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TV版を乗り越えた劇場版の結末について:「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」感想

劇場版の魅力

劇場版レヴュースタァライトの何が魅力かと言われると、
映像と音楽が織りなす迫力のある高密度な映像体験であることです。

具体的には、以下の通りです。
・シネマスコープならではの画面を生かした、ワイドな構図。
・大画面を意識した、雄大で美しい美術。
・限界まで音圧を上げた、低重音の迫力。
・フィリムスコアリングによる、シーンにマッチした音楽。
・キャラクターの心情に沿った歌詞。
・胸に響く印象的で、力強いセリフ。
・映画ならではの、他人の人生の追体験。
・先が読めない、何でもありの展開。
・舞台と観客を意識した、メタフィクション。
特に私はメタフィクションにやられました。

TV版や総集編を見るべきか

この作品は映像体験を楽しむだけでしたら、
TV版やその総集編は見なくても良いかもしれません。
事前情報を知らなくても、映像がすごいことは十分伝わると思います。
しかし、私はそれらを視聴して話を理解しておくことをオススメします。
なぜなら、劇場版の主題に深く関わっているからです。
話の流れを理解するためにTV版や総集編を見るのではなく、キャラクターの心情をしっかりと理解しなければ、劇場版は意味不明で突拍子もない展開が続くだけと感じる恐れがあります。
もちろん、劇場版が面白かったから、後で振り返って見ることも考えられますが、(実際、私は劇場版を見ることでTV版をさらに楽しむことができました。)最大限楽しむためには、先にTV版と総集編を見ておいた方が良いと思います。

総集編は劇場版に繋がる演出も追加されており、構成や編集もTV版より劇場版に近いです。
総集編でもストーリーは理解できますが、TV版の全てが反映されているわけではないので、余裕があるなら両方見た方が良いと思います。

「私たちはもう舞台の上」です。
レヴュースタァライトを知ってしまったからには、見るしかないです!

TV版で感じた違和感

ここからは、劇場版の感想です。ネタバレありです。

自分は劇場版を見るまで、TV版がよくわかりませんでした。
特になぜ愛城華恋がオーディションを勝ち抜けたのか、その理由がTV版を見ただけではわかりませんでした。
そして、謎めいたキーワードもイマイチ判然としませんでした。
しかし、劇場版を見たことで、今まで腑に落ちなかった点も、納得することができました。
なぜなら、劇場版にはTV版に欠けていた愛城華恋の物語が描かれていたからです。
それによって、TV版と劇場版の結末の違いと意味を自分なりに理解することができました。

それを伝えるために、まずはTV版の解釈について自分の言葉で述べたいです。
その後に劇場版の結末についての感想を記します。

華恋のキラめきの源

華恋が持つ王冠の髪飾りは、ひかりとの約束の象徴です。
これを身につけている時、華恋は愛城華恋として生きていけます。
華恋のキラめきの源であり、その全てであると言えるでしょう。
端的にそれを表しているのが1話での冒頭のシーンです。
1話の朝のシーンで、髪飾りを身につけるのを忘れた華恋は、
寝ぼけていて目が覚めていませんでしたが、髪飾りをつけると元気になり目を覚ますことが描かれます。
王冠の髪飾りをつけることで、華恋は舞台少女愛城華恋になることができるのです。
そして、再生産のバンクシーンでその髪飾りが燃料にされていたことから、
華恋ははひかりとの約束を燃料とすることで、レヴューに参加できていることが分かります。
また、11話での華恋はひかりが消えてしまってから、キラめきを失ってしまいました。
ひかりはキラめきを他の誰からも奪っていませんでしたが、華恋だけが失ってしまいます。
一見すると奇妙な展開ですが、華恋のキラめきの源がひかりとの約束と考えるなら、ひかりが消えるということは運命の舞台が果たされなくなるということであり、華恋のキラめきだけが失ってしまうことにも筋が通ります。
そして、スタァライトの翻訳からひかりと再会できる可能性があることを知ることで、華恋は再びキラめきを取り戻すことができたのです。

