そのギスギス感は、どこから?

一昨日、年末年始に向けて危機管理が必要ということを書いた。今回は、私がそんな話を書こうと思ったいきさつを書きたい。

帰りのバスでの出来事

その日は疲れていた。それで、いつもは15分ほど歩くのをやめて、駅からバスに乗って帰ってきた。
バスは仕事帰りの人で混んでいた。

あるバス停で何人かが降りた。多分40代と思しき男性で、降りたさそうな感じの人がいた。
バスの降車ドアが閉まった次の瞬間、この
人は降車ボタンを押した。

正直、私はこの人が、ここで降りるという確信が持てなかった。この人の動き出しが遅かったこともあるし、ドアのところでモタつく感じもあった。
だから私は「まだ降りる人がいますよ!」と言う気にはなれなかった。

バスは動く。そして次のバス停で何人か降ろす。先程の男性は、降りる人全体の中程で降りるのだが、降りる際にこう言い放った…

「さっきのバス停で降りたかったのに、何で勝手に閉めて動き出すんですか!」

これに対する運転手の返答は、ない。

いつ何を言うか?

この男性は、怒りをぶつけた。車内の空気が一気に悪くなった。

ところで、どうしてこの人はドアが閉まった時に「降ります!」の一言が言えなかったのだろう?

ドアが閉まった次の瞬間に降車ボタンを押す、というのは、時々、小学生がやる行為だ。その行為が100%今ここで降りたくてする行為ではない。
オマケに、そんな怒りの言葉を発することができるなら、どうして「降ります!」が言えないのだろうか?
「降ります!」の代わりに、例えば降りるために他の乗客に「すみません、通してください」でも構わない。

ともかく、ボタンを押すあたりで一言、何か言っていれば、運転手が気付いた可能性は高い。仮に運転手が気付かなくても周りの人々がこの男性に何らかの協力をしただろう。

キレる大人

怒りの言葉をぶつけたこの男性は、とりあえず怒りの言葉をぶつけるに留まって良かった、という見方もできる。
もし偶然カバンの中に入っていたカッターナイフでも取り出したら…
そこまでいかなくとも、運転手を羽交い締めにするとか、何らかの暴力行為に訴えることだってありうる。

この人、仕事は大丈夫?

とにかく、この男性は、自分の思い通りにならなかったことで怒りをぶつけた。おそらく、そんな怒りをぶつけたところで、この男性の気持ちは晴れないだろう。ムカムカした気分で、無駄にエネルギーを使って帰るのだろう。

ところで、ほんの一言「降ります!」とでも言っておけば、事態は随分と違ったものになっていたと思う。なのに、その一言を言わずにブチ切れていた。

この人、仕事は大丈夫なのかな、と私は思った。まぁ40代ということは、中間管理職くらいには、なっているのかもしれない。下手したらベンチャー企業の社長ということもありうる。
例えば、降車ボタンを押す代わりに、会議中にボールペンの後ろの部分を机にコツコツ鳴らしまくる。そして最後にブチ切れて怒りの言葉をぶつける。そんなことをしていたりするのではないかと私は察する。当然、そんな上司の下では働きたくない。そして、この上司のチームは業績が伸び悩む。
ひょっとしたら「早期退職のご案内」が、この男性のところにも届くかもしれない。実は既にこの日その通知をもらっていてムシャクシャしていて運転手に怒りの言葉をぶつけたのかもしれない。

まぁ、言いたい放題の勝手な推測だけど、こういう前置きナシに怒りの言葉をぶつける人は、要注意だ。関わらないほうが良い。

まとめと次回予告

ともかく、そんな出来事があって、一昨日前に「年末年始に向けて危機管理が必要」ということを書いた。とにかく危険人物からは距離を取るに越したことない。こういう、怒りの言葉をぶつける人は、避けるべきだろう。

しばしば、この自粛生活で「世の中が分断された」とか「二極化が進んだ」ということを言う人がいる。綺麗に分断されたのであれば、こういう怒りをぶつけるような危険人物とは住む世界が違うから安全ということになるのだろうけれど、まだ今はそれほど分断は進んでいないと私は思う。
その証拠に、私には、まだまだ避けるべき人がいる。そんな避けるべき人のことを、もう少し書きたい。

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