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自己否定のビジネスモデル

  • 警察が目指す理想は「犯罪のない、警察のいらない世界」。

  • 病院が目指す理想は「病気のない、病院のいらない世界」。

警察や病院は本来
「自分たちが必要とされない世界を目指している」
いわば
「自己否定を生業としている」
そういう存在だと言えるでしょう。

したがって、

  • 社会から犯罪がなくなれば警察官は失業します。

  • 病気のない理想の世界が実現すれば医者や看護師は失業することになります。

警察官や医師や看護師などは、そうした「自己否定型」の職業に該当します。
しかし「自己否定型」の職業は、実際にはなくならずに存続しています。
おそらく未来永劫、人類があるかぎり存続するでしょう。

なぜなら

  • たとえベストを尽くしたとしても犯罪はなくならない

  • たとえベストを尽くしたとしても病気はなくならない

それがこの世の摂理だからと言えます。

こうしたメカニズムを
「自己否定のビジネスモデル」
と呼ぶことにしましょう。

「自己否定のビジネスモデル」
には、もっと巧妙な事例があります。

その1つが、かつての通信添削教育です。
(進〇ゼミみたいな)

現代は、インターネットで瞬時に情報をやりとりできるので、コスト構造も変化しています。
けれども、かつての通信教育は

 受講者は郵便で課題を受け取る
 ↓
 課題を解いたものを郵便で送り返す
 ↓
 添削されたものを郵便で受け取る

というスタイルになっていました。

このころの通信教育の受講料が
もしも受講者全員が100パーセント真面目に課題を送り返したとしたら、添削するコストが高くなりすぎて赤字になってしまう
そういう、矛盾するような金額設定になっていたことはご存知でしょうか。

通信教育の理想は受講者全員が真面目に受講すること。
しかし本当に全員が真面目だと、受講料が費用をカバーできず赤字になってしまう。

だからといって、はじめから
「100パーセントの添削に耐えるレベルの受講料」
にしてしまうと、高くなりすぎて受講者がいなくなります。

そのため、一定の「脱落率」があることをあらかじめ想定のうえ、それにもとづいた「適切な受講料」が設定されていました。

実際、多くの通信教育事業で、課題が返送される比率は5割を下回っていたようです。
半分以上が脱落していたのです。

言いかえれば当時の通信教育事業が成立つためには、半分以上の受講者が脱落することが必要でした。




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