【読書感想文】教室を生きのびる政治学(を読んで白旗を挙げる)

教室を生きのびる政治学
岡田憲治/著

を読んで、

◼️理想と現実を思う

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この本のタイトルを見て、
手を伸ばさずにいられなかった。

致命傷にはならない程度の痛みが
断続的に纏わりついて、
最低限の酸素しか吸えなかった、
学生時代の空気を思い出したからだ。

「学生時代に、この本を読みたかったか」
と問われれば、素直に頷けるが、

「学生時代に読んでいれば、楽になれたか」
と問われると、口唇の端が歪む


理解することと、
実践できることは違う。

「速く走る技術」という情報を得たから、
「速く走る能力」を得られるかといえば、
それは、また違った次元の問題だ。

「多様性welcome」
「美の基準は千差万別」
と言われ、いくら理解したつもりでいても、
目の前ではしゃぐ、多数派とイケてる奴に、
感情は大いに揺さぶられる。


説得力があっても、
実感できなければ意味がない。

「収入だけが全てではない」と言われても、
低収入・低能力・コミュ障と叩き、
求める有用な人間以外を(平然と)排除する
現実を目の当たりにすれば、
説得力以上の焦燥感に飲まれる。


タイミングを見計らっての
適切な発言は、無理ゲー。

「アイツ何言ってんの? うぜぇ…」
と一度でも思われた奴は、
運の良くハブられずに済んでも、
圧倒的不利な立場に陥る。

物理的、精神的、時間的に限られた、
特異な空間(=教室)内での発言は、
リスク(とリカバリー難易度)が高い。


◼️大人側の完全敗北を宣言する

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自らの意志で生きる場所を選べる(ハズの)
いい歳した大人が、
パワハラを苦に自死する世の中だ。

通う学校を自ら選べない子供が、
いじめを受け絶望することに、
どんな疑問を持てるのか。

自分達の問題に対処できない大人達が、
子供達が直面する問題に
どう対処するというのか。


堂々と白旗を揚げよう。

すでに「正解」がある問題の「別解」を、
人はわざわざ求めない。

この「正解」は、
意識高い系の、偉~い人が出した
模範解答の一つに過ぎません。
実は「別解」が多数ありま~す。
(てへぺろ☆)

くらい言った方がいい。

そうすれば、
子供の感情や思考を随分ラクに、
そして、かなり自由にできる。

大人の面子を心配するなら、問題ない。

間違いを認めた(訂正した)だけで、
信頼を失うような人間は、
はなから信頼などされていない。


正攻法にこだわらない。

本書の最後で触れられていたように、
学校や家庭以外の
サード・プレイスがどうしても必要だ。

人間関係の主軸が、
似通った境遇の同年代であるから、
集団内の価値観と視野が狭まる。

大人である我々が、
正面突破しか提示しない(できない)から、
子供の思考や生き方が早々に行き詰まる

レアでもノーマルでも何でもいいから、
新しい関係性と価値観をGETするため、
子供を(定期的に)どこかにGOさせた方が
いいのかもしれない。


◼️生きのびた者として「祈る」

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とりあえず、何とか、
私は、教室を生きのびた者だ。

なぜ、生きのびられたのかと言えば、
学生時代という制限時間が過ぎたからだ。

「いつかは必ず終わるから大丈夫」
など、口先だけでしか言えない。
それは、幸運にも嵐をやり過ごせた者が、
過去の自分に向けてしか使えない言葉だ。

現時点の教室生存者に対して、
私ができるのは、ただ祈ることだけだ。

祈りとは、

力尽きた弱者が、
現実と諦念を拒絶する行為
であり、
(例:一般的な祈り)

他者への影響力を保持した強者が、
関与拒否を表明する行為でもある。
(例:不採用のお祈りメール)



今、皆さんが見ているのは、
とても立派なハリボテだ。

少しでも余裕があって、可能であるならば、
目の前(の普通)以外のものに、
よく目を凝らした方がいい。

そして、その時に得た感情は、
どんなものであれ、本物の「正解」だ。

その時点では、
何の証明も弁明もできない
みすぼらしい思考や感情
であっても、

後に、
それらを体現し補強する「何か」
(運が良ければ、多分)見つかる。

その「何か」と出会い、
思考や生き方が少しでも楽になるよう、
心から祈っている。


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