追儺(ついな)の果て
私の母は昭和20年代の中頃、結婚前の一時期、兵庫県芦屋市のとあるお屋敷でお手伝いさんとして働いていたことがありました。
お屋敷には母のほかにも3、4人の使用人がおり、近所には同じように数人の使用人を置いているお屋敷がいくつもあったそうです。
これはそんなお屋敷のひとつに勤めていた、小林さんというお手伝いさんから母が聞いた話です。
小林さんが働いていたのは、昭和20年の大空襲でも焼失を免れた、古くからある大きなお屋敷でした。
当時屋敷に住んでいたのは60代のМ氏とその妻だけで