見出し画像

赤い部屋【白犀執筆作品/小説/ホラー/ミステリー】

-1-

「はぁ…… はぁ……」

日下部愛莉(くさかべ えり)は、ビルとビルの間の、抜け道のような場所に入り込むと、壁に手をついて座り込んだ。

辺りは暗く、周囲には人もいない。
いや、正確には、人がいないところに誘導されたのかもしれない。

(とにかく、ここでやり過ごして……
 ……!!)

街の音が、はるか遠くに聞こえて、代わりに、あの男のものと思われる足音が近づいてくる。

(どうしよう……
 なんで…… 私が何かした?)
 
必死に考えるが、思い当たることなど一つもない。
そもそも、あの男を見たことがない。
なのに、なぜいつまでも追ってくるのか……

「……?」

足音が止まった。
見える範囲にもいない。

「……助かった……
 そうだ、電話…… 電話しなきゃ……」
 
「それはできない」

「!!!」

デニムのポケットからスマホを取り出し、夫の名前が液晶に映し出された瞬間、愛莉は口を塞がれた。
男の手を引き剥がそうにも、すごい力でビクともしない。

「う…… うぐ…… ん……」

「中々楽しかった。
 死んでからも、楽しませてくれよ。
 クク……」
 
男はそう言うと、ナイフを持った右手をゆっくりと上げて、愛莉の喉元に置いた。


-2-

「ほんとにうまくいくのか……」

植松省吾(うえまつ しょうご)は、両手で頭を抱えながら言った。

デスクトップパソコンのモニターに映し出された映画は、
淡々とストーリーを紡いでいくが、まったく頭に入ってこない。

6畳の洋室に置かれた黒いテーブルの上には、缶ビールの空き缶が3本転がっており、顔は赤くなっているが、まったく酔えていない。

「なんであんなことしちまったんだろう……」

後悔しても意味はない。

もう一人の自分が言う。

やるしかない。

座ったまま動こうといない自分を立たせようと、いろいろな言葉を出してくる。

しかし、植松は首を横に振り続けた。

やるしかないのは分かっている。
今さら引き返しても手遅れで、時期に、嫌でも向き合わなければならなくなる。

「くそ……
 くそくそっ!!」

思わずテーブルを叩いてしまい、右手に痛みが走り、また後悔を一つ増やした。

「ったく……
 そもそもこんな能力さえなければ……」
 
思考力のほうも、もう手遅れだった。
ネガティブがネガティブを呼び、反芻モードに突入しており、植松自身は、それに気づいていない。
4杯目のビールが空になっても酔えないまま、植松は俯き、膝を抱えた。

やるしかない。

その言葉を、耳に残したまま。


-3-

「……ん……」

愛莉は、突然に意識が戻るのを感じた。

自分がうつ伏せになっているのは分かったが、なぜそうなっているのか、思い出せない。
それに、何か妙だ。

赤い。

視界入ってくるは、赤い色。
目を動かしてみるが、赤い色以外見えない。

「何……?
 ここ……」
 
「お目覚めかい?」

「……!」

突然声が聞こえて、思わず飛び起きる。

「……どうなってるの……?
 何? あなたたち……」
 
声がしたほうを見ると、壁際に男が立っており、さらに視線を動かすと、床に倒れている女性が1人見えた。

「どういうこと……?
 何なの、ここ……
 なぜ私はここに……?」

「あんたにも分からないか。
 となると、残る希望は、まだそっちで寝てる女だけだな」
 
髪をセンターに分けた、30代半ばぐらいの男が言った。
二重の目からは、強い意思を感じる。

「希望……?
 そっちの女性だけ……?
 ねぇ、いったい何の話をしてるの?
 ここはどこなの……!?」
 
「俺たちにも分からない。
 誰もね」
 
先程の男が、右の手のひらを上に向けながら言った。

「……誰にも……?」

愛莉は、男を警戒しながら、部屋全体に視線を向けた。
部屋は、どこを見ても赤く、以前家族で行った植物園に咲いていた、ダリアのような色をしている。
窓はなく、家具の類もなく、本当に何もない。

