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目を見るという行為に心を奪われてしまった愚かな、

HEY!

私の英語研修は昨日終わりました。楽しい五日間でした。インストラクターの流れるような英語が忘れられなくて、できることなら一週間に一度彼ら彼女らに会いたいなあ、と思うこんにちです。
さて、最終日にはプレゼンをやりました。「自分のコミュニティーの中での強み」についてのプレゼンで、なんとか楽しくやることができました。

楽しかったけども……!!!!!!!!!!!!😭😭😭(大声)

後悔は募ってます。もっと声の強弱をつけたかったし、ゆっくり喋りたかったし、
人の方を見て喋りたかった……!!

音を出しての練習を三十分ぐらいしたのですが、その時N先生についてもらったんですね。「hi! goodafternoon everyone!」から始まるプレゼン。
頑張って原稿から目を離して、きょろきょろしながら読み上げる私。

N先生はずっと、「私の方だけを見なさい」とジェスチャー。

そりゃそうだ!

だって今、私がやっているのは全体プレゼンではないのですもの。聴衆はN先生しかいないのにきょろきょろしてたって、それは本当の意味での「相手の方を見て喋る」練習ではないでしょう。

びっくりしました。当たり前のことを幾つ知り直せるかが人生だと思って生きています。ソースが増えるばかりなので、誰かに反論してほしいものだ。

プレゼンへの執着

皆さん、人の目を見て話したことはありますか?真摯に見つめて、「伝えよう」と確固たる意志を持って口を開いたことはありますか?

私はないです。

人の目を見ると心がはやります。別に特別苦手なわけじゃないですが、それでも。だって大抵の人はやってないのですもの。

やってみたいって思いました。
自分のためだけに人に言葉を投げかけるのは、それは暴力であり、どうしようもなく人のことを嫌な気持ちにさせるものです。

でもそれはどうしようもなく楽しくて気持ちがよくて、私も良くやってしまいます。(例外はあるよ!!!!!!!)

人の目を見て会話がしたい。人の目を見て壇上で話したい。


愚かな(る)カラビナ

自分が「いけるだろ」と思ったことを人に強要しないようにしたいなあ、と思う。パーソナルスペースにむやみやたらに入らないように。人の意見は尊重するように。

あまり心を開いていない人に肩を組まれるのは最高の屈辱だったし、「出した案を一存で消されたから、」(=あの人が嫌いだ)との話を聞いたことがあるから。

信頼される人でありたい。Politeでいたい。それを人に強要はしたくないが、自分の中でそれは人に正面から当たる際のドレスコードのように思ってしまう。

終わりに

人の意見には平等に耳を傾けたいなあと思っているが、個人的に耳を傾けれない人がいることも事実である。

自分を受け入れることを強要したくない。受け入れなければいけない状況を作り出したくない。(人はストレスを受けた時に、反撃するか固まってしまうかどっちかだと聞いたことがある。)

コミュニケーションの間だけでも、誰かに安心と安全を届けられるような、そんな人になりたいものだなあ。からを

(自慢話です。私には数年前から、出会い頭と帰り際にハグをしてくれる友人がいます。めちゃくちゃ可愛い。月一程度の癒しタイム。遠い場所でパーソナルスペースの攻防を繰り返していると、不意に彼女に会いたくて仕方がなくなります。泣)

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