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一時の感情と向き合わない、「メンドクサイ」は脳を騙そう

こんにちは、デザイナーのBです。
株式会社バイキングには新卒採用で入社した私ですが、早いものでもう5〜6年が経とうとしています。
PlayStationがおおよそ6年経て次世代版が発売されるような印象でいうと、結構感慨深いですね。もうそんなに経っていたんだと。

近年のゲーム業界は短期間でも特に技術の進歩が大きく、取り入れる表現手法も変わってきているため、それに応じた個々のスキルアップも促されているように思います。
スキルアップするには当然学習や検証の取り組みが必要ですよね。
でもそんな取り組みの際に現れてくる厄介な感情…ある人はあるんじゃないでしょうか。

そう、「面倒くさい」というやつです。


(頭では分かっているのに中々踏ん切りがつかない...ぐぬぬ...)
そんな人も一定数いらっしゃるかと思います。

前置きが長くなりましたが、今回は自身が面倒くさい感情に立ち会ったとき、どう自身を促し今日まで運んできたかを少し手短に話そうかと思います。

やる気こないにゃ…


まず最初に、私は何か新しい事を始めるにあたっては元々かなり『面倒くさがり』です。

初めてのことや未踏の分野においては、未踏であるにも関わらずそれまでの経験則や体験を基準にして判断を行う場合が多々あります。

多かれ少なかれ [慣れ/不慣れ]、[得意/不得意]はその経験に基づいています。

ある面においては、それ自体がその人の特性のようなものになっていくとも思うんですが。
これらを踏まえて脳で考えてしまうのが、[やりたいこと/やりたくないこと]、[メリット/デメリット]を分けて判断してしまうことです。

「面倒くさい」は突発的なお悩み衝動ともいえるので、考えたうえで自分にとってやりたくないこと、デメリットが多いことに比重を置いて脳が楽な方へと判断を下してしまいます。

では楽な方へ逃げないようにするにはどうすればいいのか...。

端的に言うと私自身それは、「頭で考えない」ことだと思っています。
決して空っぽで判断を下すということではありません。
「面倒くさい」という感情に至ってしまったことに問題はないかと思います。

自身の感情を理解したうえで、「ほんの少しだけやってみる」と多少なり最初のインスピレーションに身を任せて行動を行ってみるのです。


家から外に出ることが面倒くさいときには、ベッドの上で寛いでしまっているなんてことはないでしょうか?

ここで、「布団からでて着替えるところまで行ってみよう」と、一旦の区切りを見定めて設定します。
すると着替えられた時点で「せっかく着替えたのだし近所まで出かけてみようか」と、自分がベッドの上で想定していたことよりも前のめりに進んでいる場面に出くわします。

お気づきかと思いますが、少しの行動により脳を騙すような形を取っています。
これらは仕方なくでもなく、例えそう実際に思ってなかったとしても、思ってみて動くと不思議と事が進んでいくような体験なんだと感じております。


そうしていくうちに、次第に慣れて得意な分野や範囲は広がり自身のフィールド基盤のようなものが大きくなります。
振り返ると行っていることはシンプルに目の前のことを1歩ずつ行っているにすぎないかもしれません。

先を見据えての判断は大事だとは思うんですが、目の前のことを疎かに先を憂うのはまた話が違ってくると思うので、

「面倒くさい」から脱却するにはほんの軽い気持ちで踏み出てみることと、
行動力の源はインスピレーションに他ならないと思うので、そのアンテナを大事に扱っていくことがより良い成長の促し方だと感じております。


例え三日坊主になったとしてもその経験が巡り巡って別の形で活きてくることも経験上大いにありますので、

"一時の感情よりも思ってみて行動"
をぜひトライしてみてはいかがでしょうかー。