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適応障害発覚までのながれ
COCOです🎈
いよいよ・・・本題の「闘病体験談」に入っていこうと思います☆
今回は「病気の発覚までの経緯」を、ご紹介してまいります!
「つらいな・・・」「何かおかしいかも・・・」と感じていても、
我慢して、仕事や育児を、続けてしまったり、
なかなか精神科に行ってみようと、思えなかったり。
恐らく、多くの人にとって最大にして最強である、
病気の「発覚」という壁を、
私がどのように乗り越えたのかを、ご紹介いたします!
・・・と!堅苦しい感じは、ここまでです!笑
(ネット検索の対策で、始めは、硬い感じの文章にしてみました。笑)
いつもご覧いただき、ありがとうございます!
前回の記事にも、スキ!をありがとうございました!
今回も、ぜひ最後まで一読いただけたら、嬉しいです^^
ではでは・・・Let' Go☆
1、発病まで、どんな生活を送っていた?
かれこれ遡ること・・・約1年半。
私は、その当時、新卒2年目でした。
いわゆる、ペーペーってやつです。笑
2年目になり、
仕事を覚え(本当に若干ですがw)、任される仕事が増えてきたこと、
そして、初めての、"後輩"が入ってきました。
今までは、一番下っ端として、ひたすら教えてもらう立場でよかった。
でも、後輩ができたことで、
"先輩"としての背中を見せなければいけなくなったのです。
自分のタスクをこなすのさえ、白目をむいていたのに・・・
そこに「後輩のマネジメント」という、新しいタスクが舞い降り、
仕事量は、キャリーはオーバー、キャパーもオーバーな状態でした。
また「先輩なんだから、しっかりやらなあかん!!!」という、
謎のプレッシャーに駆られながら、
精神的にも、追い詰められていきました。
どのくらい追い詰められていたかと言いますと、
家に帰って、そっくりそのまま(!)、布団に直行し、
眠るだけ眠って、お風呂にも入れず、次の日また出勤・・・
なんていう日も、あったほどです。(うお・・・きたねえ・・・笑)
「ワタシ、平日に死んで、休日に生き返るの。」と、
当時、考えていたこと、思い出しましたよ。笑
2、発病の予兆はあった?
そんな生活を、かれこれ1年半ほど続けました。
今思えば、逆に、よく1年半もそんな生活をしたなあ、という感じですがw
そんな生活をしていましたら、まあね、体調は崩れます。
予兆は、ありました。
発覚の、1ヶ月ほど前からです。
主な、予兆の症状としては、
・酷い咳が続く※1
・微熱っぽい
・朝起きて、身体が鉛のように重い
でした。
※1 咳に関しては、後に受けた血液検査の結果、
「マイコプラズマ肺炎」だったことが発覚しました。
あまりの多忙さの上、
微熱ぐらいでは、逆に休みを取る方がめんどくさいという、労働環境。
朝の身体の重さも「まあ、仕事が嫌なだけっしょ!」と思っていて、
全く気にしていなかったです。
これだけ身体が、SOSを出していたのに、
なかなか気づいてあげられなくて、ごめんよう・・・!
昔の自分に会うことができるなら、一発ゲンコツをくらわせてやりたい。笑
3、どうして、発覚(自覚)したの?
そんなこんなで、不調が続き、1ヶ月。
いよいよ、しんどさに耐えられなくなってきた私は、
ある夜、彼に(またもや登場ですw)電話をします。
実は、ちょうどこの時期、仕事の他にも、
・家族のこと(ちょうど弟が受験生で、母の愚痴に付き合っていました)
・彼のこと(付き合ってまだ数ヶ月で、まだ気を遣いあう仲でした)
で、八方塞がりにストレスがかかっているような状態でした。
電話口で何を話したかは、もう忘れてしまったのですが、電話の後、
「ちょっと待って、私、彼と本音で話せていると思っていたけれど、全然、本音で話せていなくない?」「仕事も、家族関係も、上手くいっていなくて、彼しか居場所が無いのに、彼とも上手くいかなかったら、私どうなっちゃうの?」「・・・ワタシ、今、なんか、生きていて、楽しい瞬間、1秒も無クナイカ・・・?」
という考えが、頭の中に、ぐわあ〜〜〜〜〜っと、押し寄せてきました。
そこからはもう、悪い考えが、頭の中をグルグル。
考えが止まらなくなって、全く寝付けませんでした。
そこで、眠っていた母を叩き起こして(!)、
「私ね、今、生きていて何にも楽しくないの。何か私の中で、おかしなことが、起こっている気がする。今、人生の岐路に立っていると思うの。このまま無理をし続けたら、後戻りできなくなる感じがする。病院に、行った方がいいと思ってるの。」
と、号泣しながら、話をしました。
夜中に、むちゃ唐突に、ものすごい話をし出したわけですが(笑)、
母は、とても冷静でした。
「あなたは、いつか、こう言い出す日が、来るんじゃないかって、覚悟してたよ。お母さんは、大丈夫だよ。だから、病院に行ってもいいよ。」
そんな言葉を、かけてくれたのです。
小さい頃から、何かと心配性で、気弱なところがあった私を見ていて、
この子は、いつか、気を病んでしまうことがあるのではないか?
