見出し画像

真野さんと吉田くん 9話〜アフタークリスマス〜

12月に入り、空気はだんだんと冬らしい寒さをたたえ、街のそこかしこには、クリスマスを彩る電飾が飾られ始めていた。

そんなある日のこと。

僕はいつも通り勤務開始の20分前に出勤し、自分のデスクに座って仕事の準備をしながら朝礼の時間を待っていた。

いつもなら、9時からの朝礼に滑り込むように真野さんが出勤して来るのだけど、今日は時間になってもドアが開かない。真野さんが不在のまま朝礼は終わり、各々の業務に取りかかることになった。

真野さんは、遅刻は滅多にしない。安定のギリギリ出勤だ。今日は何かあったのかなと考えていたけれど、そうこうしている内に昼休みの時間になった。

入社してから3年以上の間、真野さんがいない日は一度も無かった。同じ部署の先輩方から変な目で見られていても、仕事のミスを叱られることがあっても、休まず出勤していた。

「真野さん、どうかしたんですか?」
食事に出ようとした部長に声を掛けた。
「え?ああ、知らなかったのか。私は君たちが付き合っているものだと思っていたよ。だから、てっきり本人から聞いていると思っていた」
そんな風に思われていることを、僕は初めて知った。もしかしたら、当事者の僕ら以外は同じように思っているのかも知れない。
「いえ、知らないんです」
端的に返事をした。付き合っているという言葉は、否定しなかった。
「そうか。彼女はね、昨日から入院しているんだよ。今週中に手術を受ける予定だから、その前に検査を受けるんだそうだ」
「そうなんですか」
平静を装ったけど、内心は驚いていた。真野さんからは全く聞かされていなかった。
「大きなお世話かも知れないが、男がしっかりしないとダメだと思うぞ。最近じゃ女性から来るのを男の方が待ってるらしいがな。私の世代には理解し難いよ」
本当に大きなお世話だ。だけど実際その通り過ぎて、返す言葉がない。
「あの、何の手術でしょうか」
「腫瘍の摘出って言ってたよ。『良性だけど恥ずかしいから取るんですー』なんて軽いノリで言ってたから、まぁあまり心配するな」
「わかりました」

便宜上わかりましたとは言ったけれど、僕にとって、腫瘍という単語はほとんどそのまま癌と繋がってしまって、良性だからと言われても、安心は出来なかった。そしてそれ以上に、直接入院を教えてくれなかったことがショックだった。

結局僕は、入院先の病院を聞いて、仕事終わりに面会に行くことにした。

職場からほど近い、街では一番大きな病院。受付を済ませ、名札を受け取り病室に行くと、ちょうどドアが開き、男性が出て来た。見覚えがあるなと思っていると、その男性から声を掛けて来た。
「吉田さんですね」
思い出した。真野さんの従兄弟で、ケンちゃんと呼んでいた人だ。
「はい、そうです」
僕より10歳は年上だろうか。そして身長も10センチ以上高い。大人っぽい雰囲気を纏っていて、男の僕が見ても格好良いと感じる。
「愛里紗はさっき寝たところなんだ。ちょっとタイミングが悪かったね」
そう言って優しく笑った。
「あぁ、挨拶をしていませんでした。僕は愛里紗の従兄弟で健司と言います。いつも愛里紗がお世話になっているようで」
「いえ、そんな。お世話になっているのは僕の方です」
健司さんに言われると、何故か余計に恐れ多い感じがしてしまう。
「愛里紗がね、時折吉田さんの話をするんです。前の彼氏さんを事故で失ってから、しばらく元気が無かったんだけどね、君の話をするようになってからは、だいぶ元に戻って来たんだ。ありがとう」
事故で…。真野さんが「別れた」と言った、あの時の切ない表情の意味が、やっと理解出来た気がする。
「そうだったんですね。僕は、彼氏さんが亡くなっていることは知りませんでした」
「うん。…話せなかったんだと思う。やっぱりね、普通の失恋とも違うからさ」
失恋と喪失では、全く意味合いが違う。それは僕にも、なんとなくわかる。
「愛里紗は母子家庭で、お母さんも去年亡くなってしまって、親戚と言っても付き合いがあるのは僕ぐらいなんだ。だからね、事故の後しばらくは…本当に大変だったんだ」
健司さんは詳しい説明を避けた。話すべきじゃないと思ったのだろうか。母子家庭と聞いていたけど、お母さんのことは初耳だった。
「僕は何もしてません。ただ、一緒にいるだけで」
「それで良いんです。ただ一緒にいる、それだけで安心出来る相手なんて、一生の内に、そう出会うことはない。吉田くん、また明日来てやってくれないかな。たぶん愛里紗も喜ぶと思う。僕も仕事も家庭もあるから、毎日は来られないしね」
「はい、そうします」
会釈をして、その日は帰宅した。

そして翌日仕事を終えて、改めて病院を訪れた。

「おっ。おっす吉田」
真野さんはベッドの上で胡座をかいて、漢字の練習をしていた。まだ続けてたんだ。
「おっす吉田、じゃありませんよ」
「社長から林檎もらったけど、食う?」
「いりません」
「タバコ持ってない?」
「持ってませんし僕は吸いません」
冗談に付き合える気分じゃない。

「吉田、やっぱ怒ってる?」
「いえ、怒ってませんよ」
「怒ってるじゃん」
「怒ってません」
「じゃあその不服そうな顔はなんだよー」
気持ちが顔に出ていたようだ。
「えっとこれは…だって、なんで教えてくれなかったんですか。こんなに大事なこと」
思っていることを、率直に言った。