部屋の真ん中あたりには、先程見た女性がうつ伏せに倒れており、壁際には、人一人分から2人分のスペースを開けて、女2人と男4人が立っている。
つまりこの赤い部屋には、男4人、女4人、全部で8人がいることになる。

「そこのドアは開かないの……?」

愛莉は、自分が立っている位置の反対側にあるドアを指差しながら言った。

「開かない。
 ドアノブは動く。
 動くが、押しても引いても……
 ……このとおり、動かない」

先程の男が、ドアをガチャガチャと動かしながら言った。

「……」

「ん……」

うつ伏せに倒れていた女性が目を覚まし、顔を上げて、辺りを見回した。
反応は、愛莉とほとんど同じ。
そしてそれは、男が言った、ここがどこなのか、なぜ8人はここにいるのかを知っているという、最後の希望も打ち砕かれたことを意味していた。

「何なのよ……!!
 誰なの!?
 ここどこよ!! 出しなさいよっ!!」
 
たまりかねたように、壁際にいた女性の1人が叫んだ。
まだ幼さが残る若さからして、高校生ぐらいかもしれない。

「落ち着こう。
 といっても、落ち着いてなんていられるかって気分なのは、俺も含めて全員同じだと思うけど……騒いでも、ここから出られるわけじゃなさそうだしな」
 
先程の男が、腕を組みながら言った。

「あんた、随分落ち着いてるな……
 こんなわけの分からない状況なのに……」
 
肩までありそうな黒髪を、後ろで結んだ男が言った。

「一番最初に目が覚めたから、君等より少しだけ慣れてるだけだよ」

「結局……誰にも状況は分からないのね……
 ここがどこで、なぜ私たちがここにいるのか……」
 
「ああ、分からない。
 そこで提案なんだが……」
 
男は、壁から背中を話して、全員を見回した。

「俺たちの中で、自分の意思でここに来た人間はいないと思う。
 ということは、誰かに連れてこられたと考えるのが自然だ。
 連れてこられたということは、俺たちには、何か共通点があるのかもしれない。

 実は知り合いだけど、黙ってる……
 なんてこともあるかもしれない。
 けど、やましいことがないなら、隠す必要はないはずだ。
 
 状況を把握するためにも、協力してここから出るためにも、まずは、それぞれの名前と、ここで目覚める前に何をしていたか、できるだけ思い出して話してみないか?」
 
男の提案に、全員周囲を伺いながら、黙っている。
おそらく、誰かが声を発するのを待っているのだろう。

「……賛成よ」

誰も答えそうにない空気に耐えかね、愛莉が言った。
愛莉の言葉に、他の6人も静かに頷く。

「よし。
 じゃあ、俺から話そう。
 
 俺は、彩川一輝(さいかわ かずき)。
 コンビニのエリアマネージャーをしている。
 ここで目が覚める前は、仕事であちこちのコンビニを回って、店長を指導したり、相談に乗ったりしていたのは覚えてる。

 休みなく動き回って、かなり疲れが溜まっていて、車を運転中、信号待ちで寝そうになったり……でも、まあ俺が家が貧乏だったから、金に苦労した。今の仕事は忙しいが、相応の稼ぎもあって、やりがいもある。
 
 そんな毎日を送っていて……
 トラブルに巻き込まれたような記憶もない。
 だから、なぜ、いつのここに来たのかは、まったく分からない。
 簡単だが、そんなところかな。
 
