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303日目(錦鯉と子育て①)

朝から少しご機嫌斜めの次女が車の中で昼寝を始めた。家に連れていくために抱っこしたら、少し目を覚まし、離れがたくなったのか、布団に置こうとすると抱っこをねだった。仕方なくしばらく抱っこを続けていると力が抜けてきて、無事入眠。布団の上に置こうとした時だった。ふと頭によぎったのが、今年のM1グランプリ決勝の錦鯉のネタだ。

渡辺さん

「おじいさんはこうやって寝かすんだ」
渡辺さんの声が思い出された。
今寝かせたのは、小さな子どもで、おじいさんではない。なんで、そんなこと考えたんだろう。不思議におもったが、少し考えたら理由は簡単だった。最後に寝かされたのが雅紀くんであったからた。

雅紀くん

我が家は最近、空前の錦鯉ブームだ。長女はM1のネタ三つをほぼ全て暗記するくらいだ。次女は「ましゃのりくん、まだかなー」と、仲のいい友達くらいに思っている。雅紀くんのセリフと動きは我が家の子供たちにとにかくウケている。「CRまさのり」のシュールなギャグを常にみんな口ずさんでいる。

錦鯉に依存する我が家の子育て

雅紀くんは、50のおじさんだ。でも、バラエティーでみると、つい、突っ込みたくなる。語彙力がバカ過ぎる、と。小さな子どものような眼差しで話す雅紀くんをみると、何だか愛せずにはいられない。雅紀くんは無垢だ。見てるとなんだか安心する。我が家は毎晩、錦鯉をみる。何なら朝から見る。1日三周することもあった。観ると、ざわざわした気持ちが一瞬で緩む。

サルを捕まえるネタの最後

雅紀くんは、サルを捕まえるネタの最後で渡辺さんに横に寝かされる。ネタの途中でおじいさんを放り投げ、猿のようにバナナを取ろうとした雅紀くんが、最後は渡辺さんに捕獲され、横たえさせられる。そして一言、
「ライフイズ、ビューティフル!」
雅紀くんは、このネタの中で、雅紀さんであると同時にサルを捕まえたいという子どもであり(その証拠におしっこをサルにかけてしまう)、サルであり、お年寄りである。そして正真正銘のバカである。とても楽しそうで、というか、見てるこっちがニヤついてしまう。その姿は、いつも楽しそうで天真爛漫に怒ったり泣いたり笑ったりする次女にそっくりなのだ。

錦鯉と「こらだ」

雅紀くんはこころと体が区別されていない「こらだ」で生きてきたのかもしれない。ギャンブルを重ね、借金をしても返さないでいられる雅紀くんは、社会的には破綻している。剥き出しの自分で漫才をしている。それは小さな子どもも一緒だ。剥き出しの自分で泣いたり怒ったり笑ったり走ったりしている。とても危なっかしい存在だ。大人になるということは、「こらだ」から「こころと体」になるということだ。「こころと体」を区別できるようになると、問題を区別することができる。「痛いの痛いのとんでけ」と言っても痛さは変わらないし、学校行きたくないからお腹が痛くなることもない。ギャンブルで心を満たしたりしない。だけど、実際はそんなことはない。心とからだはどこかで繋がっている。錦鯉の漫才を観ると、分けられてつかれきってしまった「こころと体」を少しの間「こらだ」に戻してくれる。すると、こころも体もすこし元気になれる。

子育ては「こらだ」を相手にすること

前述のように次女はとても天真爛漫だ。一方で周りの大人をとにかく振り回す。大人が寝てれば上に乗ってジャンプしたりビンタしたりする。眠いと棚の中身を出してぐちゃぐちゃにする。着たい服がないと号泣してのたうちまわる。そんな剥き出しの「こらだ」に毎日付き合ってると、とにかく疲れる。時には怒鳴ってしまうこともある。でも、それと同じくらい、笑った顔や寝顔がかわいい。どちらも剥き出しの「こらだ」だ。雅紀くんを見てると、渡辺さんが子育てしているようにしか見えない。雅紀くんの「こらだ」に付き合って、可愛がってきたからこそ、錦鯉の今があるのかもしれない。


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