僕だって、今僕が怒るのはおかしいってことぐらいわかっている。それが情けない自分に対する苛立ちなのも、わかっている。

「やっぱ怒ってんじゃんかー。でも、ごめんな。なんかさ、心配するだろうと思って、そしたら…言えなくてさ」
真野さんは目を逸らし、俯き加減で言った。
「本当は、良性じゃないんですよね」

昨日帰る前に、健司さんから病気のことだけ教えてもらった。良性じゃなかった。早期発見とは言え、やはり悪性の腫瘍、癌だったのだ。あのハロウィンの日には、手術を受けることが決まっていた。

「あぁ、ケンちゃん言っちゃったんだ。まぁ、まだほとんど進行してないから、今手術すればしばらくは大丈夫って先生言ってたしさ」
軽い感じで言ったけど、表情は固かった。そんな顔をされると、僕はつらい。
「心配、させてくださいよ」
「え?なんだよそれ」
「僕、心配したいんです。真野さんに何かあったら、僕が一番始めに心配したい。健司さんじゃなくて、真っ先に僕が心配したいんです」
堪え切れず、涙が溢れ出た。そんなことはもうどうでも良かった。
「吉田…」
「僕が、僕が一番じゃなきゃ嫌なんです。僕に真野さんを守らせてください。何があっても僕が絶対守りますから」
泣きながらで、半分言葉にならなかった。説得力も無いかも知れないけど、本当の気持ちだ。
「ありがとな。そんなこと言ってくれる奴、世界中探しても吉田ぐらいだよ」
真野さんも涙ぐんでいる。
「それはそうかも知れません。だから、僕を大事にしてくださいね」
「おい」
「手術、明日なんですよね。中には入れないから、外で見守ってます」
「うん」
優しい笑顔で真野さんが頷いた。
「退院したら、二人でクリスマスパーティしましょう。間に合いますよね」
「間に合わせるようにって、メスで先生脅しとく」
「やめてください」
「冗談に決まってんだろ」
「わかってます」

翌日、真野さんの手術は無事成功した。そして1週間の入院生活の後、退院した。

「おっす吉田。待った?」
「おっす吉田、じゃありません。待ち合わせの時間、30分以上過ぎてますよ」
クリスマスには間に合わなかった。退院がギリギリになったのと、体調の回復を優先したからだ。
「いやー、イルミネーション、綺麗だな」

街外れにある地域で一番大きな公園は、12月になると煌びやかなイルミネーションに彩られ、多くの人が訪れるデートスポットになる。クリスマスが終わっても、1月の下旬まで、イルミネーションは点灯している。

「誤魔化さないでください。なんで連絡もせずにこんなに遅れたんですか」
本当は会えるだけで嬉しい。でも、一応言っておく。
「ごめんて。クリスマスには間に合わなかったけど、やっと会えるからさ。ちゃんと綺麗にしとこうと思って。っつか言う前に気づけよなー」
真野さんの髪は黒く染められ、短く切り、緩めのパーマがかかっている。夜っぽさが無くなり、ファッション誌のモデルみたいな雰囲気になっていた。
「あと、これ」
真野さんが紙袋からゴソゴソと取り出したのは、手編みのマフラーだった。そしてそれを、僕の首に巻いてくれた。
「ケンちゃんにさ、『たまには女らしいことしろよ』って言われてさ。『大事な人なんだろ』って。時間は有ったけど、初めてだったからめちゃくちゃ苦労したんだぜ。どうだ、暖かいだろ」
「はい、とても。暖かいし、嬉しいです」
怒っていたはずなのに、涙が溢れ出た。マフラーも勿論だけど、“大事な人”という言葉を受け入れてくれた事実が、一番嬉しかった。
「すみません、僕、泣いてばかりで」
大変なのは、真野さんの方なのに。
「バーカ。そうやってさ、泣いて喜んでくれるの、めっちゃ嬉しいよ」
そう言った真野さんは照れくさそうだった。
「なぁ、吉田さ、この間病院で言ってくれたのって、アタシ、信じて良いんだよな」
寒さも相まって、頬が真っ赤に染まっている。
「え、僕、何か言いましたっけ」
こういう真野さんを見ると、どうしても意地悪をしたくなってしまう。ひどい僕。
「おま…、お前最悪だなー。そういうこと言うのかよ。あ、痛ててててててっ」
手術した辺りを押さえて、真野さんが顔を歪め、しゃがみ込んだ。
「だっ、大丈夫ですか」
焦って僕もかがみ、表情を伺うと、真野さんはニヤニヤと笑っていた。
「仕返しな。吉田が先にやったんだからな」
「それはさすがに笑えません」
「こっちも笑えないんだよ。マジだったんだから」

立ち上がろうとした真野さんを、僕は抱きしめた。ただでさえ細かった体は、入院中にさらに痩せていたようで、ひどく弱々しく感じられた。

「守ります。全力で守ります。命懸けで僕が守りますから…ずっと一緒にいさせてください」
「ありがとな。マジ嬉しいけど、ちょっと痛い」
興奮し過ぎてしまった。慌てて体を離す。
「バカ、誰が離れろって言ったんだよ。もうしばらく、そのままでいてくれよ」
「もうちょっと言い方ありませんかね」
だけど、それもまた真野さんらしくて、僕は嬉しかった。

「しかしここのイルミネーション、綺麗だよなぁ」
「はい、綺麗です」
一緒に来れて、本当に良かった。

end.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?