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協力隊として生きる2/?

Salama(マダガスカル語の挨拶)
青年海外協力隊員としてマダガスカルに来て、2ヶ月が経ちました。
大学受験の時、やりたい事も夢も特に無いという理由で法学部を選んだ人間が、10年後には虫に怯えながらマダガスカルの山の中で息をしている。
人生何が起きるか分からないとはよく言ったものです。

マダガスカルに住んでみて、思うこと。
私に求められていることって何だろう???
(そもそも論)

要請には、生活改善活動をしてください、と書かれています。でも、生活改善という言葉は、私は出来る限り使いたくない。
あなたの仕事は何?と聞かれて、「人々がより幸せを感じられる生活を送るためのお手伝いをしに来ました」と今は答えているけれど、何と答えればいいのか、いまだに分かりません。
あと、立ちはだかる言葉の壁…。


マダガスカルでの洗濯は手洗いです。
もれなく私も手洗い。
現地の人々が楽しくお喋りしながら手洗いで洗濯する、こっちでよく見る光景です。
そんな日常を見ていて、「これも大切なコミュニケーションの時間かも?」と、ふと思いました。
楽しそうなんですよねえ、本当に。

確かに、生活が豊かになって便利になれば、洗濯機を買えるかもしれない。洗濯が一気に楽になって、他のことが出来るかも知れない。
でも、この時間は、無くなるかもしれない。

この景色を見ながら洗濯する時間がとても好きでした

本当に人々が必要としている「生活改善」って何なんだろう?そもそも、生活改善って何だ??
そんなことを考えるようになりました。

この答えを見つけるには、現地の人と同じ目線に立って、沢山沢山足を運んで話をして、ニーズを探り続けないといけないんだと思います。
本来私が関わるべき人達は、農村に住む、水道も電気もない家に住む人たち。だから、停電しようが断水しようが関係ない。
でも、私はやっぱり、停電も断水も、なったら困ると思ってしまう日本人。
そんな自分がどんな風に現地の人に向き合っていくべきか、考えさせられます。
ちなみにこの文章を書いている今現在も、絶賛停電中です(病んでそうとか言わないでください)

何が出来るか、分かりません。
何もできないかもしれません。というか、何もできない気しかしていません。
何が出来るか模索していたら気づいたら2年間が終わっていて、また福岡で普通に働いて、便利な生活を謳歌することでしょう。
やっぱり私は、日本が好きみたいです。
毎日毎日、虫とサイズ感が異常なミッキーマウスに怯えなくていい(そこ?)。

ですが、私がこの街に住むことで、人々のこれからの長い人生にとって何か良いことが1つでも生まれれば良いな、
そんな気持ちと共に、2年間目一杯もがけるチャンスを貰えたと思って、
ここで生きていきたいと思います。

tapitra


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