見出し画像

一人雛

これはMさんという20代の女性が教えてくれた、彼女のお母さんと雛人形にまつわるお話です。

Mさんの家は江戸時代から続く老舗の呉服問屋で、典型的な女系家族でもありました。
Mさんが知る限りでも、曾祖母の代から、代々女性が婿をとって家業を継いでいます。
そのような家の一人娘であるMさんも、幼い頃からお茶やお花、着付けなどを習わせられ、特に着付けは家業に直結するものとして必須科目でした。

この着付け、Mさんのお母さんには天性の才能がありました。
10代の頃からひとに教えるほどの腕前で、二十歳を過ぎるころには「あの人に着付けてもらうと、動きやすくて着崩れしない」と評判の着付け師として、結婚式場やお茶会の席などに引く手あまただったといいます。
20代後半に婿をとり、Mさんを産んでからも、店は古くからいる番頭さんと婿であるMさんの父親に任せて、自身はフリーの着付け師として活躍していました。

そのような家柄とお母さんでしたから、季節の伝統行事もとても大切にしていました。
ことに3月3日の桃の節句には、曾祖母の代から伝わる七段飾りの雛人形を飾るのをならわしにしており、Mさんも物心ついたころから、その華やかな飾り付けを毎年楽しみにしていたのでした。

ところがMさんが小学2年生のとき、この雛飾りにちょっとした異変がありました。
七段飾りの最上段に並んだお雛様とお内裏様のうち、お内裏様だけが誰も手を触れていないのに、朝になると少し動いているのです。

並んでいる女雛に背を向けるように斜めになっていたり、段の端の方に寄っていたりと、状態はさまざまでしたが、朝起きてみると動いていることが3日に一度くらいの頻度でおこるのでした。

当初、Mさんのいたずらかと疑われましたが、大人しい性格で、そのようなことをする子でないことは家族の誰もが知っていましたし、ほかにいたずらをするような兄弟もいないことから、この件は謎のままその年の雛祭りを終えたのでした。

そして翌年の立春を過ぎた頃、前年の異変などすっかり忘れて、Mさんはお母さんとともに、例年通り雛人形の飾り付けをしたのだそうです。
するとその翌朝から、さっそくお内裏様が動きはじめたのです。
しかもそれは日を追うごとに激しくなり、朝になると男雛は段から落ちていたり、果ては部屋の中央に転がっていたりと、怪異としか呼ぶほかはない状態になっていったのでした。

そんなことが続いたある日の深夜、Mさんは父親の大きな叫び声と怒声で目を覚ましました。
何事かと思い階下に降りてみると、暗い廊下でひどく酔った父親が、喚きながら地団駄を踏むようになにかを踏みつけていました。

声を聞いて同じように起きてきたお母さんが廊下の明かりをつけると、そこには、あの内裏雛を執拗に踏み続けている父親の姿があったのです。
どうやら、その夜は廊下の真ん中にまで移動していた男雛に、夜中に泥酔して帰ってきた父親が蹴躓き、怒りにまかせて踏みつけていたようでした。

Mさんは怖さと悲しさで泣きじゃくっていて、そのあとのことはあまりよく覚えていないそうですが、バラバラになった男雛を、なんとも言えない悲しい顔をして、無言で片付けていたお母さんの姿だけは、今でも鮮明に脳裏に焼き付いているのだそうです。

そして、それから数カ月後、Mさんの父親が亡くなりました。
深夜、泥酔して道路の真ん中に寝ていたところを数台の車に轢かれたのです。
Mさんが後日知ったところによると、入り婿だった父親は、慣れない商いや家風に馴染めず、徐々に酒に溺れるようになっていったのだとか。
それが、男雛が動きはじめた年あたりから酒乱の度合いがさらにひどくなり、断酒施設にでも預けるかと親族会議をした矢先の事故でした。

その後、お母さんは再婚することなく、家業と着付け師の仕事を両立させてMさんを育ててくれたのでした。
また、どういう心境かはわかりませんが、桃の節句には女雛だけになったあの雛人形を相変わらず飾り続けていたのです。

七段飾りの最上段の中央に、一人となった女雛が、口元から以前にはなかった白い歯をのぞかせて、穏やかな笑みをたたえている姿は、Mさんにとって今ではすっかり見慣れたひなまつりの光景になってしまったそうです。

しかし、そんな人形の姿を見るにつけ、自分の代にはささやかな内裏飾りでいいから、男雛と女雛がそろった新しい人形を飾りたいのだと、近々婿をとる予定のMさんはつぶやくように言って、この話を語り終えたのでした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
怪異体験談受付け窓口 七十三日目
2023.3.5

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?