 ああ、それと、俺はこの中の誰とも知り合いじゃない。
 全員はじめましてだ」
 
「……」

彩川が話し終わると、再び沈黙が訪れた。
三すくみのように、先に動いたら問題が起こるかのように、誰もが自分以外の人間をチラチラと見ている。

「……誰も話す気がないなら、順番に、時計回りで行こう。
 だから次は…… あんただ」
 
彩川はそう言うと、自分の位置から少し離れたところに立っている、1人の女を指差した。

「え……?
 私…… ですか……?」
 
指を指された女は、ビクっとして身を縮めた。
腰のあたりまである、サラサラとした黒髪と、儚さを感じさせる雰囲気と白い肌は、どこか幻想的で、ゲームやアニメのキャラのようにも見える。

「そう、あんただ。
 そんなに怯えないでくれよ。
 どのみち、全員話すんだ。
 
 俺もあんたたちも、ずっとここにいるつもりはない……
 そうだろう?
 
 だから、少しでも情報を集める必要がある。
 友達になろうってんじゃない。
 ここから出るために協力しようって話だ。
 頼むよ」
 
「……」

指名された女は、自分を抱くようにして服をぎゅっと掴み、俯きながら、口を開いた。

「塚口日菜子(つかぐち ひなこ)です……
 事務員をしています……

 友達と…… 食事をして……
 家に帰ったはずなんですけど……
 気づいたらここに……」
 
蚊の鳴くような声で、一気に言い終えると、日菜子は再び押し黙った。

「じゃあ次は……」

「私ね」

愛莉は、開き直ったように言った。

「そう、あんただ」

彩川は、愛莉のほうを見ながら言った。

「私は、日下部愛莉(くさかべ えり)。
 元看護師で、今はその知識や経験を使って、ブログに記事を書いたり、情報を発信をしてる。
 
 夫と娘がいるわ。
 覚えてるのは、友達と会って、食事をして……
 家に帰るところ……
 夜だったわ。
 
 空を見上げて、三日月が見えた……
 一番最近の記憶として思い出せるのは、それね……
 あとは、夫や娘と、トラブルもなく過ごしていたし、この部屋に来るような……そんな理由、いくら考えても心当たりがないわ……」
 
愛莉は、吐き出すように、一気に話しきると、右手を首の下あたりにおいて、深呼吸した。
手を置いたのは、ほとんど無意識だったが、昔から、落ち着かないときは、ここに手を置く癖があったのを思い出した。

