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#43 斜めのいのち

お久しぶりね。クラブマゼンダへようこそ。ここのママをしている、マゼンダ・ダイアゴナルよ。

さて。って、急にかしこまるのも変ね。

空気を温めたいのだけれど、今の私にはその元気が無いから、本音を書いていくわね。

(下記内容にはセンシティブな表現が含まれます。拝読いただく際にはご自分の心と相談の上読み進めて下さい)

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私は、今日。命を絶つことを真剣に考えたわ。
これ以上、生きていても仕方がない。未来に希望なんて持てない。私がいなくても、世界は何も変わらないし、誰も気付かない。だからいっそ消えてしまいたい。

本気でそう思ったの。

とは言え、結局、いつも思うのよ。
離れて住んでいても、家族に迷惑をかける死に方を選んではいけない、だとか、親や兄弟はともかく、幼い甥っ子達には大きな心の傷を残すのでは無いかなんて。

って、ただの言い訳ね。
本音の本音は、死ぬことすら面倒くさい。
コレが本音よ。

ただ、、、。

私は何故ここにいるのか。分からなくなることがここ最近良くあるのよ。

特段、人に好かれる性格でもないし、まして人付き合いが上手いわけでもない私が、この街に来てもう2桁の年月が経ち、腹を割って話せる友人が、思い付かない。

それってすごく切ないことよね。
孤独はタバコより身体に悪いと言うけれど、まさにその通りだと思うわ。

私のバイオリズムは、去年最悪の所まで落ちて、今もまだ低浮上のまんま。と言うか、浮上しているのかすら怪しい感じなの。

そんな最悪な気分の1日の終わりに目にした一つの記事に私は目を疑ったわ。

「LGBTの自殺は本人のせい」「同性愛は後天的な精神の障害、または依存症」その他諸々、これが本当にオフィシャルな場面で人の目に触れる形で出されたことを疑うような、差別と悪意に満ち満ちた冊子が、自民党のとある議員連盟で配られたと言う記事。

自民党が、私達、性的少数派や障がい者、その他生活弱者を蔑ろにしてきたことは、これまでも何度も、何度も、嫌ってほど見せられてきた。

だからって、自民党を支持する方々を非難したい訳では決してない事をあらかじめ言っておくわね。

ただ、本当に悲しかったのは、本来人権を守り、ヘイトスピーチを取り締まる立場である国会議員の、それも与党の中に、この悪烈極まる文章を是とする人達が確かにいると言うことよ。

そして、どんな宗教法人なのかは、知りたくもないし、知るつもりもないけれど、「神道」を冠する団体がこの冊子を作ったってこと。

私自身は、無宗教だけれど、神様と呼ばれるような、高次元的な何かは信じているの。

「神道」と冠しているからと言ってその法人の人達が、ただの人如きが、本当に神の意志を汲み取れるとは私は思わない。まして、こんなちっぽけで、今にも潰れそうな国の政治家が、神の意志を知ることができるだなんて思いたくも無い。

それでも、私は、それまで信じていた神様に、少しだけ見放されてしまったような気がしたわ。

そして、少なくとも自民党が与党のうちは、この国から私と言う存在は、国民として価値のない物として扱われていくのだとそう感じた。

統計的に、性的少数派の人のうつ病の発症率や、自殺率は高いとされている。

だからと言って、皆が皆、病気になったり、自死を選ぶわけではないし、性的少数派じゃない人達だって、生きていく意味を見失う時はあると思うの。

だから、何も特別なことではないのだけれど、こうも明確に文章として、悪意に満ちた差別と偏見を目の当たりにするとさすがにMPが尽きるわよ。

私は、誰の力も借りずに生きてきたなんて言うつもりは無いけれど、人より何倍も自分の力でここまで生きてきたと言う自覚があるわ。

そのせいか、甘え方が上手では無いのよ。
そして、人はいつか離れていく、そう考えてしまうから、絶対的な何か。それは、例えば神様であったり、ご先祖様であったりするわけだけれど、そんな高次元な何かにすがったり、祈ったり、助けを求めたりして、なんとか生きてきた。

だからこそ、今回のその記事は、とてもショッキングだったわ。

私はこの先何を信じて、何にすがれば良いのか分からなくなった。

夜道を照らしていた月が、重たい雲で隠れてしまって、暗闇に包まれるそんな気分だった。

こんなボロボロな私が言うのも笑っちゃうけれど、貴方は大丈夫かしら?

貴方は一人じゃないなんて、簡単には言えない。

私が、顔も名前も知らない貴方の人生を照らせるなんておこがましいことを言える立場では無い。

けれど、もし。
もし、私と同じ様に傷付いて、ボロボロで、もう一歩も歩き出せないと感じているのであれば、一度立ち止まりましょ。

そして、前に進むのか、後ろに戻るのか、横に進むのか。

それは、明日の貴方に尋ねてみても良いんじゃないかしら?

それと、最後に私が、神様を信じる理由は、法典や聖書に書いてある言葉では無く、ふと目にしたドラマのセリフや、ふと耳に入ってきた音楽の歌詞に、メッセージが込められていると確かに感じる時があるから。

それこそ、私は、神界や霊界と交信できる様な能力は無いし、彼等の代弁なんて、とてもじゃ無いけど出来ないわ。

ただ、そんなふと目にした言葉。耳にした言葉が心に染みて、癒される瞬間。そんな時は、きっと誰かが見守っていてくれるのだと温かい気持ちになれるの。

そうね。生きていくってことは、辛いことの方が多いわ。たった一つの笑いのために、十も百も涙して、唇を噛み締めなきゃいけない。

それだけ、生きていくことは楽では無いし、気楽に生きろなんて私は言わない。

だけど、もう駄目だ。
そう感じたら、一度そこで立ち止まってみて?
そして、明日の貴方に聞いてみましょ。

貴方の人生は貴方のものよ。

どんなに国の中枢で、偉いことを言っている人間にも踏み躙る権利は無いし、そもそも、神は人をセクシュアリティ程度で裁かないわ。

だって、もし、セクシュアリティ如きで人類を裁いていたら、私が生まれてから、今日まで、何度人類は滅びた事か。

こんな事を書いていたら私にも少しだけ笑顔が出てきたわ。 

て事で、今日は閉店にするわね。

今日も来てくれてありがとう。また来てね💖

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