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最終回送バス

これは、路線バスの運転手をされていたAさんが話してくれた体験談です。

Aさんが運転手としてバス会社に勤務しはじめてからまだ間もないある日、初めてR病院線の遅番の乗務に就くことになりました。
R病院線は、市の南部にある大きなR病院前と、中心部にあるJRの駅のバスターミナルとを結ぶ路線です。

遅番は午後3時過ぎから乗務して何往復かしたのち、駅行き最終便で駅で乗客を降ろしたあとは、回送バスとして営業所の車庫に戻ってくるという乗務でした。
ちなみに最終便といっても、地方都市のことなので午後10時台が最後となります。

その日、点呼なども終わり乗務に向かおうとするとAさんは上司に呼び止められました。
「Aさん、今日R病院線の最終、初めてよね」
Aさんがそうだと答えると
「だったら注意というか、守ってほしいことが一つあるんよ。
最後こっちに戻って来るときに、途中のD寺前の停留所で1回停まって、ちょっとの間、降車ドアを開けてから帰ってきてほしいんよ。長い時間じゃなくてええから。
1分ほどでええからさ。まぁ、換気タイムと思ぉて…頼むな」
それだけ言うと上司はそそくさと行ってしまいました。

D寺前の停留所というのは、月に1回、D寺の縁日が開かれる日以外は終日乗降客の少ない、素通りすることが多いバス停です。
そんなバス停に夜遅く、しかも回送バスが停車するというのはどう考えてもおかしな話です。
誰かに理由を聞いてみようと思いましたが、乗務前の慌ただしいときだったため、
やむなくそのまま仕事に就きました。

つつがなくその日の乗務も終わりに近づき、いよいよ最終便となりました。
駅でお客さんをすべて降ろし、行き先表示を「回送」に切り替えて営業所へと向かいます。
やがてD寺前の停留所が見えて来ました。
ベンチもなにもない、バス停の標識だけが立っている小さな停留所です。

Aさんは言われたとおりにバスを停め、降車のドアを開けます。
こちらの地域のバスは中乗り前降りなので、降車ドアは運転席の左手すぐのところにあります。
そのまま暫く待っていましたが、開いたドアの先の暗がりからは涼しい夜風が入ってくるだけで、特に何事も起こらなかったそうです。
そのまま営業所へと帰り、この件は翌日にはすっかり忘れてしまっていました。

それから2、3日後、Aさんより少し後に入社したBさんが、同じR病院線遅番の乗務に初めて就くことになりました。
Aさん同様、呼び止められて上司にくだんの注意を受けていたようでした。
そしてその日の夜、Bさんは営業所に慌てて戻って来たそうです。

青い顔をしたBさんが語ったところによると、最終の回送でD寺前停留所にさしかかったとき、上司の言葉を思い出したそうなのですが、根が少しルーズなところがある人だったのと、加えてこの日は飲みに行きたくて少しでも早く帰宅したかったため、バス停を素通りしようとしたとのことでした。

すると突然、ピンポーンと降車ボタンのチャイムが鳴ったそうです。
驚いて急ブレーキを踏み、ミラーで車内を確認しましたが人のいる気配はありません。
それでも、もしかして体調不良などでシートに横になっているお客さんがいるかも知れないと思い、軽く悪態をつきながら運転席を出て、一番後ろの席までひとつつひとシートの間を確認して歩きましたが、降ろし忘れた乗客はいませんでした。

ただ、薄暗い蛍光灯に照らされた無人の車内に、降車ボタンの赤いランプがずらりと灯っている最後尾からの眺めが、ふと無性に恐ろしくなったのだそうです。
Bさんは慌てて運転席に戻って降車口を開けました。
そして、しばらくドアの方を見ないようにして時間をやりすごし、そのあとは這々の体(ほうほうのてい)で営業所に逃げ帰ってきたということでした。

後日、古参の運転手に聞くと、この最終便のD寺前停留所での「しきたり」は、かなり昔から行われてきたそうです。
「ただ厄介なんは、バス停を素通りしたからいうて、毎回降車ボタンが押されるわけじゃぁねぇことなんじゃ。
過去にも何人も素通りした運転手はおるんじゃけど、むしろピンポーンと鳴ることの方が少ねぇんよ。
まあ俺は恐てぇから言いつけどおり停まってドアを開けるけどな。
今回Bさんはハズレ、いやアタリかな?を引いたんよな」と笑っていたということです。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
テーマ回「仕事・職場に纏わる不思議な話」
2023.4.22


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