生きることに怖れを感じてしまうもの。
恐ろしくてカッコ悪い自分なんて出せない、と想う人が大半だからです。


「わたしはわたし」って想えたもん勝ち。
これって自己存在肯定という意味です。

生きてるといろんなフェーズがあるもんね。

下を向くときも、すっと姿勢を正すときも、遠く前を見据えながら進むときも、いろんな「自然体」があっていいんじゃないかな、と想っています。


わたしも今また、大事なものをいくつか捨てる時期のようです。

これまで自分を守ってくれていたもの、そのひとつは「気遣い」です。

あなたが今捨てられそうなものはありますか?



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