おばかにしか見えない世界

はじめまして。ふうです。
わたしが日々思う「頭いいなあ」と感じる出来事やおばかなりに想像を膨らませたことを、自分の備忘録的に書き留めていこうと思い立ってノートを始めました。
わたしは現在25歳ですが、頭は良い方ではありません。
四年制大学を卒業し、会社員として1年間働いたあと、好きなことに目覚めてフリーターを始めました。現在もフリーターです。


最近、仕事で「よく周りが見えているね」と褒められました。私はいままで仕事であまり褒められたことがなかったのでとても嬉しかったのと同時に、いつもと同じことをしているだけなのになぜ褒められたのだろうかと不思議になりました。

そこで最近気づいたことがあります。それは、私は人の行動に対して「なぜこの行動をしたのだろう?」の推理と答え合わせをするのが小さい頃からの癖だったということです。
私は小さい頃、自分と他人は違うと思っていました。これは自分が優れていて他の人とは違うという意味ではなく、自分が感じていることを必ずしも他人は感じているわけではないのではないか?とぼんやり思っていたということです。
こう書くと「価値観は確かに人によって違うよな」と思われると思うんですが、そんなに大きな話ではなく…大体の人が同じように感じるであろう「暑い」「寒い」という体感レベルの話でさえ私は「自分と他人は違う感じ方をしている」と思っていました。
なので、小さい頃は他の人が「暑いね」と言って、そこで「あ、この自分が感じていた暑さは他の人も暑いと感じる暑さなのか、私の感じ方は間違っていなかった」とある意味答え合わせのように他人の反応を自分の中にインプットしていました。
そうしたなかで中学生になる頃、大体の人が同じ反応を示す事柄と、人によって感じ方が違う事柄があることに私は気づいていきました。
例えばですが好きな先生や嫌いな先生、好きな教科嫌いな教科など…ただ私はそういった、人による違いがなぜなのか分からずきっと「数学好きなんだすごいね!」などの感想で終わるであろうところを「え?なんで数学好きなの?」とその理由にとても興味がありました。自分の中の考えとしては、それぞれの好き嫌いは人によって場合分けできるものなのではないかとぼんやり思っていたわけです。
人による感情の場合分け(こういう人はこう感じるなど)は結局のところいまも答えは出ていません。いわゆる「こういう人っぽい」という感覚のようなものだと私の中では理解しました。

そんなこんなで、今回仕事で褒められたことの理由を考えた時、私は「人を理解する」ということに昔から意識して取り組んできていたんだと気づいたのです。
つまり、今回「周りが見えている」と褒められたのは目に見える情報からこの後どうしたらいいかやお客様(私はBtoCの仕事をしています)が何を求めているかなどを推測するのが得意だったからだと納得しました。

とはいえ仕事に関してはまだまだなのでこれからもひたすら頑張らんとあかんですね!
ただ、このように普段の自分が評価されるのは本当に幸せなことだと思いました。自分は仕事ができない人間だと思っていたのでよりその幸せを感じましたという話です🙏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?