と、想像をしていたようです。(す、すげえ・・・の一言っす。笑)
母と話をし終えた後すぐ、真夜中でしたが、
大学時代に大変お世話になった恩師に、メールしました。
タイトルに、「助けてください」と添えて・・・。
4、初診までの道のりは?
朝一、恩師から返信がありました。
「助けてほしいと、声をあげられてよかった。
これからどうしたらいいか、一緒に考えたいから、まずは会おう。」
そう言っていただきました。
(もう卒業した分際だったのに・・・申し訳ないっす。)
大学の恩師は、DV被害や被災した方の支援を行っており、
いわゆる"心の病"に関して、どう対処したらいいか、
知識と経験をお持ちの方でした。
返信があった日の晩、母を引き連れて、大学の最寄り駅まで電車で向かい、
母を大学近くのカフェに残して、一人、恩師の研究室まで向かいました。
(当時は、一人で電車に乗って外出ができない程、衰弱していた為です。)
それから、恩師の研究室で、1時間ほど、今の気持ちをお話し。
私の話を聞いた恩師の見立ては、
「ちょっと、落ちちゃったわね。社会の波が大きすぎたんだね。
この様子だったら、病院に行けば、診断書を書いてもらえると思う。
診断書を貰って、仕事を休まなければいけないんだ、という理由を作って、
とりあえず、少しだけ、会社を休んだ方が、いい。」
でした。
自分としても「これ以上働き続けるのはムリ・・・」と感じていたので、
その見立てに、素直に従うことにしました。
ですが、その後、非常に難航したのが、クリニック探し。
心療内科のクリニックの診察は、基本、完全予約制。
近年、患者数も増えてきているので、予約は混み合っています。
「現在、初診の患者様は受け付けておりません。」という所や、
「初診のご予約は、1ヶ月以上先になります。」という所も、チラホラ。
(まあ、初診には特に、時間がかかりますからね・・・!)
そんなわけで、恩師と私とで、必死になって、
診てもらえそうなクリニックを、グーグル先生に聞きまくりました(笑)
何とか、自宅付近の、初診OKのクリニックを、いくつか見つけ、
クリニックをブックマークをして、その夜は解散。
翌朝、電話をして、予約状況を確認しようということになりました。
帰り際に、恩師から、
「明日、電話するとき、演技するのよ、演技!
もう死にそう、みたいな雰囲気を醸し出して、電話するのよ!」
とアドバイスされたこと、一生忘れられません。笑
翌朝、言われた通りに、渾身の演技をしながら電話をしましたが、
どこからも断られ続け・・・!笑
最終的には、メールフォームからメッセージを送ったクリニックに、
診てもらえることになりました。
ここまでの流れを、時系列に沿って、軽くまとめますと、
(1日目)彼と電話する → 自身の異変に気づく → 恩師にメール
(2日目)恩師から返信 → 恩師と面談 → 病院探し(with恩師)
(3日目)病院へ電話・病院から返信
という流れになります。
実はこの間、ほとんど眠れておりません・・・。
いやはや、きつかったねえ・・・。
5、次回予告
・・・はい!本日はここまでです!
私の母と、大学の恩師のファインプレーが爽快な体験談でした。笑
そして、無事にクリニックが見つかって、よかったですね〜
渾身の演技は、全く必要無かったですがね。笑
次回は「心療内科の診察ってどんな感じ?」について、
ご紹介できればと思っております☆
「心療内科に行ってみたいけれど、何となく怖いなあ・・・」
と、感じている方へ、
「全然怖くないよ!普通の病院だよ!」と、
背中を押せるような内容にできれば、幸いです。
続きが気になる方も、そうではない方も、少々お待ちくださいね!(え)
最後までご一読いただき、大変大変ありがとうございました!
COCO🎈
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