「じゃあ次は……」

彩川は、愛莉の隣にいる、長い髪を後ろで結んだ、黒い服を着た男を見た。

「俺は……本谷玲二(もとや れいじ)……
 IT企業に……勤務してる……
 
 転職したばかりで……
 その…… まだ2日しか働いてない……
 でも、いい職場で……
 あんまり酒は飲まないんだけど、嬉しくて、1人で飲んで帰って……

 でも飲みすぎて……
 そこから、覚えてない……
 
 気づいたら、ここにいた……」
 
本谷は、誰とも目を合わせず、ずっと床を見ている。
話してる最中も、今も、まるでそこに何か、重要なものでもあるかのように、ずっと一点を見ている。

「本谷くん、でいいんだよな?
 なあ、ずっと下を見てるけど、何か見えるのか?」
 
彩川が、何気なく言った。
 
「……いや…… 何も……」

「そうか。
 何か見えてるのかと思ったよ。
 まあなんだ……
 男なら、話すときぐらいは前を見てほしいもんだな」
 
「……」

「別にいいんじゃない?
 そこは今、重要じゃないでしょ?」
 
「確かに重要じゃない、今は。
 けど、大事なことだと思うぜ、日下部さん」
 
「……」

「次は僕でいいのかな……?」

愛莉と彩川の間の空気を壊すように、男が言った。
誠実そうだが、肩が少し前に出ており、どこか頼りなさそうに見える。

「ああ、あんたでいい」

「僕は、輿石学(こしいし まなぶ)……
 ネット通販会社で、お客様対応をしてる……
 
 この部屋のことは、何も分からない……
 いつ来たのかも覚えてないし……
 覚えてるのは、彼女と……
 
 彼女が、初めて家に泊まりに来ることになってて、それで……ドキドキして、準備のことばかり考えてて……
 それ以外は……」
 
そこまで言うと、輿石は首を横に振って俯いた。

続けて、残りの3人……茂田千冬(しげた ちふゆ)、西海真穂(にしうみ まほ)、出原恭太(いではら きょうた)も、簡単に自分のことを話した。

千冬は、保険会社の営業をしており、最近彼氏にプロポーズされたという。
少しぽっちゃりとした、可愛らしい女性だ。
出会ったのがこんな状況でなければ、もっと魅力的に見えただろうが、今は、怯えるようにして体を縮め、顔を引きつらせている。

真穂は、18歳の高校3年生。
大学に受かり、高校生活の残りを、友達と過ごしており、こんな部屋は知らないし、来た記憶もないとのことだった。
顎ぐらいまでの長さのボブヘアで、活発な印象を受ける。

出原は、ずっと就職活動に失敗していたが、最近になって就職先が決まり、友達が祝いの席を設けてくれることになっていたという。
覚えているのは、その祝いの席が2日後で、仕事が始まったあとに役立つだろう本を購入し、読んでいたことぐらいで、赤い部屋のことは知らないし、どうやって来たのかも分からないという。
体つきは少し丸っこい感じで、親しみやすい印象を受ける。

「さて……」

全員の紹介が終わると、彩川は言った。

「これで、全員の自己紹介が終わったわけだが、誰か、実は知り合いって人はいないか?
 別に責める気はないから、もし知り合いがいるなら、正直に言ってほしい」
 
「……」

「いないか。
 じゃあまあ、全員初めましてだし、まだそれぞれがどんな人間なのかまでは分からないけど、協力して、ここを出る方法を考えよう。
 どうすれば、ここから出られると思う?」
 
「まって。
 そもそも、この部屋が何なのか。
 そこから考えたほうがいいんじゃない?
 この部屋はどこにあって、何のためのものなのか……
 なぜ、なんの共通点もない私たち8人が、集められてるのか……」
 
愛莉の言葉に、何人かが頷いた。

「なるほど、確かにそうだな。
 じゃあ、そこから考えてみよう」
 
彩川も同意し、少し考えてから口を開いた。

「この部屋は、なんで真っ赤なんだと思う?」

「この部屋を見ただけでも、部屋の持ち主の異常性を感じるわよね。
 窓もないし、家具も何も置かれていない。
 ドアは内側から開かない……」
 
「普通の部屋で、内側から開かないってあるか?」

「ゼロではないかもしれないけど、あまり聞いたことはないわね。
 普通に……私たちが暮らしてる家では、内側から鍵がかかる部屋はあっても、外からだけ鍵がかかる部屋なんて……」
 
「それってのはつまり……
 閉じ込めるためのもの……ってことだよな……」
 
「……そうね……」

「単純に考えれば、俺たちは異常者に捕まって、この部屋に閉じ込められている、ってことになる……
 でも……それなら誰かしらは覚えてそうなものだ、襲われたときのこととか、そういうのは……なんで、誰も覚えてないんだ……?」
 
