【ショートショート】幻の古代文明
もう何十年も前。ぼくの大学時代の話である。森という後輩がいた。こいつは決して馬鹿じゃない。九州では誰でも知っている進学校を卒業し、大学の法学部にはちゃんとペーパーテストで合格している。ただ彼には常識と人を疑う心が決定的に欠けていた。
人の知らないことを知っているのだが、普通に皆が知っていることを知らない。そして騙されやすい。茶箪笥を実家へ送るのに紙にくるんでポストの横に置いておけとか、モノクロテレビに赤、青、黄のセロハンをかぶせたらカラーテレビになるとか、渋谷駅のモアイ像はハチ公の弟だとか、ぼくたち先輩が言うめちゃくちゃを本当に信じてしまうのだ。
森もだいぶ痛い目に遭ったはずだが、にこにこと笑いながら九州の方言でしぇんぱい((先輩)、しぇんぱいと言いながらぼくたちに寄ってきた。だから、こちらも臆することなく、彼が社会常識を学べるよう存分に指導できたのである。
ある晩、ぼくは同学年の海谷(うみや)と一緒に森の下宿へ押しかけた。翌日のゼミの準備をしていたらしく、迷惑そうに迎える森。ぼくらは邪魔はしないからと言いつつ上がり込み、戸棚や冷蔵庫から勝手にいろいろ出して酒盛りを始めた。 今の学生もこんなことをやるのかわからないが、当時は普通だった。
ひとり机に向かう森。ふと彼の様子を見てみると、勉強の中身が変だった。全然法学部っぽくない。森に何やってるんだと尋ねると、明日のゼミで自由研究の発表をするという。中身は趣味でも何でもよく、決められた時間内にきっちり話ができればいいらしい。今風に言えば、プレゼンテーションの練習か。
その時、森が発表の準備をしていた内容が「古代文明について」。これは奴の趣味のひとつ。インカ、マヤ文明など遺跡が残るものから、アトランティスやムー大陸など伝説のものまで幅広く語ろうとしていた。
森は資料をのぞきこんだぼくへ誇らしげに言った。
「しぇんぱい、ここまでまとめれば完璧でしょう。世界中の古代文明をすべてカバーしとりますけん」
ぼくは素っ頓狂な声を出した。
「あれっ、おまえ大事なやつ忘れてるじゃん」
「えっ、何がないですか?」
不安そうな声を出す森。
「南極の古代文明はどうした?」
「南極?」
「そうだよ。一番進んだ文明を書かないと、話にならんだろうが。みんなに笑われるぞ」
ほら始まった、とニヤニヤしている海谷。 森はそれに気づかず、真剣な顔でじっとぼくを見ている。
「ずがーん。南極に文明があったとですか?確かに昔は氷がなくて、普通の陸地があったんですよね。どんな文明やったとですか?」
「おまえ、そんなことも知らんのか。古代の遺跡があるから、あんなにたくさんの国の探検隊が行くんだろうが。南極にあった文明を教えてやろうか」
ぼくは想像力をフルに発揮して、口からでまかせを教えてやった。それも事細かに。真剣にメモを取る森。
「しぇんぱい、さすがに物知りですね。で、この文明は、何文明と言われとるんですか?」
「ペンギン文明」
プッと、吹き出す海谷。
「ペンギン?ペンギンは鳥でしょうが?」
ぼくは、仕方のない奴だと言う顔をして説明した。
「もう一万年も前のことだからな。その当時もペンギンが鳥の名前だったかどうかは、わからんぞ。要は、一番優れた種族の名前が後世に語り継がれたということだ」
「なるほど」
すぐに納得する森。 いったい誰が語り継いだんだよ南極でと、ぼくは心の中で自分にツッコミを入れた。
「いやあ、しぇんぱい、今日は勉強になりますわ。来てもらって、ほんと助かりました」
「待てよ。と言うことはおまえ、同じ頃にあったあれも知らんのか?」
「あれって何ですか?」
「北極の文明」
北極には陸地なんかないが、もはや関係なかった。
「あちゃー、北極にも文明があったとですか。それは何ちゅう名前ですか?」
「白熊文明」
ノートに白熊、と書き留める森。 海谷がクックックッと笑いを噛み殺している。
「じゃあ、おまえは当然、この二代文明が激突したことも知らんのだな」
「えっ、戦争があったとですか?」
「そうだよ」
自分で言いながらも、ぼくはペンギンと白熊の戦争を想像することができなかった。
「何て名前の戦争だったとですか?」
「第一次南北戦争」
「第一次?」
「そう。第二次がアメリカのあれな。スケールは全然小さいけど」
「すごいですね。第一次と第二次って、一万年も離れてるじゃないですか」
本当にこの男は疑うことを知らない。海谷は笑いをこらえて、そのへんを転げ回っていた。小さな声で「くるちー」と言いながら。
「で、どっちが勝ったんですか?」
森の目は好奇心でらんらんと輝いていた。
「当然、白熊だよ。赤道見ればわかるだろ」
「赤道?」
「赤道はな、もともとこの大戦争の休戦ラインだったんだ」
「ほうー」
「で、赤道は南の方にだいぶ寄ってるだろ?それが、白熊が優勢だった証拠なんだよ」
「えっ?赤道って、地球の真ん中じゃなかったんですか?」
「あほ。地球儀ちゃんと見ろ」
ぼくは森の家に地球儀がないことに賭けた。まあ、あったとしても、彼を言いくるめる自信はあったけど。
「この第一次南北戦争には別の呼び方もあるんだよ。スケールでかいだろ、これ」
ぼくが言うと、森はメモを取る手を止めた。
「しぇんぱい、何て言うんですか、それ?」
「地球分け目の戦い」
「なんか、どこかで聞いた気が」
「天下分け目のって、関ヶ原のあれだろ?ああ、あれは日本人がパクったの」
「そうやってオリジナリティがないから、日本人は駄目なんですよね」
義憤にかられる森。 海谷は、先ほどから物も言わずピクリ、ピクリと間欠的に痙攣していた。もはや虫の息だ。
結局、夜明けまでぼくは森の資料作りに付き合った。 もちろん、悪い意味で。
そして、信じられます?あいつ、この内容を本当に大学のゼミで発表したんですよ。
初めはポカンとしていた教授やゼミ員たちもやがて爆笑し、教室は阿鼻叫喚の地獄絵図になったとのこと。
数日後。自尊心を打ち砕かれてボロボロになった森がぼくの前に現れ、恨めしそうに言った。
「しぇんぱい、しまいには訴えますよ」
すっかり忘れていた。森が法学部の優秀な学生で、弁護士志望だったことを。
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