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「ん」のときに「レ」

長女の通っているピアノ教室の先生は、ポップスやジャズ畑の方で、私がやっていたクラシックのピアノの練習とは少し違う。ピアノを弾くだけではなくて、階名や歌詞を歌いながら弾く。そして、拍子を数えながら弾く。これがなかなか難しい。自宅では、ピアノなしで旋律にのせていち、にい、さん、よんと歌えるようにしてから、ピアノをつけている。最近娘は「ジングルベル」で壁にぶつかった。「すずがーなるー」「ミソドーレミー」のところ。「よん」の「ん」のときに「レ」を弾かなくちゃなくちゃいけない。確かに難しい。泣きながら練習する日が2日ほど続き、練習に誘うと「だってできないもん!」と怒ってしまうようになった。

そこから3日ほど、私は練習に誘えずにいた。次のレッスンで弾けなかったら先生に申し訳ないとか、練習させていないのが恥ずかしいとかの気持ちがもちろんあるけれど、それは大人の事情。ピアノの練習が嫌にならないことが何より大事。…と自分に言い聞かせながらぐっと我慢。苦し紛れに、私自身が旋律に合わせて「いちにいさんよん」と鼻歌を歌っていた。

ある日長女は突然ピアノを弾き始めた。そしていきなり「ん」のときに「レ」を弾けるようになったのだ。
ああ、彼女のタイミングはここだったのだ。
子どもを待つこと、やりたい気持ちがわきあがったときを逃さず応援することが子育てで大事なことなのだなあ、と痛感する。こんなことが何度もあったはずなのに、私は何かにしつこく誘ったり、繰り返し注意したりしてしまう。

長女が「ん」のときに「レ」を弾いた記念すべき瞬間には、夫も立ち会っていた。娘らを寝かしつけた後、二人でゆっくりしていたら夫が言った。大人には大人の事情があって簡単じゃないけれど、「そのとき」を逃す損失を、過少に見積もってはいけない、と。
夫はファシリテーションを学んでいるが、相手に何か投げておいて、相手のタイミングが来るまで放っておくことも、ときには大事らしい。私がピアノの練習に誘わずに、ただ歌っていたのは、図らずもそういうファシリテーションになっていたのかもしれない。

我が家には、無料で見られる映画や読める本がたくさんある。いい時代だと思う。それにも関わらず、「見たいとき、読みたいときを逃す損失を、過少に見積もってはいけない」と言いながら、夫は今日も映画や本を買う。

(Shino)

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