なぜ華恋はオーディションを勝ち抜けたのか

ひかりとの約束があったからに他ならなりません。
オーディションの勝ち負けとは、歌劇の上手さだけでなく、キャラクターの内面の強さに左右されます。
言ってしまえば、キャラの設定がどれだけ強固であるかが、勝敗を決めます。
それまでの華恋は、再演を繰り返した、ななによると毎回最下位でした。
しかし、華恋はひかりとの再会によって、「ひかりと同じ舞台に立つ」という誰よりも強い設定、存在理由を得ることができました。
つまり、ひかりがいない時の華恋は最弱ですが、ひかりがいる時の華恋は最強なのです。
華恋はひかりとの約束が他の誰よりも強い思いだったからこそ、
激しいオーディションを勝ち抜くことができたのです。
そして、一人しか立てないトップスターのポジションに、
華恋はひかりと一緒に立つことができたのは、華恋の強さの源がひかりとの約束だったからです。
だからこそ、通常は一人しか行うことができないポジションゼロという宣言を、二人は行うことができました。
こうして、二人はオーディションの勝者となったのです

華恋の強さの代償、劇場版のテーマ

しかし、華恋のその強さは、彼女の存在を歪めてしまいました。
華恋の存在理由全てが、ひかりとの約束だけになってしまい、
それだけが彼女の生きる意味になってしまったのです。
華恋は空虚な内面からなる強さにより、オーディションを勝ち抜けましたが、それと引き換えに、彼女の「設定」は貧しくなってしまいました。
約束の舞台という星を掴む代償として、華恋の人間的な中身は空っぽになってしまったのです。
劇場版では、ひかりが華恋との運命の舞台を拒絶することで、華恋はある問いに試されることになります。
「あなたにとって舞台(人生)とは何ですか」
「あなたは「スタァライト」という運命の舞台(設定)なしでも、この先の人生を生きられますか?」

劇場版が描いた愛城華恋

華恋はひかりに運命の舞台を否定され、意気消沈してしまいます。
華恋にとっての人生とは、ひかりと演じるスタァライトの舞台が全てであり、それを失うことは耐えられないことでした。
ひかりや舞台に出会う前の幼い華恋は、引っ込み思案で周囲と距離をとる臆病な少女であることが明かされます。
華恋自身もそのことを十分に自覚しており、そこに戻ることは怖かったのではないでしょうか。
華恋はひかりが約束のことを忘れてしまっているのではないかという不安をいつしか抱えます。
しかし、そのことは周囲に隠し、活発な舞台少女である愛城華恋を演じることで、ここまで生きてきました。
そして華恋は、自身にはひかりとの約束以外何もなく、スタァライトを演じ終わったら、自分の存在理由が無くなってしまうのではないかという恐れを抱いてしまうのです。
だからこそ、ひかりに運命の舞台を拒絶され、舞台に立つ怖さを再確認したことで、今まで隠していた自分の気持ちに気づいてしまい、華恋は舞台の上で一度死んでしまいます。
舞台=人生に立つ勇気を持てなくなってしまったのです。

しかし、華恋は見事に再生産を果たします。

では、燃料は何なのでしょうか。
何が愛城華恋をもう一度舞台に戻したのでしょうか。
TV版では王冠が再生産の燃料でした。
これはひかりとの約束を燃料にして、キラめきを再生産しているということです。
劇場版では、ひかりの手紙や実家の部屋などの、思い出の風景を燃料にしたと思われるシーンがあります。
つまり、華恋は今まで歩んできた過去を燃料にしたのではないでしょうか。列車の中では、園児、小学生、中学生の華恋などに見送られて、再生産を果たし、ひかりの元に帰ってきます。
直後の華恋がひかりに言った「列車に乗って帰ってきたよ」とは、彼女自身の過去の延長線上に今の自分がいることを示すセリフではないでしょうか。

