赤木俊夫という森友公文書の改ざんに関わった人は自分のやった罪の罪悪感に耐え兼ね精神を病み自殺した事について

赤木俊夫という森友公文書の改ざんに関わった人は自分のやった罪の罪悪感に耐え兼ね精神を病み自殺した事についてだが、死ぬくらいなら罪を公に告白し刑務所で暮らした方が良かっただろう。捕まる恐怖に怯え罪悪感や不安で惨めに死ぬよりずっとましだったはずだ。罪を告白し刑務所にいた方がほっとしたはずだ。彼の場合。

彼の正義感は、中途半端だ。

結局、保身の気持ちもあったのだろう。だからこそ、自分が死んだ後に妻によってしか改ざんの事実を表沙汰にできなかった。

それから話は、少しそれるが自殺する人って普段あまり家族の仕事の見送りをしない人でも、家族の見送りをしてしまうんだよね。『いってらっしゃい』だとか、言葉を家族に吐いて家族が仕事や用事に行く姿を家とかから見送る。

なぜ?

それは、今が家族に会える、実際に見てられる最後になるかもしれないから目に、記憶に強く焼き付けるためさ。

私、矢城白也がかつて自殺するために飛び降りをする前、私は、そうしたからね。経験則から言っている。

まあ、私の場合は、今の医療の手術で死に損なったがね。

とにかく、この人は、周りの人を守るためだとか強制されただとかそういう理由で公文書の改ざんを一身に受け持ったのだろうが、

その姿は、かっこよくなどないし、英雄でもない。

情けないのさ。

仕方なかったのだろう。苦しかったのだろう。

だが、自ら死んだ以上、貴方は、ろくでなしの老いぼれだ。

貴方の心は、ろくでなしの老いぼれとかした。

残念だ。

だが、赤木さん、真実を記した記録を機械に残し赤木ファイルと呼ばれる。

巨悪に一矢報いる切り札を残したことは評価する。

だが、できるなら貴方は、生きて、その手で貴方自身の言葉を使い悪を正すべきだった。己が逮捕されようが。

貴方は、妻を、この世に置いてきぼりにして、逃げたんだ。自殺というのは責任を取ることにはならないんだ。それは、責任からの逃亡を意味する。

責任を取るというのは被害を被った何かに、弁償したり謝罪をしたり死んだ後ではなく生きたまま行い。生きたまま少しは苦しまなければならないことなんだ。死んでから文書などで謝罪するのは、責任を取ってはいない。自分は先にこの世から逃げるから自分に対しこれ以上相手は何もできないし関係ないから言っちゃていいよねって言う。

もはや他人事扱いしてるようなものだ。生きている自分や被害者を他人事としている。死んだ安全圏にいる自分目線で謝罪文やら動画なりを残しているのだ。

それは、責任逃れと変わらない。


さて、自殺した赤木さん、貴方は、

ダッセー奴なのは、自ら死んだわけだから間違いない。

だが、つらかったな。苦しかったな。本当に人生の結末近くは、ひどい人生を歩かされたな。

同情はするよ。

お疲れ様。