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オールの先

前回は岡山の山の学校の話だったので、今日は海の学校の話をします。

昭和の昔から現在まで50年以上にわたり、岡山県の南部、特に岡山市とその東に位置する瀬戸内市、備前市、玉野市などの市町村の小中学生ならば、ほぼ全員体験しているであろう学校行事に、「渋川青年の家」での宿泊研修があります。

「渋川青年の家」は岡山県玉野市にある県の施設で、5名以上の団体であれば一般成人も利用できますが、小中学生向けには「海事研修」という、海を教室にした校外学習プログラムがあることで有名です。
ロープの結び方や手旗信号などの室内学習のほか、地引網やカッター漕ぎなどの屋外体験学習を経験することができるのです。

また、余談ですが、この「渋川青年の家」は心霊スポットとしても有名なところです。
宿泊施設の二段ベッドから転落して亡くなった子供の霊が出るとか、グラウンドにある手旗信号をしている像が深夜になると動いて、日中とは上げている手が逆になっている…、あるいはグラウンドに女性の幽霊が出るなどの噂がまことしやかに伝わっているのです。

そんな施設での海事研修ですが、やはり参加した生徒たちの思い出に一番残るのは、カッター漕ぎ(昔はカッター訓練と言っていました)ではないかと思います。
カッターというのは全長9メートルほどの大きな手漕ぎボートのことで、それにクラス全員で乗って実際に海へと漕ぎ出すのです。
そして実はこれ、山の学校の「暗夜行路」と同様に、他県ではあまりやっていない珍しい体験学習のようです。

生徒たちは重さ1.5トンもあるカッターを、みんなで協力しあって浜から海へと押し出して、3キロほどの距離を約40分かけて漕いで戻って来るのです。
カッターには片側に6本ずつ、左右合わせて12本の大きなオールがついていて、1本のオールを2、3人の生徒が力を合わせて漕いで、団結力や思いやりの精神を養うというのが目的です。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここからは私が高校時代、部活の後輩のエリカさんという女生徒から聞いた話です。
彼女も小学6年生の時に、この海事研修を経験していました。
そのときのカッター漕ぎでこんなことがあったのだと言います。

当日、エリカさんの学校の生徒たち、総勢100人ほどは、クラスごとに「くろしお」「おやしお」「みちしお」と名付けられた3艘のカッターに乗り込んで海へ漕ぎ出したそうです。
お天気も良く、波もほとんどない絶好の日和でした。

エリカさんは当時、クラスでも背の高い方だったので、同じような体格で、仲の良かったリョウコさんという子と二人一組で、一番船尾にあるオールを漕ぐことになりました。

カッターには生徒たちと担任の先生のほかに、二人の指導の先生が乗って、その号令に合わせて声を揃えてオールを漕ぐのです。
エリカさんも直径10センチ以上もある太いオールの柄を、両手ですがるように持って懸命に漕ぎました。

最初はバラバラだった12本のオールの動きも、何度か漕ぐうちにしだいに揃ってきました。
その頃合いを見計らって、舟は浅瀬から沖へと舵を切って、瀬戸内海の穏やかな海へと出て行ったのです。

沖に出てしばらくたったころ、エリカさんは隣に座って漕いでいるリョウコさんの様子がおかしいことに気づきました。
リョウコさんは舟べり側に座っていて、うつむきがちにオールを漕いでいましたが、ちらりちらりと自分が漕ぐオールの先を見ては、またうつむいて懸命に漕ぎだすのです。
掛け声は弱々しく、表情は泣き出しそうでもあり苦しそうでもありました。

「どうしたん?しんどいん?先生に言おうか?」
エリカさんがそう声をかけると、リョウコさんは小声で「大丈夫」と答えてそのまま漕ぎ続けたのでした。
やがて、カッターは無事に浜へと戻ってきて、その日の屋外での学習は終了したのでした。

宿舎に戻ったころには、リョウコさんの様子も元通りに回復して、安心したエリカさんでした。
「さっきはどうしたん?船酔いでもしたん?」と尋ねると、リョウコさんは力なく笑いながらこんなことを話してくれたそうです。

「あのな、これみんなには内緒なんじゃけどな、わたし幽霊とかが時々見えるんよ。
さっきもな、沖にでたへんから、わたしらが漕ぐオールの先のへんにな、女の頭が浮かんどって、ずっとついてきとったんよ。

濡れた長い髪が、昆布みたいにゆらゆらーって波に揺れとってな、わたしら漕ぐたびに、その頭にオールの先がゴツン、ゴツンて当たりょんよ。

そっちの方をできるだけ見んようにして漕いどったんじゃけど、漕ぐたびに聞こえるゴツン、ゴツンいう音を聞いとったら、その音に合わせて今にも女がオールづたいにカッターに這い上がってきそうで、そうなったらどうしよう思うて、本当に怖ぉて怖ぉて…。

浜に戻ってきたらいつのまにかおらんようになっとたけど、オールを漕ぐ水音にまじって聞こえたあのゴツン、ゴツンいう音…、今も耳の底で鳴りょうる気がして…」
リョウコさんは震えながらそう打ち明けてくれたのだといいます。

エリカさんには幸いそのような音は聞こえず、オールがなにかに当たるような手応えも感じませんでしたが、その日の夜は、波音や自分たちの掛け声に交じるゴツン、ゴツンという音を想像して眠ることができなかったのだという、そんなお話でした。

最後に先程の余談の続きですが、「渋川青年の家」に伝わる怪異譚はどれも引率の先生が広めたのだという噂があります。
二段ベッドから落ちて亡くなった少年の霊の話は、まだ畳に布団を敷いて寝ていた子供が多かった時代、馴れない二段ベッドからふざけて落ちないようにという注意喚起のために、また、グラウンドの動く手旗信号の像や女の幽霊の話は、夜中に施設を抜け出す不届き者を防ぐための、先生たちの作り話が広まったというのです。

さもありなんという話ですが、この波間に漂う女の霊の話だけは、本当なのではないかと私は思っているのです。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
恐怖体験受付け窓口 百四日目
2024.2.10

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