ナラティブとアブダクションと「ヴィジョンの産婆術」
以前に、主にベンチャーや地方を拠点とする企業(長いのでS/L企業と略します。Startups and Local based companies から)が、新規事業を立ち上げる際に役立つ、マーケティング戦略のフレームワークについて紹介しました。
これは、商品あるいはサービス、または素材自体は大変素晴らしいけれど、市場のトレンドに反していたり、市場投入のタイミングが悪かったり、あるいは市場自体が縮退していたりとマーケットの条件が悪すぎて、通常のマーケティングのフレームワークがあまり役に立たないような場合に、市場をマルチバースに見立てて、今見えている市場以外の市場を開拓する手法です。
クライアントである売り手が、どう売ってよいか分からない場合に売り方のヒントを見つけます。
今回は、クライアントがどうしたら良いかのひらめきは持っているものの、ひらめきから戦略まで落とし込めない場合に、弊社が取っている方法で、「ヴィジョンの産婆術」と呼んでいるものをご紹介します。
「ヴィジョンの産婆術」は、通常ナラティブ・アプローチと呼ばれているものの応用で、アブダクションと呼ばれる思考方法を組み合わせたものです。
「ナラティブ・アプローチ」も「アブダクション」も、ビジネスに限らず様々な分野で使われていますが、まだまだ一般的な用語にはなっていません。ですが、両方とも知っていると何かと得する用語ですので、簡単に説明します。
■ナラティブ
ここ数年、ビジネスシーンで「ナラティブ」という言葉が着目されてきています。「ナラティブ」とは、「語り」や「物語」という意味の narrative が外来語になったものです。
英英辞典(コウビルド電子版)を引くと、
A narrative is a story or an account of a series of events.
(ナラティブとはストーリーのことである。または、一連の出来事を記述したものである。)
とあります。
ですが、ビジネスシーンでは、さまざまな意味で用いられているため、難解に思う人もいるようです。ビジネスシーンで用いられる「ナラティブ」にはざくっと3つの異なる意味があります。
「ナラティブ」の一つめの意味は、「単純化され伝染性のある物語」です。
2021年の日本経済新聞社が選ぶ経済書のベスト1に選ばれたノーベル経済学賞受賞者のシラー博士の著作『ナラティブ経済学』は、この意味のナラティブを題材にしています。
シラー博士は、「ナラティブ」を、普通の会話で簡単に伝えられるような物語であり伝染性があるものと定義しています。
伝染性があるとは、つい人に言いたくなってしまうものであるために流行ってしまう性質のことです。同書では、シンギュラリティで「機械が人間と同じくらい、あるいは人間以上に賢くなる」と言った例を挙げています。
この用法は、もともとの英語の用法に近く、古くから使われているため、私は、第一義という意味をこめて「ナラティブ1」と呼んでいます。
■ナラティブとナラティブ・アプローチ
「ナラティブ」の二番目の意味は、「企業が用意する物語であるストーリーに対し、消費者個々の物語がナラティブである。」とするものです。
ここでは、「ナラティブ」は narrative の原義から離れて、「物語」と対立する概念として定義されています。
マーケティング手法のひとつに、企業が伝えたいテーマを物語にすることによって消費者に伝えやすくする「ストーリーテリング」と呼ばれるマーケティング手法がありますが、これに対するアンチテーゼとして、「ストーリー」に「ナラティブ」を対置させたものです。
私が知る限り、日本に紹介されたものの中では、おそらく次のフォーブズの記事が最初だと思われます。
「ナラティブ」型マーケティングは、クライアントの「語り=ナラティブ」をすくいとることで、その悩みを解決するナラティブ・アプローチと呼ばれる問題解決手法がもとになっています。
「ヴィジョンの産婆術」がアブダクションともに組み合わせているのも、このナラティブ・アプローチです。
■ナラティブ・アプローチとは
ナラティブ・アプローチとは、臨床医学の手法として1980年代末に誕生したNBM(ナラティブベイストメディスン)を、ビジネスやカウンセリングなどの医学以外の分野に適用したものです。
NBMの基本構造は次の3ステップで構成されます。
NBMもナラティブ・アプローチも、その基本構造は変わりません。
分かりやすい例として、ある末期癌患者が、ナラティブ・アプローチによって通常の医学では考えられないほど延命したケースを紹介します。
この例では、
①どうしても書きたい本があるという患者の語り(ナラティブ)から、
②死を前にした苦しみとは別の、書きたいものが書けないという苦しみが患者の真の苦しみであるという患者にとっての真実を、医師が理解し共感したことで「書くように」というアドバイスが導き出され、
③それによって、「書きたいのに末期癌のために書けないで苦しむ私」という患者の物語(ナラティブ)が、「書きたいものを書くために生きる私」という新しい物語(ナラティブ)に書き換えられたことにより、
末期癌による鬱や苦しみという客観的に存在する物語(ストーリー)からでは成し得なかった苦しみの寛解と延命が、新しい物語(ナラティブ)によって達成されています。
売り手が、クライアント(消費者)の語りにワン・トゥー・ワンで向きあい共感し、商品やサービスによって消費者の不満を解消したりより豊かな生活を実現するような物語(ナラティブ)を創造し提供するのが、ストーリー型マーケティングに対するナラティブ型マーケティングです。
このような、「語り」にフォーカスしたナラティブの定義を私はナラティブ2と呼んでいます。