「……ねぇ……あなた……
 日菜子ちゃん、だっけ?
 どうしたの? すごい震えてるけど……もしかして、何か知ってるの……?」
 
「何か知ってるなら……気づいたことがあるでもいい。
 思うところがあるなら、なんでもいいから話してくれ。
 さっきから、俺と日下部さんしか話してない」
 
「知らない…… 私は何も……
 知らないの……」
 
「……本当か?
 本当に何も知らないのか?」
 
「知らない……
 本当に……何も……」
 
「……目をそらしたな……
 本当は何か知ってるんだろ?
 話してくれ。
 
 この状況、分かるだろ?
 隠し事してる場合じゃないんだよっ!!」
 
「……!」

「ちょっと……!
 そんな言い方……!」
 
「何か知ってるはずなのに、この女が何も言わないのが……!」

『だいぶ荒れているようだね』

「……!!」

突然、8人以外の誰かの声が聞こえた。

この場にいて話しているのではなく、この部屋のどこかにスピーカーがあって、そのスピーカーを通して喋っているような、少しエコーがかかった声だ。

「誰だ……!
 おまえがこの部屋の持ち主か!?」

『さあ、どうだろうね。
 それよりも、君たちはなぜ、自分がこの部屋にいるのか、分かったかな?』

「出して!!!
 ここから出して!!
 私が何をしたっていうの!?
 人違いよ!!」
 
ずっと黙っていた茂田千冬が言った。

『残念だが、人違いではない。
 まずは、なぜ自分がこの部屋にいるのか……それに気づいてほしい。
 それが、次へ進むための……
 そうだな、クリア条件みたいなものだ』

「クリア条件……?
 は……くだらねぇ……ゲームのつもりかよ……!!」
 
『必要なことなんだ。
 思い出せ。
 この部屋で目を覚ます前に、自分がしていたことを……』

「それが分からねぇから苦労してるんだろうが……!
 思い出すなんて、まどろっこしいことをしなくても、おまえが教えてくれればいいだろ。
 
 ……おい!!
 ……っち……」
 
「なんだったのかしら、今の……」

「知るかよ……
 誰だか知らねぇけど、イカれてやがる……」
 
「……」

愛莉は、今の声で、余計に状況が分からなくなっていた。

ついさっき、彩川が言ったように、頭のおかしい犯罪者に捕まり、ここに連れてこられた……そう考えるのが、一番自然に思えた。

しかし、先程の声は、ここにいる8人を弄んでいるようには思えなかった。
少し挑発的な感じではあったが、悪趣味なゲームをして、一人ひとり殺していくような……そんなことを考えているようには感じなかった。

いや、もちろん、確証があるわけではない。
先程のよく分からない問いかけが、これから始まるゲームの序章なのかもしれない。
でもだとしても、さっきの問いかけに何の意味がある……?
この部屋で目を覚ます前のことを思い出させて、いったいどうしようというのか……

「ねぇ君……大丈夫……?」

出原が、日菜子に声をかけている。
日菜子は、先程よりもさらに体を震わせて、目の焦点も合っていない。

「……知らない……
 知らない……知らない知らない知らない知らない知らない……!!」
 
「ちょっと日菜子ちゃん……
 落ち着いて!!」
 
愛莉が言うと、ブツブツ言うのは止まったが、震えはまだ続いている。

「日菜子ちゃん……あなた……」

「うう…… うわぁぁぁぁっ!!!!」

突然の奇声に、他の7人はビクっとして、一斉に日菜子を見つめた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「日菜子ちゃん……」

「突然でかい声出すなよ……
 なんなんだいったい……」
 
「……私……私は……」

そこまで言うと、日菜子は気を失った。

7人は、気を失って床に倒れる日菜子を、ただ黙ってみていることしかできなかった。
7人とも、状況に頭がついてきていなかった。
考えようとするが、頭の中がぐちゃぐちゃと、何かがうねっているようになっていて、答えにたどり着かせようとしない。

もしかしたら、日菜子は何か気づいたのかもしれない。
そしてそれは、何か耐え難い現実だったのかもしれない。

そう思った瞬間、愛莉は、思わず自分を肩を抱くようにして、壁際に座り込んだ。
視界が狭く、少し寒くなった気がする。

何……?
私は何に怯えているの……?

分からない。
分からないが、愛莉は、これまで感じたことがない恐怖を感じて、そのままうずくまった。


-4-

「ちくちょう……
 なんで寝れないんだ……!

