PERFECT DAYS 雑感
平山?
ジジイのなろう系?
一般に「殆ど喋らず片隅にいてただニコニコしているジジイ」が一目置かれるということはないのだが……
これが成立する、つまり平山の魅力を担保する「何か」はどこにある? 仕事に対する誠実な態度?
平山くらい「与えられた仕事(のみ)を誠実にこなす」人間はいくらでもいるのでは……
また同じくらい「与えられた仕事(責任)を超えた範囲について突然キレ散らかす」人間もいると思うが……
そういう人間は一般に「一目置かれる」のとはむしろ逆の扱いを受けるのでは?
役所広司さんの顔が良いからということなのか?!?!?!
では平山あるいはパーフェクトデイズ(の魅力・その存在を担保するもの)は平山の過去にある?
一般的な映画とかではこちらが採用されると思う、が……
その過去がめちゃくちゃふわふわしてる。「いいとこの坊ちゃんだった」くらいしか情報が無い
→ゆえに映画全体がなんかふわふわしてるように見える(見えた)
パーフェクトデイズ?
パーフェクトデイズ、侘び寂び、禅、あるいは困窮ギリギリの暮らしに幸福を見出す、のを成立させるためには、過去にそうではない暮らしをたっぷりこなしてないと成立しないのでは……という感覚がある
その過去が、描写めちゃふわっとしてる~せめてもう少しなんとか、なんとか……
妹と再会パートでやってたやん! →いやお兄ちゃん黙って相槌してただけですやん! という気持ち、何かこう、もう少し、な!
またパーフェクトデイズ、ボタン一つ掛け違えただけで一瞬でノットパーフェクトデイズになる
タカシに金貸して金欠になるシーンなど、タカシがバイトやめてシフト倍増など
現実にはより多くのノットパーフェクトデイズがあるだろう、これは上流階級でない限り皆さん理解可能な感覚では
というのを差し置いて、映画というメディア・場・器・装置・窓で「こんな風に生きていけたら」というのをやるのは、その、、、
小説というメディアでならまだ理解できたかもしれない、という気がする 映画、映画か……
てか小さく自分を仕舞い込む・折りたたむような静かな生き方に、映画製作に携わる人間が本気で憧れるのか?
かなり観光客的な態度の、「日本のパーフェクトデイズ、素晴らしいデース」感を感じてしまった。
本当にノットパーフェクトデイズすれすれのパーフェクトデイズでレストインピースまでいきたい、そういうのが素晴らしい! と本気で思ったのか? 素晴らしい! と伝えたかったのか? そうでないとするとこの映画はいったい……?
あるいは平山の言うところの「別の世界」の住人が「こういう人生も良いよね(笑)」みたいに言ってるような映画というか……知らんけど。
その他
アウトレイジの山王会の方との絡みもかなり強引(どうやって・どこで出会ってんねん)ですが、どう考えても「影って重ねると濃くなるんですかね? 分かんねぇなぁ(己が人生を振り返っての比喩的な台詞、だと思うんですが・まずこの台詞もかなり謎)」→「やってみましょうよ!」(は?)→「ええ……」(ドン引き)からのEXILE→影鬼、雰囲気すぎる
謎のホームレス、昼食ガン見OLの使い方合わせて雰囲気すぎる、、
10段階で10ッス! もその、変ではないですか?
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