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格差社会って何だろう

世の中の格差はどんどん広がっているという。

さて、格差というと何を思い浮かべるだろう。

多くの方は「経済格差」「所得格差」などの金銭的格差を想像したのではないだろうか。

何百億と稼いでいる経営者がいる。YouTuberが動画で派手にお金を使っている。当選したばかりの政治家が、たった1日で100万円も貰ったらしい。

「あー。格差社会だわー。」

と嘆きたくなる気持ちもよくわかる。

しかし、冷静に世界を見渡してみよう。

「ジニ係数」という所得格差の程度を表す指標がある。日本は0.34とのこと。ちなみにアメリカは0.39、イギリスや韓国は0.36、世界平均は0.33だそうだ。この指標によると、どうやら日本の所得格差は、そこまで大きなものではないらしい。

そもそも格差云々の前に、日本は本当に素晴らしい国だ。ご飯はおいしい。自然は美しい。街も清潔。治安も良い。温泉だってある。何より人がいい。思いやりがあって、温かい。世界の中でも相当恵まれた国であることは、何処からどう見ても、疑いようがないだろう。

じゃあ、今の日本を覆っている、この筆舌に尽くしがたい閉塞感は、いったいどこからやってくるのだろうか。
もちろん30年間経済成長とは無縁で、デフレが続き、「今日より明日、明日より明後日はもっと良くなっている」というような、無条件の希望みたいなものは持ちづらい。


でも今回は、そういう通り一辺倒なことを書きたいのではない。最近始めたTwitterで、たくさんの方の発信を目にするようになり、より本質的な答えらしきものが、ひとつ見えたような気がしたのだ。

それは、金銭的格差という客観的な事実よりも、「情報偏重」による主観的な思い込みが、格差社会を必要以上に各人の意識に顕在化させ、助長する要因となっているのではないか、ということだ。

私は普段、YouTubeやm3などのメディアで発信活動を行っている。いずれにおいても、病院経営の事や、医療職の自己啓発などについて、動画を作成したり、文章を書いたりしている。
いわゆる「意識高い系」なコンテンツばかりだ。

よって集まってくる方々も、日々の自己研鑽を怠らない方が多い。
自分をもっと成長させたい、組織や世の中を、少しでも良くしたい、というエネルギーに溢れている。自身に必要な情報を、積極的に取りにいっている。自らの発信も、仕事や趣味にかかわらず、ポジティブな投稿が比較的多いし、人生を楽しんでいるように見える。そして、普段からそうした発信をしている方を好んでフォローしているように思う。

一方で、Twitterのタイムラインには、たまにフォロワー以外の方の投稿も出てくる。試しにちょっと覗いてみると、

「仕事に行きたくない」「辞めたい」「子育てつらい」「離婚したい」

などのネガティブな発信に終始している方がいる。

それ自体は全く否定しない。
Twitter上に苦しい気持ちを打ち明けることで、癒しになることもあるだろう。同じ悩みを抱えている人に、共感してもらえたりすることもあるだろう。SNSの使い方なんて、人それぞれである。

気がかりなのは、そうした人たちが、自分の目に映る世の中を、ひいては自分の人生を、自らが発する暗い言葉で、どんどん真っ黒に塗りつぶしてしまっていやしないだろうか、ということである。しかも性質の悪いことに、ネガティブな発信は拡散しやすく、人の目にも触れやすい。そうして、同じような人々を量産していく。


言葉の力は良くも悪くも大きい。人間の脳は、自分の本当の思いとは裏腹に、目にしたこと、言葉にしたこと、表情にしたこと、動作にしたことの影響を強く受ける。

つまり、「私はなんて不幸なんだ…」とつぶやき、暗い表情をして、肩を落として過ごしていると、そのうち本当に心身に支障が出てきてしまう。

逆に、少々つらいことがあっても、「私の未来は明るい!」と根拠なく言い放ち、満面の笑顔で、年齢の数だけ毎日ありがとうと言い、胸を張って歩いていれば、健康で充実した日々を過ごすことができる可能性が高まる。そして、そういう人のもとには、本当に明るい未来がやってくる。

幸せだから笑顔になるのではない。笑顔でいるから幸せになれるのだ。
不幸もまた然りである。

幸も不幸も、大抵が主観だ。自分の意志ひとつで、案外どうにでもなる。

どのような環境に身を置くか。
どのような情報を摂取するか。
どのような言葉を紡ぐか。
どのような表情や姿勢で日々を過ごすか。

全ては繋がっている。


インターネットが普及して20年。スマホを手にするようになって10年。
その間に、人が毎日浴びる情報は、500倍にも、1000倍にもなったと言われる。

ひとたびアルゴリズムの奴隷になってしまえば、情報偏重は悪化する一方だ。いずれそれは、主観的な思い込みの格差に変わる。その影響で、社会格差、金銭的格差が現実のものとなってしまう。
これは本当に恐ろしいことだ。

さあ、アルゴリズムの沼から意識的に足を洗ってみよう。
それは、自分にとってより良い環境を探し、本当に必要な情報を求め、言葉を前向きにし、周りを受け入れ、全てに感謝し、明るい表情や立ち振る舞いを心がけることから始まる。

そうした毎日の繰り返しこそが、素晴らしい未来を切り拓くはずだ。
少なくとも私はそう信じている。


しかし、残念だ…。
そのアルゴリズムのせいで、頑張って書いた私のこの文章も、とっくに主体的に行動している人ばかりに届き、本当に届けたい人にはきっと届かないだろう…。


…などと嘆いてはいけないのだ。そんなことをしたって一文の得にもならない。

少なくとも、この文章を書いた自分自身には届いている。

そう思えばいい。

そして、自分で自分に「いいね♡」をしておこう。

うん。今日も幸せだ。





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