いこいの広場
これは、とある酒場で会社員の男性から聞いた話です。
その男性、吉田さん(仮名)は40代なかば、今の会社へは30歳からの途中入社でしたが、人当たりがよく仕事もできたので、めきめきと出世して、いまは課長の職にある人でした。
そんな吉田さんでしたが、ある日仕事上でめずらしくミスをしてしまいました。
すぐに気がついたので大事にはいたらなかったのですが、根が真面目で、完璧主義者のようなところのある吉田さんとしては、自分自身を許すことができず、モヤモヤとした気持ちのまま一日の仕事を終えたそうです。
帰りのバスを降りた吉田さんですが、その日はいつものバス通り沿いの道ではなく、少し遠回りの街川沿いの裏道を帰ることにしました。
実は、気分の落ち込んだ日やイライラした日には、この裏道の先にある小さな公園でひと休みして、気持ちを切り替えてから帰宅するのが、吉田さんのストレス解消法のひとつでした。
裏道は車1台がやっと通れるほどの狭いもので、夜には自転車や人の通りもほとんどありません。
10月上旬の少し肌寒さを感じる川沿いの道を、吉田さんは一人、鬱々とした気分で歩いて行きました。
やがて右手に、生け垣に囲われた公園が見えてきます。
石の門柱に掲げられた「いこいの広場」というプレートの金の文字が、街灯に照らされて、鈍く光って見えていました。
吉田さんはいつものように、入り口脇の自販機で缶コーヒーを1本買い、ゆっくりと公園内に入っていきます。
公園といっても本当に小規模なもので、小さなすべり台にブランコがふたつ、あとは二人がけのベンチが2脚並んでいるだけでした。
吉田さんはその日、いつも座るベンチではなく、ブランコの片方に腰を下ろしました。
缶コーヒーを開けて一口、二口と啜り、ブランコを少し揺らしながらぼんやりとあたりを見渡します。
秋の夜風にのって生け垣の根方からはさびしげな虫の音が聞こえてきます。
〈あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ〉
そんな中原中也の詩の一節を思いながら、吉田さんはブランコを前後に小さく揺すり続けていました。
目の前の道路と川を隔てた向かい側には、8階建ての古いマンションがありました。
うす明るい街の夜空を背景に、黒く四角いフォルムがそそりたつように浮かび上がっています。
その輪郭の中、こちら側に向かってずらりと並んだベランダの柵の縦線が、妙にはっきりと見えていました。
柵のむこうの窓には、点々とと明るい灯火(ともしび)がともっており、吉田さんの心にいっそう侘びしさを感じさせるのでした。
漫然とそんな情景を眺めていた吉田さんでしたが、マンションの4階のベランダのひとつに、男性らしき人影が立っていることに気がつきました。
背後の窓の明かりで逆光になっていて、黒いシルエットしかわかりませんでしたが、タバコでも吸いにでているのだろうと思ったそうです。
「あそこから、今こうしてブランコに一人座っている俺の姿はどんな風に見えているんだろう?
黒澤明の映画『生きる』の志村喬(しむらたかし)みたいに、さぞかし侘びしく寂しげに見えてるんだろうなあ」
そんなことをぼんやりと考えていた吉田さんでしたが、ふと、人影はその男性だけではなく、ほかのベランダにもいることに気がつきました。
その夜、マンションの窓の6割ほどに明かりが灯(とも)っていましたが、
気づけばそれらひとつひとつの部屋のベランダに、一人あるいは二人と人影が立っているのです。
男性、女性、子供や老人とおぼしき人影まで、窓の明かりを背に、みんなただ黒いシルエットとして佇んでいます。
全員微動だもせず、じっと吉田さんを見下ろしているようにみえました。
吉田さんは、疲れからくる幻覚だろうと思い、何度も目を瞬(またた)いたりこすったりしましたが、人影が消えることはありませんでした。
呆然と見ていると、やがてシルエットの片手が一斉に、徐々に前方へと上がりはじめました。
そして吉田さんを指さすようにしてピタリととまったのが、夜目にもかかわらずはっきりと判ったのだと言います。
その光景を見て、吉田さんはハッと我に返り、缶コーヒーを放り捨てて、転がるようにその公園から逃げ出したのだそうです。
「あれ以来、俺は素面(しらふ)では、よう家に帰れんのですよ。
夜道で、明かりの灯ってる窓という窓からみんなが俺のことを見て、指差して嘲笑(わら)ってるんじゃないかと思えて…、よー家に帰れんのですよぉ」と吉田さんは泣くように言って、ふたたび酒をあおったのでした。
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