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埴生の宿(はにゅうのやど)

これは私が会社務めをしていたころ、上司だったUさんという男性が、自身の体験談として語ってくれたお話です。

Uさんは大学時代、夏休みを利用してヒッチハイクでの四国一周の一人旅に出たのだそうです。
香川から愛媛、高知と順調に周(めぐ)り、徳島県に入ってまもなくのことでした。

予定していた市街地まで行く車にでくわさず、しかたなく途中の集落まで乗せてもらいました。
あとはまた別の車をつかまえて、その日の目的地までたどりつければと思い、通りかかる車を待ちながら山裾(やますそ)の一本道をとぼとぼと歩いて行ったのです。

しかし、行けども行けども車はおろか人さえも誰一人として通りません。
夏の日もすでに西に傾き、
あたりには夕闇の気配がか薄青く漂いはじめています。

このままでは野宿するしかないかと思いはじめたとき、行く手の道の脇から、ひとりの初老の男性が、がさがさと藪をかき分けながら出てきました。
麦藁帽子をかぶり、首にはタオルを巻いた農作業姿のおじさんです。

内心とても心細かったUさんは、その姿にほっと安堵の息をつき、声をかけ、事情を説明して一夜の宿を乞いました。
するとおじさんは、Uさんが思っていた以上にあっさりと応じてくれて、家はこの近くだからついて来いと言って、先に立ってずんずんと歩いて行ったのです。

おじさんのあとについて少し歩くと、けものみちのような細い脇道に入り、
その先には一軒の古い平屋の家がありました。

家に着き、おじさんが奥に声をかけると、割烹着姿の奥さんらしき人が顔をだしました。
おじさんが簡単に事情を説明すると、その女性も愛想よく対応してくれて、Uさんは無事に一夜の宿を確保できたのでした。

「何もないけど…」といいながら奥さんは、山菜をふんだんに使った手料理をふるまってくれ、おじさんも美味しい日本酒をすすめてくれます。

おいしい食事と野宿をまぬがれた安堵感、それに一日の疲れも加わったためか、Uさんは急に眠気を覚え、風呂の誘いも断って、その夜は早く床につくことにしたそうです。

あてがわれた部屋は玄関脇の六畳ほどの和室でした。
今は都会に出ている息子さんの部屋だということで、室内にはUさんと同世代の、子供時代の懐かしい品々が色々と残されていました。
まるで自分の生家にいるような、懐かしくもあたたかい心持ちでUさんは眠りについたのだそうです。

どれほど眠ったのでしょうか、Uさんはふと目を覚ましました。
あたりはまだ真っ暗です。
暗闇がすべての音を吸ってしまったかのような静けさの中、Uさんのいつになく敏感になった耳に、家の奥から廊下を近づいてくる、ふたつの足音が小さく聞こえました。

おじさんがトイレにでも行くのだろうかと思いましたが、それならば「ふたつ」というのが解(げ)せません。
あれこれと思い巡らせているうちに、ふたつの足音はUさんの部屋の襖の前で止まりました。

身を固くして薄目をあけながら、寝たふりをして待ち受けるUさんの目に、襖が細く開くのが見えました。
そして、そのすき間からは、真横にした顔を押し付けるようにして覗き込む、おじさんと奥さんの妖しく光る4つの目が、
暗闇ながらにはっきりと見えたのだそうです。

4つの目はしばらくUさんを吟味するように見下ろしていましたが、やがてそっと襖は閉まり、足音が家の奥へと遠ざかって行きました。
今のはなんだったんだろう?
Uさんは全身に鳥肌が立つのを感じつつ,、合理的な解釈を見出そうと必死に考えを巡らせました。

息子と年齢が近い自分が泊まったので、懐かしく思って覗きにきたのだろうか?
いや、それにしてはこんな真夜中にふたりそろってというのは可怪しいし、
なによりもあの異様な目の輝きは、尋常なものとは思えません。

そんなことをあれこれと自問自答していると、今度は家のどこかから、何かを擦り合わすような、シュッ、シュッという音がかすかに聞こえてきました。

それが実際は何の音なのかは解りませんでしたが、Uさんの頭の中では、子どもの頃に読んだ昔ばなしにあった、山姥(やまんば)が包丁を研ぐ音のように聞こえたのだそうです。
そう思い始めると居ても立ってもいられなくなり、Uさんは急いで荷物をまとめて、こっそりと家を抜け出したのでした。

まだ、夜の明けきらない薄明かりの中、Uさんは無我夢中で走って、なんとか元の一本道に戻ることができました。

誰かが追って来はしまいかと、何度も後ろを振り返りながら、もつれるような足取りで歩いていると、背後に遠く、ヘッドライトの明かりが近づいてくるのが見えました。

やってきたのは農機具メーカーの帽子をかぶったおじいさんが運転する軽トラックでした。
Uさんはなりふり構わず車を止めて、なかば拝むように頼み込んで、町まで乗せてもらっったそうです。

道すがらUさんは、昨日からの出来事を事細かくおじいさんに話しました。
おじいさんは怪訝そうな面持ちで、黙って聞いていましたが、Uさんが一通り話し終わると、次のようなことを話して聞かせてくれたのです。

昔あのあたりに、Uさんが話したような風貌の夫婦が一人息子と住んでいたのだが、ある年の夏、息子が川の淵で溺れて亡くなった。
残された夫婦はたいそう気落ちし、悲しんで、その後、数年とたたずにふたりとも病(やまい)にかかって相次いで亡くなってしまった。
残された家は今はす住む人もななく、朽ちるにまかせた状態になっているるはずなんだが……と言うのです。

そんな話を聞きながら、Uさんはふと、自分が今、猛烈な空腹状態にあることに気がつきました。
昨晩あれほど飲んだり食べたりしたはずなのに、丸一日なにも食べていないかのようにお腹が空き、喉が渇いています。

自分がお腹いっぱい食べたあの手料理や美味しいお酒も、あの懐かしくもあたたかかった一夜の宿も、すべて幽霊か狐狸(こり)妖怪の類(たぐい)が見せた幻だったことに思い至り、改めて愕然として、怖ろしくなったという、Uさんの若き日の夏の体験談でした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
テーマ回「宿・ホテルに纏わる怖い話」
2022.11.20

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