植松省吾(うえまつ しょうご)は、ベッドで何度も寝返りを打ちながら、最近疎遠になった睡眠に悪態を吐いた。
本当は大切で、感謝の言葉でもかけたいぐらいだが、何日間もそっぽを向かれていると、どんなに愛おしくても、さすがに悪態の一つも吐きたくなる。

最近、起きていても夢の中にいるような状態で、それは半分寝ていると言えるのだろうが、いざ寝ようとすると、ちっとも眠りに落ちていけない。

システムエンジニアである植松は、仕事の状況によっては、家に帰るのが夜の12時過ぎということも、それほど珍しくはない。そして翌日、睡眠不足のまま仕事をする。

だが、今の状況は、それとは比べ物にならない。
睡眠に嫌われる恐ろしさを感じたが、それ以上に、最近は、自分が誰かに尾行されたり、監視されたりしているのではないか、という気がしている。

それが現実なのか、睡眠不足と疲労からくる妄想なのか……コンピュータなら分かるが、人体のこととなると、植松にはさっぱりだった。

(もし…… もし監視されているのが現実だとしたら、思い当たる理由は一つしかない……
 でも、本当に…… 本当にそんなことあるのか……?
 
 彼は、協力しなければ俺も危険だと言ったが、冷静に考えれば、彼を解放したことなど、分かるはずがない……いや、解放されたことは分かっても、誰が、というところまで分かるはずがないし、本当の意味での解放は、まだ……
 
 けど……今さら後には引けない……
 ここで逃げたら…… また……
 いや、この逃げるは違うんじゃないか?
 いいんじゃないか? 逃げても……)
 
なんら結論が出ないまま、考え続けているうちに、時計は明け方の4時近くになっていた。

「またこの時間か……」

この時間になると、体が限界なのか、ウトウトとすることがある。
しかし、しっかり眠ることはできず、短い睡眠で深く眠っているわけでもなく、生殺しにされているような気分になる。

「はぁ……」

布団の上で上半身を起こし、顔を拭くように両手を当てる。

(もし、本当に狙われてるなら……
 協力しなければ、俺も助からない……
 狙われているのが、俺の気のせいだったとしても、その不安の元を断たなければ、それが間違いだと証明できなければ、たぶん、眠りはずっと、戻ってきてはくれない……それはつまり、じわじわと痛めつけられて、ゆっくりと死に向かっているのと同じ……)
 
「どっちにしても……
 元を断つしかないのか……」
 
何度か、やるしかないと覚悟を決めたが、できなかった。
しかし今、自分の死を身近に感じるようになって、あれこれ考えるまでもなく、覚悟が決まった気がした。

やらなければ死ぬなら、やるしかない。


-5-

「……リンクが切れてる……?」

明かりが消えた真っ暗な部屋で、男は、何かをひらめいたように言った。

10畳の和室には、テーブルとテレビが置かれているが、テレビをつけることはほとんどない。
テーブルの上には、ポットと急須と湯呑。
それと、5号サイズのロウソクが置かれている。

「……」

何となく、マッチを擦ってロウソクの火を点ける。
電灯にはない炎のゆらぎが、少しだけ気分を落ち着かせる。

ここ数日、妙な感じがしていた。
イラ立つことが多くなり、短気になっていたが、何が理由なのか分からなかった。

自分の中の気持ち悪さと、何かが数日前とは違うということ以外、手がかりもなく、思い当たる節もなかったが、ようやくそれが分かったのだった。

「自然に切れるとは考えにくい。
 誰かが切ったな……」
 
男は呟き、視線は真っ直ぐなまま、イメージに意識を向けた。
もし、その場所に、第三者がいたなら、男の姿は、かなり不気味に見えたはずだ。
視線は前に向いているのに、そこを見てない、何を考えているのか、次の瞬間にどう動くのか、予測できない気味の悪さがある。

「……誰だおまえは……」

男は、イメージの中に見えた相手に対して、呟いた。

「おまえが、リンクを切ったのか?
 何のために?
 なぜそんなことができる?
 どうやった?
 なんで……なんで……なんでなんでなんでなんでなんでなんで……!!!!」
 
