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手暗がり

これは常連客の話として、あるアンティークショップのオーナーが聞かせてくれたお話です。

その常連客のMさんはフリーのライターをしていたそうですが、
とにかく昭和の古いものが好きで、特に昭和初期から40年代頃までのものを好んで集めていました。

好きが高じて、住居も築50年以上の木造アパートをわざわざ探して移り住み、家具や調度品もその時代のもので統一するという徹底ぶりでした。

仕事の都合上、パソコンやスマートフォンは持ってはいましたが、原稿はいまだに手書き派でした。
編集者からは、頼むからデータで送ってくれないかと再三言われていましたが、かたくなに原稿用紙に万年筆で書いていたそうです。
そのために万年筆のコレクションも数多く持っていました。

ある夜のこと、締切が迫っていた原稿が一本あったのでその日のうちに書き上げてしまおうと、彼は机に向かいました。
机は昭和10年代に造られたと思われる民芸調の文机(ふづくえ)で、両袖に抽斗(ひきだし)のあるどっしりとしたものです。

その前に正座して、抽斗から原稿用紙と、その日使う万年筆を選んで取り出し、机の左隅に置いた電気スタンドのスイッチをひねるというのが、彼の原稿を書き始める前のルーティンだったと言います。

その夜彼が選んだ万年筆は、前の週にフリーマーケットで見つけた
プラチナ#3776(サン・ナナ・ナナ・ロク)の初代モデルでした。
この万年筆は、昭和53年発売と、彼にとっては比較的新しいものでしたが、大きな14金のペン先と、太いエボナイト削り出しのボディが特徴的な、
ヘビーライター向けに開発されたモデルです。

さあ書き始めようと電気スタンドのスイッチをひねりましたが、明かりがつきません。
どうやら白熱灯が切れてしまったようでした。
あいにく電球の買い置きはなく、どうしたものかと思いましたが、原稿は短いものでしたので、部屋の明かりだけで書いてしまうことにしたそうです。

しかし、いざ書き始めてみるとなかなか筆が進みません。
もともと気乗りがしないので、締切間際まで伸ばしていたということもありますが、部屋の明かりだけだと、自分の頭の影や手の影などで手元が思いのほか薄暗かったことも一因でした。

原稿用紙の上にペンを持った手を置いたまましばらく書きなずんでいると、
彼はふとあることに気づいたのでした。

万年筆を持った右手、その手のひらが紙の上につくる小さな手暗がりの中に、彼のものではない、誰かの手書きの文字が仄白く浮かび上がっているのです。

何かの見間違いかと思い、両手で暗がりをつくったり、手を紙の上から遠ざけたり近づけたりしてみました。
その結果、ペンを持って書き始めようと構えた時だけ、手暗がりのなかに、その白い文字は見えることがわかりました。

手を置く位置を変えると見える文字も変わり、見えているのは手紙の一部分ではないかと思ったそうです。
Mさんは自身の原稿はそっちのけで、この謎の手紙の解読をはじめました。

暗闇にスポットライトを当てるうように、万年筆を構えた右手を少しずつずらしながら、その小さな手暗がりの中の文字を、一心に読んでいったそうです。

「で、どんな内容だったの?」とオーナーが聞くと
Mさんは少し悲しそうな顔をして
「遺書だった」とポツリと言いました。

「奥さんや子供たち、両親に、切々と侘びている遺書だった。
どういう事情だかしらないけど、死ぬ前にこのペンで書いたんだろうなと思うと泣けてきてね」とMさんはしんみりと言います。

「それでその万年筆はどうしたの?処分したの?」と聞くと
「いや、今でも使ってるよ」とMさん。

「プラチナ#3776を使ってたということは、俺と似たような職業の人だったかも知れんしね。そう考えると、このペンでもっといろいろと書きたかったんだろうなぁって思えてきてさ。弔いの意味もこめて、できるだけ長く使い続けてやろうかなと…」

「…でね、今は、食レポとか旅行記とか、できるだけ明るい題材のときに、使うようにしてるんだ」
そう言ってMさんは穏やかに笑っていたそうです。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
怪異体験談受付け窓口 六十五日目
2022.10..23

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