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COMFORT ZONE

2020年12月。僕は大手広告代理店を退社した。
2021年12月。僕は日本を離れ、ドバイに移住した。
2031年12月。僕は地球を離れ、月に移住している、、かもしれない。

奇妙な書き出しだけれど、今日は旅立ちについて書きたいと思う。

僕たちの心の中には、自分自身が「快適だ、安心だ、と思える心の状態」があり、その状態を無意識のうちに守ろうとしているらしい。とある人が、それを「コンフォートゾーン」と呼んでいた。

旅立ちは、この「コンフォートゾーン」から飛び出すことに他ならない。

僕は、14年間、広告代理店で働いていたけれど、僕にとっての「コンフォートゾーン」は、その会社そのものだったり、優秀なメンバーと仕事ができている、という自信だった。

実際、その広告代理店は、社員への待遇も素晴らしく、社会的意義のある活動も多く、世間で思われているイメージとは180度違うほど、快適な会社だった。僕はよく、自分の会社を「オレオみたいな会社なんですよ」と言ったものだ。「外から見ると、黒くて、中が白い」と。僕は幸せに暮らしていると確信していた。

だから、退社する同僚と別れるときは「彼はあまり良い環境に恵まれなかったのかな」と密かに思った。退社したあと、彼は代理店時代よりも幸せでいられるだろうか、なんて、余計な詮索もした。その心配は、善意のつもりだったけれども、今思えば、本当に善意だったのだろうか。
無意識のうちに会社に残る自分を肯定しようと、心が働いていたのかもしれない。「現状こそ、ベストチョイスである」と。

海外移住に対しても、似た気持ちを持っていた。
「すごいなぁ」と憧れながらも、無意識のうちに、海外に移住することへのネガティブ要素を探してしまうのだ。なんだかんだ、日本より良い国はないだろう、と。

だから、もし誰かが「地球を離れて、月に移住しました」なんて話をするなら、きっと「地球こそ最高の奇跡の星なのに」と思うに違いない。

1年前までの自分なら。

そんな僕が、広告代理店を退社して独立した。さらに1年後には、日本を離れて、ドバイに移住した。

引きこもりタイプの僕にとっては、その2つは革命的な出来事だった。何がそうさせたのか。それについては、また別の機会で話そうと思う。

今日は、原因よりも、そこから学んだことについて書いておきたい。

そう。
僕はこの1年の経験で気づいたのだ。
以前から感じていた、もやもやとした感覚。目の前にぶら下がっているのに、近すぎて見えない何かがあるような感覚。
その感覚が、コンフォートゾーンから飛び出すことで、はっきりと実感に変わったのだ。

ナンセンスなことにつきあうのは、もうやめていいんだ、ということ

広告代理店時代。大企業にありがちな、使いづらい社内ツールや、業務報告作業、回数が決められた面談、など、非効率だと感じながらも、やり過ごしていたことが、たくさんあった。

企画でも、プロデューサーとしての自分の領分を超えないように、他のプランナーのアイデアをつぶさないように、自分の意見を言わないように心がけた時期があった。相手の企画にのって、それをブラッシュアップすることばかり長けてしまった。自分のアイデアを抑えているうちに、無意識のうちに、考えることを停止するクセまでついていた。

独立して、ブレーキをかけなくて良くなってから、徐々に、僕の無意識は湯水の如く、アイデアを出すようになった。

もっと本質的なアイデアを。もっと精神的にも深いアイデアを。
つまり、僕にしか出せないアイデアを出せるようになった。

日本に対してもそうだった。
子供じみた国会。ありえない税制。デジタル化が進まない、行政サービス。考えると気分が悪くなること全て、目をつぶって生活してきた。

それらは、すべて些細なことだ。取るに足らないことだ。
けれども、変えようと思っても、なかなか変えられないことなのだ。

そういうナンセンスなことに付き合っていると、その世界に染まってしまう。非効率なことを、非効率だと感じなくなる。

非人道的なことを、非人道的だと思わなくなる。

汚いものを、汚い、と感じなくなる。

それどころか、どうして「美」にこだわるのか、その意味すら即答できなくなってしまう。

人助けすることに、理由を求めるようになってしまう。

常識やルールを変えることに時間をかけるよりも、「まぁ、世の中、そんなもんさ」と飲み込んでしまったほうが、賢い選択だ、と思うようになってしまう。

結果、いつの間にか「物分りの良い大人」に変わってしまうのだ。
僕は、まさか、自分がそうなっているなんて、思いもしなかった。

そうやって、僕のありとあらゆることが、堕落していた。

体を鍛えることも、心を鍛えることも、自分と向き合うことも、スキルを磨くことも、何もしないまま、なんとなく生きていた。

社会的には、十分立派な人間だと思っていたから。

ドバイに移住してからは、ほぼ毎晩、ホテルのサウナで本を読んでいる。
周りには、ボディービルダーのような外国人が座っている中、細い体の僕が、本を読んでいる。

コンフォートゾーンから抜け出したことで、現実が見えてきた。無意識のアイマスクが取れて、自分が本当に望んでいたことが「可能だ」と気づく。

本来の自分が持つポテンシャルを、全然使っていないことに気づき始める。目標ができて、自分を制することもできるようになる。日々の積み上げで、自分が変わっていくのが感じられる。

安心な場所で引きこもっているよりも、チャレンジして自分の領域が広がっていくときの方が、心に安定が訪れることにも気がついた。

ここなら大丈夫だ、よりも、
僕なら大丈夫だ、の方が強い。

そのためには、コンフォートゾーンの外に足を踏み入れて、「未体験」と戦いながら、汗かく日々を、笑いに変えていくしかないのだろう。


2031年 ──
月のクレーターに作られた巨大なインフィニティプールから、白い地平線の上に輝いて見える地球を眺めている。
「次、地球に帰ったら『昆布だし』と『日本酒』と『おいしい空気』を買って帰りたいね」
そんな話をしている僕らがいるのかもしれない。

今の僕には、衛星暮らしの良さなんて、わからないけれど。

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