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当たり前だけど当たり前じゃない環境

ずっと思っていたことでもある。
自分が当たり前にしている行動や置かれている環境、入っていっているコミュニティは、少し離れてみると当たり前ではないということ。

少し前に書いたものと重複する内容も出てくるけれど、
デザインやアート。陶器やファッションや絵画やいろいろな作家さんの展示会。そんなものに当たり前のように触れまくっているし、当たり前のように足を運んでいる。

まだ駆け出しデザイナーのころは、少しでも参考になるものは無いか、少しでも盗めるものはないか、あの凄い人は何を考えているのか、1個でも多くのものに無理矢理にでも触れて吸収して噛み砕いて自分のものにして、なんとか自分を成長させようと必死だった。

でも今は無理矢理という気持ちは全く無く、ただただ好きで、ただただ興味があって、ただただ学びたくて。そこはもうノンストレスで。そんな毎日毎時毎分毎秒を過ごすようになっている。

最近いろいろと一緒にお仕事をさせていただいている2人の作家さん。彼女たちも同じように常に探求しながら、常に学びながら、物凄く貪欲な姿勢を見せてくれている。
ふたりに限らず、周りには当たり前のように日々探求し続けている人達が沢山居る。
というかそういうことを当たり前にしている人にしか惹かれないし、そういった場所にしか興味も沸かないし足も運ばない。そのあたりのアンテナはかなり研ぎ澄まされていると自分でも思う。

そんな中で生活をしているからデザインの仕事ひとつひとつの向き合い方も変わってくるしプラスになっていると感じることが多々ある。クオリティも必ず繋がっている。

でもこの当たり前から離れることもきっと簡単で。
アートやデザインやイラストなどなどクリエイティブなものやことを意識しない人からしたらそれも当たり前の日常で。
そんな人達の中で一緒に過ごしていたとしたら、きっと自分のデザインするものや撮る写真や、洋服や本や持ち物。きっと全てが変わってくると思う。最終的にデザインという仕事にもストレスしか感じなくなり、違う道へ進み出すだろう。

別にどちらが幸せ、どちらが正しい。そんな話ではない。
自分にとって居心地がいい当たり前の環境を作れているかどうか。
今の居場所が本当に自分の場所かどうかを、
いろいろなタイミングで考えてみるのも大切な気がする。
まあそもそもそんなことを考える事自体がめんどくさい人種なのかもしれない。

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