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消えた風船と消せない自分~『男の優しさは全部下心なんですって』感想


「良い映画の基準とは?」なんて哲学的な問いにサッと切り返せるような知識も受け売りもないけど、僕なりの回答をなんとか捻り出すなら『見終わった後にどれだけその映画のことを考えるか』になる。

たとえ理由が感動や爽快感といったポジティブなものでなく、逆に悲しみや不快感、ものよっては恐怖感などネガティブなものであっても、どんな形であれ鑑賞後につい反芻してしまう作品こそ「受け手の心に深く刺さった」という点で優れたものであることは間違いない。

その点、観終わった後に「心に深く刺さる」どころか「心臓を滅多刺しにされる」ほどの衝撃と余韻を持ち帰るに至った映画を久しぶりに見たので、どうにかその手触りが生々しいうちに文章に起こそうと、こうしてまとまらない思考のままPCに向かっている。

以降ネタバレを全く気にせず書くので各自読むタイミングは自己責任でオネシャス。

『男の優しさは全部下心なんですって』

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『男の優しさは全部下心なんですって』という作品名を初めて見た時の僕の感想は「挑発的なタイトルだなぁ」という凡庸なものだった。

そしてどちらかといえば「嘘くさい人・物」より「ぶっちゃけてる人・物」が好きな僕は、その潔く明け透けな題名を冠するセンスに一発で心惹かれた。

やはり収まりが良いだけの薄っぺらい美談より、黒か白かで割り切れない人間のグレーな部分が垣間見えるストーリーこそ強く見たいと願ってしまう辺り、我ながら面倒な性格をしていて良かったと改めて感じる部分である。

話を戻そう。

本作のストーリーを大雑把に紹介すると「本命になれない女」こと主人公の「みこ」が、次々と現れるクソ男を相手に時間と気持ちと労力を無駄にしていくというクソ恋愛版SASUKEみたいな展開なのだけど、本家と違って残酷なのは「脱落(失恋)するごとに次のステージ(クソ男)に進む」という点だ。

余談だが、主人公の紹介パートたる冒頭でサラッと出てきて、無駄のないオーガニック浮気を決めた第一のクソ男を演じていたのが僕の「恋愛映画 of 三本の指」に入る『おんなのこきらい』でヒロインの相手役だった木口健太さんだったので開始早々に心のささくれが増えた。

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みこについて

この作品の見ていてとにかく辛い点は、とても可愛らしいみこ役の辻千恵さんがクソ男たちにボロカスに扱われるうちに次第に目の光を失っていく展開で、合間に飛び出す「クソ男パンチライン」がその流れに更に弾みを付ける。

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「お前に何が分かるっていうんだよ!?」とか「みこちゃんってそういう子なんだね。分かるよ。俺もそうだから」とか、こういう男特有のクソ台詞を改めて客観的に聞かされてガッツリ虫唾が走ったので、定期的にこういう経験をして(自分は間違っても言わないようにしよう)と自己を戒めるのも大事だと改めて思い直した。

で、ブログ序盤で「ネタバレ注意」的なことを書いたわりには結構こちらの予想通りに進むストーリーの中で、作品全体のキーに当たる発言だと思ったのが、みこから恋愛の相談をされたバイトの同僚・亮が言った「形にこだわってるのはそっちじゃん。とにかく形式的に自分がそいつの彼女である事を確かめたいから、関係ない第三者の俺にこうやって言ってくるんだろ?女の口が軽いのってそういう理屈だと思うんだよな」(※記憶曖昧なので大意です)というセリフで、この発言に何も言葉を返せなかったみこを見て、“誰かに愛されている自分“という形式が欲しいだけの人なんだな、という印象を受けた。

その点でいえば「遊園地の着ぐるみ役」というアルバイトも実にみこの精神性を表している。

外面には可愛らしく従順な姿を演じてみせながら、閉じこもった殻の内側から他人を注意深く観察している。

更にいえばこの着ぐるみに特別な居心地の良さを覚えているように見えるみこの姿から、「素の自分を出さず殻にこもって上辺で付き合ってさえいれば、もし酷い扱いを受けても本当の自分が傷付くことはない」という愛情への臆病さが透けて見え、ここが一連の悲劇に繋がる原因の根っこではないかとも思った。

そう考えると、どんなに酷い扱いを受けても特段落ち込む様子もなくケロリとしているみこの態度にも納得する。

ただ漠然と「誰かに愛されたい」という形式を求めてはいるものの、傷付かないための防御なのか、終始「自分ゴト」を「他人ゴト」として捉えているため、愛されないことへの不満や愚痴を無関係な第三者に漏らすことはあっても、クソ男たち本人に衝動的に食って掛かったり、自身の行動を本気で悔いたり、何かに深く悲しんで涙するようなことがない。

要するに、本質的な欠陥として、みこには「自分」がないのだ。

だからこそ物語終盤でみこが初めて主体的に起こした「取り壊し前のメリーゴーランドにクソ男たちを呼ぶ」という行動や、自分を愛して再スタートを切るべく、20代前半で付着した過ちや後悔といった汚れを綺麗に洗い流すような銭湯での入浴シーンが、前向きな変化を予感させるアクションとして強く印象に残った。

クソ男たちについて

そして主人公のみこ同様、物語を良くも悪くも…というか、悪くも悪くも盛り立てるのが計4人のクソ男で、解釈によってはこの人数は5人といってもいいだろう。

ともあれ全員に共通していえる要素として描かれているなと思ったのが、それまでどれだけ優しく都合のいいことを言っていても、一度関係を持った直後から発言や態度が急変するなど、これまで輝いて見えたメッキが一気に剥がれ落ちるという展開だった。

