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私が愛する三大歌姫たち(1)〜私とひばりの出会い〜

「ファン」というものに本格的になったのは、中学2年の頃だったか。
正直いえば、「これだ!」というような歌手に出会えてなかったという事か。
両親の影響で、70・80年代の音楽を好むようになりそれは今も変わらないのだが、ある特定の歌手にとことん惚れ込むというような事はなかった。

そんな私を最初に惚れ込ませてくれたのが、美空ひばりだった。美空ひばりといえば、説明するまでもない「歌謡界の女王」の異名を取る、日本を代表する歌姫だ。

私が産まれた頃には彼女はもう鬼籍に入っていたので、彼女のコンサートを見た事は一度もない。むしろ、音楽のジャンル的に「演歌」「歌謡曲」という括りに入れられるので、年代的にも馴染みがない。
だが、幼少期にひばりのパチンコCMが頻繁にテレビで流れており、彼女の歌を断片的にではあるが、頻繁に耳にしていた。この事がのちに私とひばりを繋げてくれることになる。


ここから少し私事になるが、私は今海外の大学に留学している。
留学してはや4年半になるか。
元々親の仕事の都合で転勤が多く、海外生活もそれなりに多く経験してきた。日本に住んでた期間よりも海外で過ごした期間の方が長い。

2度目の海外赴任が決まった時、両親が未来のことを見据えて私にインターナショナルスクールで英語の勉強を始めた方がいいと薦めた。
だが、当時の私の英語力は荒井注ではないがそれこそ “This is a pen”ぐらいしかなく、そのような英語力で私を拾ってくれる学校は限られていた。
私が行くことになった学校は、日本人が私一人だけ。
今思えば、英語を学ぶ環境としてはベストな訳だったが、当時の私は不安感の方が勝りしかも「何故今さら他言語を学ばなければいけないのか?」という思いの方が強かった。
そんな事もあり、両親とも長期間に渡る討論になったが、結局は通うことになった。

だが、いざ通ってみるとそれは苦難の連続だった。
授業内容もさっぱりわからず、かと言って頼れる人もいない。
元々嫌々で入ったようなものなので、ただいたずらに時は流れるだけ。
日本の大学に通いたいという思いを当時抱いていたのだが、日本の勉強には遅れ、インターの勉強も惰性で続けるだけ。
そのような状態で、到底日本の大学に行ける訳もなかった。

その私の体たらくぶりに剛を煮やしたのか、両親が「ならばお前の学力が日本で通じるのか試してみるか?」と言うので、中学3年の春休み、母と二人で一週間日本へ一時帰国し、高校への編入試験を受けることになった。

受けた高校は地元周辺の2校、そして結果は見事に2校とも不合格。
当時の私はなぜか「受かるだろう」という根拠のない自信だけはあったので、この結果は相当な打撃だった。
そして両親も、親戚も私が怠けていたのは知っていたので「そりゃ当然だ」という雰囲気。
身から出た錆なのだが、当時の私はその事を認める事が出来ず半ば自暴自棄になっていた気がする。

戻って学校が再開しても、身の入らぬ日々。
そんなある日、ふと脳裏にある曲のメロディが浮かんだ。
それが、美空ひばりの「川の流れのように」だった。
幼少期にテレビのCMで繰り返し聴いていたあの曲が、その時脳裏に甦ってきたのだ。


「そういえば、フルで聴いた事がなかったな」
そう思いつつ、某動画サイトで検索をすると、そこに出てきたのは「美空ひばり最後の映像」というものだった。
「川の流れのように」は、ひばりが生涯最後に発表した曲で、テレビでもこの曲を歌唱している映像は3本しか残っていない。
そのうちの1本、1989年(平成元年)1月15日に放送された「演歌の花道」(テレビ東京)で歌われたものだった。

この時のひばりは既に満身創痍の状態で、歌う事も難しいと言われていた容体だった。
事実この放送の5ヶ月後に死去するわけだが、彼女の歌声はそれを微塵も感じさせなかった。

一曲を聴き終わったあと、私は未だかつて感じたことのない感情に包まれていた。
気がつけば、鳥肌が立っていた。
ささくれだっていた私の心を、彼女の柔らかな歌声が温かく包み込んでくれているような状態だった。

「これだ!」とその時思った。
「これが歌なのだ」と。
人の心を打ち、尚且つ癒す。これが真の歌であり、歌手であると。

「この人は凄い人だ。。」とシンプルだが、言葉では言い表しきれない凄さが、美空ひばりにはあった。
映像だけでこれだけ人の心に残る歌を唄えるのだから、生歌はもっと凄いのだろうと。

そこから一気に彼女の大ファンになった。
毎日彼女の歌を聴き、疲れた心を癒すようになった。
両親はいきなり、祖父母世代の歌手の歌を聴くようになった息子に最初は驚いていたが、理解を示してくれるようになった。
また、祖父母との会話も弾むようになった。
祖父母はひばりとほぼ同年代であるし、「ひばりと共に昭和を歩んできた」という思いがこの世代の人々には強い気がする。

また、彼女のおかげで自分自身が立ち直る事もできた。
過去の失敗をいつまで悔やんでも仕方がない、過ぎた事は過ぎた事。ただひたすら前を向くのみ。
彼女の歌が後押しをしてくれたと言っても、過言ではない。

そこから当時お世話になっていたエージェントから「留学」という方法を薦められ、両親とも協議し、「こうなれば本腰入れてやってみろ」との言葉もあり、私は留学を決めた。
高校2年の冬に、今のところへ留学を始め、そこから段階的にゴールを設定し、今のところは「高校卒業」「(短期) 大学進学」「大学編入」の3つのゴールを達成する事ができた。

もちろん辛い事も度々あったが、そのたびにひばりの歌に癒された(もちろん家族・親戚の応援もあった)。
今はたまに他の歌手に「浮気」してしまう事も、たまにあるが、それでも気がつけば美空ひばりに戻ってくる。

長くなってしまったが、これが私と美空ひばりの出会いである。
あまりにも私事が長すぎて、ひばりの良さを書き損ねてしまったが、また別の記事で書いていこうと思う。
もし興味があるという方がいれば、私の半生、留学生活の事、私生活の事もいろいろ書いていこうと思っている。

今日も、美空ひばりの歌に励まされる日々である。

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