見出し画像

104日目(PTAの会合)

この日は子どもを預けている間に、PTAのかいごうがあった。基本的には報告会という形で特に議論をするということではないのだが、一点、立番(旗を持って登校の様子を見守る)のことが話題になった。立番は小さな子どもを連れて行ってはいけないというルールがあり、わたしはそのルールを知らずに次女を連れて行ったので、立番のペアの相手(立番は2人ずつ、一つの交差点で行われる)に指摘されることがあった。同様の経験があったのかどつかはわからないが、 PTA会長さんから、安全を守るための立番に小さな子どもがいる親が来なければいけない状況は、おかしいんじゃないか、という意見が出された。
PTA活動は、運営している方々の努力が本当にすごくて、その一方で、運営の恩恵を受けている側との溝が生まれることが多い。ルールを設定することで、平等性が担保され、運営しやすくなる部分もあるが、実際に細部を見ているとそうでないところも多くあり、その都度対話することが重要だ。とはいえ、その場が開かれていない(精神的に)ことが多く、決まり事には従わなければならないという空気もある。だから、私たちが対話をするためにはお互い歩み寄りが必要なのだが、そのためにはゆとりがないといけない。現代では時間、空間、心、金銭、全てが揃わないとなかなかゆとりは持てない。昔よりいい時代になっていると言えないとすれば、こうしたゆとりの意味が軽視されていることだと思う。全てが経済的価値のみで判断されるような社会から、脱却しなければ私たちはゆとりを持つことなどできないのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?