ここで、「ヴィジョンの産婆術」とナラティブ・アプローチとの違いについて説明したところですが、せっかくですので「ナラティブ」の3番めの意味を先に説明します。私はこれを「ナラティブ3」と呼んでいます。
これからの時代は、ナラティブ3が最も重要になってくると思っています。
■ナラティブ3
ナラティブ3は、隠された物語、発見される物語です。
amazonでは、会議にパワポ資料を用いることが禁止されており、代わりに「ナラティブ」と呼ばれる6頁ほどのWord資料が用いられていることが知られています。
なんとなく良さげに見えてしまうパワポの資料より、じっくり読んで精査できる「ナラティブ」の方が事業の検討には適しているという判断です。
amazonの「ナラティブ」には、これから事業を始めるにあたって必要な、顧客価値や想定される利用シーンなどが、その場で読んですぐに理解できるような文章(narrative)で記載されています。
amazonの「ナラティブ」は、まだ存在しないビジネスが展開するであろう未来の物語であると言えます。
このように、未来の物語を探り当て掘り起こしていくようなナラティブがナラティブ3です。潜在的には存在しているけれども、既知にはなっていない物語(ナラティブ)がビジネスを駆動していくのです。
以前にご紹介したマルチバースマーケティング戦略は、市場をマルチバースに見立てることで、新たな戦略を外部から強制的にもたらします。つまり、外部からナラティブ3を見つけ出すためのフレームワークです。
一方で、クライアントである経営者の内部(頭の中)に既にひらめきがあり、それが堂々巡りしたり何らかの理由で外にうまく出てこない(ナラティブ化できない)ケースがあります。
この、カオス状態で頭の中にとどまり続けているクライアントのひらめきを外に出し切り、その核と輪郭を明らかにして整理体系化し、構造化してナラティブ(ナラティブ3)のかたちに持って行くのが「ヴィジョンの産婆術」です。
対話によって最適解を導き出す点でナラティブ・アプローチに似ていますが、ナラティブ・アプローチがナラティブの書き換えを解に据えるのに対し、「ヴィジョンの産婆術」は、ナラティブ未満のひらめきを隠れたナラティブと捉え、その物語を完全なかたちのナラティブにしていくことを解とする点で異なります。
このナラティブの抽出の核となるのが、アブダクションという思考法です。
■アブダクション
アブダクションは、科学哲学者・論理学者のパース(1839-1914)が提唱した演繹法(デダクション)と帰納法(インダクション)に次ぐ第三の思考方法です。
現在のディープラーニングを主体としたAIは、原理的にアブダクションの思考が難しく、またビッグデータ解析で新たな発見を得るためにはアブダクションが大切だということで、近年はビジネスの文脈でも注目を集めています。
アブダクションは、あるものがこうであるかもしれないというひらめきでであり、それは演繹法(デダクション)によりもたらされる予測と、その予測が帰納法(インダクション)によりテストされることで正当化されます。
パースはこの3つの推論を、袋の豆を例に説明しています。
演繹法(デダクション)は、仮説の必然的な帰結を導き出すものです。
以上のようにⒶとⒷからⒸを導き出すのが、演繹法(デダクション)です。
これに対し帰納法(インダクション)は、真偽の値を決定するものです。
このように個別の事例(Ⓑ'とⒸ')から普遍法則(Ⓐ')を導き出すのが、帰納法(インダクション)です。袋の豆がすべて白ければⒶ'は真であり、ひとつでも白くない豆が入っていればⒶ'は偽になります。つまり帰納法(インダクション)には、可謬性(間違えている可能性)があります。そのかわり、前提にないことを推論するので、結論が正しければ知識は拡大します。
さて、アブダクションは、こうであるかもしれないというひらめきです。
アブダクションは、結果(Ⓒ"とⒶ")から原因(Ⓑ")を推論します。
まだまったく観察されていない事実があると仮定し、そうした事実から、観察された事実が必然的に結果したのであろうと推察するのがアブダクションです。
アブダクションは、より可謬性が高くなります。そのため、演繹法(デダクション)と帰納法(インダクション)によってテストされることが必要になります。
可謬性が高い一方で、前提に拠らないまったく新しい知見が得られるのがアブダクションの特徴です。
■アブダクションとナラティブ・アプローチ
アブダクションとナラティブ・アプローチには親和性があります。
先ほどの末期癌患者の事例では、医師は、悩み苦しむ患者に向精神薬を処方したわけではありません。演繹法(デダクション)的な治療であれば、悩みや苦しみには向精神薬が処方されたはずです。
また、この患者にとっては、本を書くことが延命につながったのですが、本を書くことで延命した事例を集めて、帰納法(インダクション)的に末期癌からの延命には本を書くことが有効だという結論を導き出すことはナンセンスです。
「書きたいのに末期癌のために書けないで苦しむ私」という患者の物語(ナラティブ)の「書きたいものを書くために生きる私」という新しい物語(ナラティブ)への書き換えには、医師の書かせてみたら苦しみが減るかもしれないというひらめき(アブダクション)が最初にあったはずなのです。
このケースでは、「書く」という行為が医師によって肯定され引き出された結果、ナラティブが書き換えられたのですが、「ヴィジョンの産婆術」では、行為ではなくヴィジョンの種を、無事ヴィジョン(ナラティブ3)のかたちに取り出すことを目的としています。
アブダクションからスタートする点は、ナラティブ・アプローチも「ヴィジョンの産婆術」も同じですが、ナラティブの書き換えを目的とするのではなく、隠されたナラティブ未満のナラティブを発見し、ナラティブに完成させていく点が異なります。
次回は、具体的な「ヴィジョンの産婆術」の事例をご紹介したいと思います。