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nuanceの椅子について

貴方は今日一度でも椅子に座っただろうか。

きっと多くの方はこの問いにYesと答えたと思う。

それもそのはず。いくらなんでも一般的な人間の生活を、丸一日立ちっぱなしで過ごすというのはハードもハード、ダイ・ハードってなもんだ。

すなわち丸一日立ちっぱなし、あるいは逆に寝っぱなしという人以外は、おそらくどこかのタイミングで「椅子(かそれに類するもの)に座る」という機会が一日のうちに一度くらいはあったのではないだろうか。

そう考えると普段私たちが何気なく使っている「椅子」は、特に何の変哲もない一個の道具でありながら、しれっと恐ろしいくらい自然と人間の生活に溶け込んでおり、大したもんだなと感心すら覚える。

時に疲れた人を支え、時に人が思案を巡らす舞台となり、また時に再生と停止を繰り返す陽気な音楽の中で人に奪い合われる椅子。

そんな椅子を事もあろうにライブの道具として見事に活用するアイドルグループがいる。

それが「nuance(ヌュアンス)」である。

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まぁ「~である(キリッ)」とか言ったところで僕自身nuanceについてはしばしばライブを見させてもらっている程度でそこまで詳しいわけではないので、あまり偉そうに知った口はできないものの、既に各ヲタク界隈で激賞されている通り、そのクオリティの高いライブと色彩豊かでトリッキーな楽曲群には、遠巻きながらいつも楽しませてもらっている。

そして先日3/10、新型肺炎の影響による厳戒態勢の中で実施されたワンマンライブ「PEONY」に参加した際、それがあまりにも良く、率直に言って僕は度肝を抜かれた。

また改めて、昨年頃から有名グループの解散や活動休止が相次ぐ中、こうして令和2年現在に、これほど卓越したライブと素晴らしい音楽をリアルタイムかつ生のステージで届けてくれるグループが活動していてくれることに、一アイドルファンとして感謝したい気持ちがある。


まぁライブ自体への感想は長くなりそうなのでまたの機会に取っておくとして、今回はそんなnuanceのライブの最大の特徴と言ってもよい「椅子」の意味合いについて考えたことを書いていこうと思う。


「椅子」について

先述した通り、ライブ中nuanceは特定の曲を歌う際に「椅子」を使用する。

分かりやすい所でいうと代表曲である「ミライサーカス」、またその他の曲については期間限定で公開されているワンマンライブの定点カメラ映像が分かりやすい。

こうして各動画でも確認できるように、メンバーの人数に合わせ用意された4脚の椅子は都度必要なフォーメーションに並べられ、メンバーは時にその上に座り、昇り、立ち上がる。

単純に考えればそれは「メンバーが終始立ちっぱなしで踊り続けるステージに『着座』という変化を加える」および、「メンバーが上に昇ることで後方の観客にも顔を見えやすくする」といった、分かりやすい機能が期待されているように思う。

しかしこの椅子には、更に他の効果もあるように思う。

それは「無機物でありながらステージ上で疑似的にメンバーと化す」という点。

というのも、これは既に方々で言っている持論なのだが、いわゆる正統派的な綺麗なフォーメーションを考える際、『4人組』という人数構成は実にそれが難しいと感じる。

それは3人を各位置に配置させ、自然な3角形を作った際に必ず1人浮いてしまうという事からも分かる通り、正面から見て見栄えのいい形を作る上で4人組グループに許されるバリュエーションは極端に少ないものになる。

その弱点を克服するためにあえて綺麗な陣形を諦めて、4人組を逆手に取った『計算された上でのゴチャついた動き』を見せるグループは少なくない。

対してnuanceはこの課題を、『曲によってメンバーの人数をフレキシブルに変える』という飛び道具的な発想で、どこまでも独自路線にクリアしてしまったのではないかと思う。

そしてそれを叶えた魔法の道具が、お察しの通り「椅子」ということになる。

つまり4人のメンバーに加えて特定の曲でステージ上に設置される椅子は、登場した時点で無意識に客がその存在を意識している時点で「演者」であるといっていい。

そして手品でいう視線誘導の要領で、観客の意識を作り手の狙い通りに操る舞台構造の一端を静かに担う。

それは舞台両翼に置けばステージを広く見せ、またメンバーが昇りその上で歌い踊れば、観客から見たステージは縦に拡張され『ライブ中にステージのパースが変わる』という、決して他のグループのライブでは味わえない未知の感覚が極上の音楽の中で脳裏に刷り込まれる。

こと機能的な面から見ただけでも『椅子』の役割はこうして実に広いものだと感じる傍ら、また情緒的な側面から見ても、それは全く別の付加価値を生んでいるようにも思う。

つまり『ライブにおける椅子』の意味合いを演劇的に考えた場合、それは「休息」と「背伸び」と解釈するのが分かりやすいように思う。

まず「休息」は『座って使う』場合。

常に立ったまま目まぐるしく移動を繰り返すのが一般的なステージ上において、椅子に座った時だけ与えられる『休息』という雰囲気。

それは特にしっとりした楽曲やスローな曲調に映える嘆息やアンニュイのアイコンとして効果的に機能し、ライブに表情の変化を与える。

そして「背伸び」は反対に『上に立って使う』場合。

というのも、練習ではない本番のライブという特別な機会において、自身に足りない背丈を椅子に昇って補うという行為は、無邪気でいじらしい背伸びの隠喩にも思える。

そしてその『背伸び』は、活発さや激しさの際立つ楽曲に視覚的な追い風を吹かせ、客席の興奮を更に煽る。

この2つの情緒的機能も相まってか、そもそも振付を『劇団鹿殺し』の浅野康之さんが担当しているnuanceのステージには、演劇的な豊かな感情表現が広がり、それが見る者の心を強く惹きつけるのではないかと思う。

最後に

まぁここまでまとまりもなく書いてきたが、演者を含む制作陣がステージを作るに当たり「何をどこまで計算しているか」については、当然一観客の知る由もないが、それを受け手側が想像し、発信し、各々の考察を交わすという一連の流れの全てが、そのステージの魅力として広がっていけば良いなと思う。

元来、江戸川乱歩の『人間椅子』に顕著なように、数多ある無機物の中でも群を抜いて人に近い距離感を感じさせる『椅子』という道具について、その不思議な魅力を鋭利な遊び心でステージに溶け込ませた発想は見事としか言いようがない。

色々と穏やかでない昨今だが、要所要所で椅子に座っての一休みを忘れないようにしつつ、また近いうちに機会をみつけてnuanceのライブを見に行きたいと思う。

今日書きたいことはこれくらいです。

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