好きは嫌いになるまでのカウントダウンだ
あげスw社会に一石を投じるギャルことすまねんでス!今日は最近のアテクシの脳を支配している「好き」という感情について。
「好き」は恋愛においても友情においても尊い感情ですよね。人間関係を濃密にし、人生を盛り上げてくれる要素であると思います。
ここで一旦自分語りをさせていただくのだが、すまねんと言う人間は本当に元来めちゃくちゃ恋愛体質でして。ある特定の他人を「世界一好きだ!愛してる!一生一緒にいてくれや!」と思うことにそこまで時間がかからない。また、ひとつ恋愛関係が終わってしまっても、新しい恋愛を始めるのにそんなに苦労しないという感じ。(誤解のないように言っておくが、常に恋人がいた様な状態ではあったがそれぞれの交際期間はそこそこ長く、俗に言う「取っかえ引っ変え」していたわけではナシ。)
今、思い返すと愛し合っていた過去の恋人たちはもういない。1番近くにいたはずか今では他人以下、どこで何をして生きているかすら分からない。別れ方にもよるのだけれど、好きだったハズの人間が最終的にめちゃくちゃ嫌いになっていることも珍しくない。
私は真宵のこの言葉がすごく刺さった。積み上げてきたものを壊すのは、「もったいない」「時間の無駄だった」「こんなことになるなら最初から出会わなければよかった」という残酷すぎる感情にすらなってしまう。
そして今、私の恋愛体質は『治った』。治ったという言葉はおそらく適切では無いが、他人に恋愛感情を抱くまでのハードルが上がった(もしくは、抱けなくなった可能性すらある)。私の過去の恋愛の相手になってくれた人たちは幸運にも素敵な人たちばかりだった。色々なしがらみで離れることになってしまったが、大好きだった人が嫌いになる。もしくは他人以下の存在になる。その時の絶望、みたいなものがとてつもなく私を苦しめて、新しい人間関係を紡ぐことえの恐怖、そこまで心を侵食してきた。
―好きは嫌いになるまでのカウントダウンだ。
ここまでは恋愛にフォーカスを当ててみたけど、これは友情でも同じことがいえる。私は長い間心から友達とよべる友達に恵まれなかった。そんな時にできた親友は、ほんとうに私の人生を変えてくれた。「死にたい」って思う時間が激減して、自分が自分以上に他人の幸せを願えるってことに気付かせてくれたけど。
「好き」って、大きければ大きいほど、「嫌い」へと変貌する可能性を秘めている。好きのてっぺんに立ってしまったら、その上はなくて、現状維持かあとは下がるだけ。
失わないためには手に入れないことだ。これが私のリスクヘッジになってしまった。好きでいた時間は幸せだったけど、それ以上に失って悲しい思いをしたくないよねって話。ちなみにこれはすまねんの個人的な見解ね。
人は出会いと別れを繰り返して強くなるとかとまあ本当なのかもしれないし、たしかに「好き」が存在していた事実が消えるわけじゃないからね。
すまねんはブチ切れたり泣いたり感謝したりしながらもがいています。またいつか誰かを世界一好きになれる日が来ればいいとも思ってるし来なくてもいいかなっておもってるけど。
「好き」を伝えてくれる人たち、にはちょっと失礼な事をかいてしまったね。、でも好きになってくれてありがと。
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