この辺りの容赦のなさが「まさに題名に偽りなし」といった感じで、フィクションの中の誇張とはいえ、女性の視点から見た男性の残酷さはこう映っているのか、と心にくるものがあった。

とはいえ、みこや観客の視点から見て紛れもなくクソ男である彼らも、それぞれの本命である女性たちにとってはなんやかんや愛し続けてきたこれまた本命な訳で、悪い部分こそ認めているものの、同じく良い部分もちゃんと知っているはずだ。

そう考えると、ある一面だけを見て一個人を「クソ男か否か」や「優しいか冷たいか」と一概に判断することはできず、どこまでいっても「善人か悪人か」を0か100で割り切れないのが人間のズルい部分であり、同時に愛すべき部分であるとも思った。

そして先ほどクソ男の人数を4人か5人かではぐらかしたのもこの曖昧さがネックで、本作に登場する男たちの中で唯一最初から最後までみこに寄り添って話を聞いてくれたバイトの同僚の亮と最後に関係を持った際、もしこのまま亮と付き合って幸せになればこの物語はそれで綺麗に完結できるのだが、実際の亮は事が済んだ後にスマホで別の人物と連絡を取り、(※記憶が曖昧だがおそらく)このあと会う約束を取り付けていた。

このラスト間際でサラッと描かれた数秒のシーンの絶望感が凄まじい。

なにせ、これまでダメ男にハマり続けるみこに常に近距離で接し続け、決定的に壊れてしまった時に誰でもなく救いの手を差し伸べてくれた亮が、最後の最後で今後みこの本命になる可能性を全否定したのだ。

思えば役者志望の亮は『役作りに活かしたいから』と積極的にみこにクソ男の話を聞いていたが、それを見る僕たち観客が内心「その言葉は嘘で、実際はみこを想っての行動であって欲しい」と願った辺りで、平然とその祈りは裏切られた。

思うに亮は残酷なまでに冷静で、みこにも特別な感情を持っていないし、男女の仲以前に単に役者という夢を追う過程で出会ったバイト仲間の一人としか見ていないのではないか。

そんな亮だからこそ、傷ついたみこを慰めるように関係を持ったところで、それを機に何か特別な感情が芽生えるような気配は一切なく、この先メリーゴーランドの取り壊しによりバイト先が変わり、自身を取り巻く人間関係が変わったところで、「役者として成功する」という夢の実現を第一に考える自分の軸は一切変わらないのだろうと思う。

そのブレの無さをボロボロのみこの姿と対比で見せられた時、何とも言えない心苦しさを感じた。

ラストシーンの解釈

そして続くラストシーン、これまで登場した全ての男たちが、みこのなれなかった“本命”の女と共にメリーゴーランドに乗る場面。

各カップルが2人で乗る中、唯一みこと亮だけはそれぞれ1人でメリーゴーランドに乗る。

開き直ったように笑顔のみことは対照的に、どこかメリーゴーランドの外を見ている亮は、この場にいない“本命“、もしくは自身の”夢”へと想いを馳せているように見えた。

かくしてこれまでの展開が嘘だったかのように美しい映像が終わった後、手に持っていた風船を全て放してしまったみこが1人でぼーっとしていると、一つの風船がメリーゴーランドに引っ掛かって空に消えずに留まっていることに気付く。

そしてそれをみこが確認したのち、25歳になって自分がアラサーを迎えたことを告げるナレーションを最後に映画は終わる。

この終わり方について考えたのは、物語全体のキーアイテムになっているこのメリーゴーランドは、夢見がちだった20代前半のみこの価値観や感性の隠喩ではないかいうことだ。

だとすれば、みこの誕生日に合わせるように取り壊しが決まった展開にも頷ける。

そして最後の風船が引っ掛かるシーン。

これまで空に飛んでいく様子がたびたび印象付けられてきた通り、本作における風船はみこにとっての「去っていく男」の隠喩であることは間違いない。

その風船が最後の最後で「20代前半の過ち」の隠喩たるメリーゴーランドに引っ掛かったことで、空に消えず目の前に留まっているというこの状況。

これは「振り返れば辛く苦しいだけに思えるこの愚かな時期も、これからの貴女の助けになって、いつか本当の幸せに導いてくれる」という製作者からのメッセージなのではないかと思った。

最後に。

鑑賞後にネットで見つけた感想に「映画を見ていて辛くなった。監督はどれだけ男のことが嫌いなんだろう」というものがあったが、僕の考えは少し違っていて、もちろん全員とは言わないまでも、女性視点から見た男性のズルさや残酷さは認めつつも、男のそうした性質を理解した上で、相手に合わせて自分を演じて幸せを与えてもらうのを待つのではなく、あくまで常に自分らしく生きながら、自分なりの幸せを主体的に追って欲しいという、力強いエールの映画だと感じた。

みこに加え、散々な振る舞いを見せたクソ男たちも、誰一人として破滅的な結末を迎えなかったストーリーから察するに、それぞれの愚かさを包括した上で最後まで暖かい人間愛を諦めなかった実に綺麗な映画だと思った。

ひとまず劇場公開が終わる前に細部の確認も含めて2回目の鑑賞に行きたいし、また本作の反動で主演の辻千恵さんが超幸せになる平行世界が見たくなったので、その欲求を満たせる別作品がないか爆速で調べてみようと思う。

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P.S.

とりあえず折りたたみ傘のイメージモデルを務めているらしいので明日セブン行ってこようと思います(ヲタクは行動が早い)



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