自分の今まで歩んできた道のりによって、愛城華恋は再生産されたということであり、これはひかりとの約束を燃料にしたTV版の再生産とは、全く別の再生産だと言えるでしょう。
もっと言えば、ひかりとの約束が全ての、貧しい設定のキャラクターに陥っていた状態から、自分の過去を見つめ直し、自分の人生を取り戻すことで、一人の人間になったということです。
ひかりとの約束という設定の呪縛から解放されることで、華恋は無機質なキャラクターから、生身の少女になることができたのです。
「ひかりに負けたくない」は、ひかりとの運命の舞台を断ち切ったからこそ、言うことができた彼女の本心からのセリフだと思います。

ひかりは華恋を破り、約束の象徴であった東京タワーは破壊されます。
その際に、二人の髪飾りは共に外れて地面に落ちてしまいます。
そして、ひかりは破壊した東京タワーを巨大T字のバミリに突き刺し、ポジションゼロを宣言します。
これは、華恋とひかりの呪縛とも言える運命を断ち切って、新たな人生を歩むという力強い宣言だと思います。
「レヴュースタァライトを演じきった」ことで、華恋はひかりとの運命の舞台を果たし、彼女いわく世界で一番空っぽになってしまいました。
ここでの「レヴュースタァライト」はこの作品自体のことを示しているとも考えられ、運命の舞台を乗り越えたことで、この作品は一つの終わりを迎えたということだと思います。

それでも、華恋はひかりからトマトを渡され、次の舞台、次の人生に歩んでいくことが示唆されます。
爽やかな終わり共にエンディングが流れ、「私たちはもう舞台の上」という言葉がスクリーンに表示されます。
ここでの、「私たち」は舞台少女だけでなく、この映画を体験した観客のことも含まれていると考えるのは私の考えすぎでしょうか。

総評:劇場版はなぜ凄いのか

劇場版はTV版の結末からどう変化したのでしょうか。
よくよく考えてみると劇場版は奇妙な話だと思います。
TV版は壮絶なオーディションをくぐり抜け、最後には一人しか立てないトップスターの座に、運命の力によって華恋とひかりが二人揃って辿り着き、子供時代の約束が長い時を超えて果たされるという、美しい友情の物語であると言えます。
それに対して、劇場版は言ってしまえば喪失の物語です。
TV版で果たされた運命の舞台は終わりを迎え、二人はまた別々の道を歩むことになります。
そして、愛城華恋は内面的(設定的)に何も持たない空っぽの状態になってしまいます。
しかし、劇場版の終わりはとても爽やかな印象を観客に与えます。
終わりの寂しさや不安を胸に抱えていながらも、それでも前に進む意思の強さを感じます。
というより、何もかも無くなって、真っ白な状態だからこその、解放感のある清々しさようなものを感じました。
おそらく、ここが劇場版の到達点だと思います。
目標や願いを叶えてしまって、燃え尽きて何も残っていない状態でも、また人生を歩むことができる。
何も描かれていない真っ白なキャンパスだからこそ、まだ見ぬ可能性に胸を躍らす。
次の舞台(人生)をきっと見つけることができる、と彼女達は信じていることが伝わる、
そんな味わい深い結末だったと思います。

まとめると、
劇場版は愛城華恋をひかりとの約束や運命の呪縛から解放しました。
今までの華恋の人生(設定)は、ひかりとの運命の舞台が全てであり、
それが終わってしまうことで、華恋はあらゆる意味で空っぽになってしまいました。
しかし、それは何もかも失ってしまった、いわゆる死んだ状態ではなく、
真っ白できれいな状態へと、生まれ変わって再生産されたということです。
その先の未来は彼女達も観客も分かりませんが、彼女達には明るい未来が待っていると思います。

誰かの期待のために生きなくても、自分の足で、何度でも舞台に立てる。
次の舞台は、今まで歩んできた道の先に、
生きているだけで、私たちはもう人生という舞台の上なのだから。

TV版の結末を鮮やかに乗り越えることで、
劇場版は見ている観客に力強く訴えかける傑作になったと思います。

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