見出し画像

書くことを「ChatGPT」にゆだねる危険性について

先日、オンライン英会話レッスンで、アメリカ人の先生とChatGPIについての動画を使って議論しました。

ChatGPTとは、AIがチャットで質問に答えてくれる、というものです。

人間が質問を書き込むと、AIがインターネット上の全テキストから情報を見つけてくれげ、ちゃんとした文章にして質問に答えてくれます。

文章を打ち込むだけなので、技術に詳しくない人も誰でも簡単に使える仕様になっています。

日本でも最近、注目され始めているようですが、アメリカではすでに大きな話題になっています

実際にChatGPTに質問を入力し、それに対する答えが出てくる様子が動画の中で出てきますが、すごい速さです。確かにこれはいろいろなことに使えそうです。

新たな技術が出てくるとやはり賛否両論は起こります。
あらゆるWeb上にある情報を取ってきてしまうので、その情報の信頼性とか偏りに問題があるという話は別の場所で聞いたことがあります。

今回の動画で問題視されていたのは、これを学生がエッセイの宿題に使っているという話。

この動画の話し手は、エッセイストで、誰もがChatGPTを使う世の中になったとしたら、長い目で見たら人類の知識レベルが下がるだろうと主張しています。なぜなら、ChatGPIが作り出すものは、すでにあるものの寄せ集めなので、人がそれを超えた新しいものを作り出せなくなってしまうから。

多くの高校生は、あっという間に宿題の作文を書いてくれると聞いたら何も考えずにこれを使うでしょう。

アメリカではすでにそういうことが起きていて、教育現場では、ChatGPTを使った文章なのか否かを先生が見分けることが難しく、子供たちの学習を妨げるものになると問題視されています。

大人であれば、使い方によってはマイナス面もあると気づいて、自己責任でセーブしたりもできるけれども、多くの子供たちはそんなことは考えないだろう。
これを高校生が作文の宿題に使ったら、彼らは学ぶ機会を大きく失う。
アメリカ人は、これを使うことは「カンニング」ではなく、"Working Smarter"「賢いやり方」という。計算を計算機にしてもらうのと同じことだ、と考える人もいるだろう。
これからの時代は、AIの文章を編集できれば十分だという人もいるかもしれないが、「書く」ことと「編集」することはまったく違う。
「編集」と「読むこと」は似ている。それはどちらも、他者の言葉、他者の物語ということだ。そこに自身で創造したものはない。
"Writing is how we understand uniquely"
書くことは独自の理解を得るということだ。
学生時代、書くことは、"Who am I ?" "What do I believe?"という問いへの答えを見つけ出す唯一の方法だった。

The Real Danger Of ChatGPT (YouTube)からの要約

ChatGPTの文章編集だけで作文を作ることで、ゼロから書くことで鍛えられる、自分の言葉で創造し、表現する機会を失ってしまう。

なので、特に学生にとっては、自分で書くことが大事、という話でした。

私もこれには賛成です。やはりアウトプットが大事ということなのだろうと思います。

ビジネス翻訳の多くが、AIが作った翻訳を人間の翻訳者がチェックし、編集する「ポストエディット」という仕事に置き換わろうとしています。

最近はポストエディットを上手にやるコツを教える学校まであるようです。

私もこれが出てきた当初は依頼があったら引き受けていましたが、やっていくうちに自分の翻訳力が落ちていくのを感じて、引き受けるのをやめました。

すでにできている文章に頼るクセがついてしまったからかもしれないし、AIが作る文章を見続けることで脳が疲弊していたようにも感じました。

翻訳の楽しさなどはすっかりなくなるうえに、単価がどんどん削られていきます。(これが一番、いやだったかも💦)

英会話の先生の感想としては、

人が昔より計算ができなくなってしまったのは、計算機を使うようになったからで、技術に頼りすぎることで人類の集合的な知力は後退していきそうだ

みたいなことを言ってました。

人が賢くなって技術を高めたとしても、そのせいで人類の考える力まで落ちてしまうとしたらとても危険な気がします。

どちらにしても、今後、日本でもこういった議論が広がっていくかもしれません。(もう広がっているのでしょうか?)

万が一、外国人に「ChatGPTについてどう思う?」と聞かれたときに備えて、「私はこう思う!」と言えるよう自分の意見を(英語で)用意しておくのもよいかもしませんね。

教材にした動画はこれです。↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?