男は、両手で髪をぐしゃぐしゃと掻きむしるようにしてから、テーブルを叩いたり、壁を叩いたりした。
汗が滲み、呼吸も荒くなる。

「ユルサナイ……
 おまえを調べて…… 調べて……
 必ず……報いを受けさせてやる……」
 
男は、体を震わせて、焦点の合わない目を床に向けると、再びイメージに意識を向けた。


-6-

赤い部屋の8人は、今や全員が座り込んでいた。

日菜子が意識を失ったあと、茂田千冬と西海真穂の2人が介抱し、日菜子は1分もしないうちに目を覚ました。
男たちは、どうしていいか分からなかったのか、動こうとせず、いつもなら、そんな男たちの態度を責めるはずの愛莉は、正体不明の恐怖と不安に飲まれて、膝を抱えていた。

「……日菜子ちゃん、何か思い出したの?」

千冬は、日菜子の肩を抱きながら言った。

「……」

日菜子は、女の子座りの姿勢で、視線は床に向けたままだったが、少し落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりと話し始めた。

「思い出したというのは、少し違うんですけど……
 でも、ここがどんな場所か、何となく分かった気がするんです……でも……でも……それを肯定することは、とても怖くて……」
 
「どういうこと……?」

「……でも、皆さんきっと信じません……
 今までもそうだった……
 誰も、私が言うことなんて信じない……」
 
「そんなことないよ。
 今まではそうだったかもしれない。
 だけど、今度は違うかもしれないでしょ?
 話してみないと分からないから。
 少なくとも、私は日菜子ちゃんの言うことを否定したりしないよ?」
 
「嘘……
 お父さんもお母さんも……私を信じなかった……
 麻衣子だけ……信じてくれたのは、麻衣子だけ……」
 
「お願い、日菜子ちゃん……
 話してみて?」
 
千冬は、両手を顔に当て、泣き出してしまった日菜子を抱き寄せるようにして言った。

「……ほんとに……信じてくれる……?」

「信じるわ。
 大丈夫よ」
 
「……じゃあ……話す……」

「うん。
 落ち着いて、ゆっくりでいいからね」
 
「うん……
 あのね……この部屋……
 たぶんこの世のものじゃない……」
 
「この世のものじゃない……?
 どういう意味?
 何かのたとえ?
 比喩的な意味の……」
 
「違うの……
 ここは……何か霊的な空間……
 幽霊が近くにいるときとか、幽霊が集まるような、そういう場所と、空気が似てるの……」
 
「は……
 おいおい、何を言い出すのかと思えば……この世じゃないって?

 じゃあなにか?
 俺たちは、あの世に連れてこられちまったってことか?
 もし本当なら、すごい話だな。
 ここから出た後、体験談でも書いたら、売れるかもしれないな」
 
「彩川さん……そんな言い方ないでしょ……!」

「深刻な顔して、そんな突拍子もない話をされたんじゃあな。
 しかたないだろ?
 あの世とか……そんなものありはしないってのに」
 
「建設的な話をするつもりがないなら、黙ってて……!」

「なんだ?
 じゃあなにか?
 その日菜子って女が言う、この部屋がこの世のもんじゃないって話が、建設的な話だっていうのか?」
 
「真面目に聞きなさいって言ってるのよ……!」

愛莉が、彩川を睨むようにして言った。

「へぇ。
 あんたも、あの世だ幽霊だって話を信じるのか?
 少しはまともに話せる女かと思ったんだけどな」
 
「じゃああなたは、この部屋が何なのか、説明できるの?
 日菜子さんが言うことは、確かに信じがたいことではあるけど、この妙な部屋の中にいると、そういう可能性もあるのかもしれない……そう思えてくるのよ……」
 
「ふん、そりゃあ精神がやられちまったからだろ。
 理解できない状況に置かれて、思考力が鈍ってるんだ。
 そうやって混乱させて、俺たちがおかしくなっていくのを見て楽しんでるのかもしれないぞ?
 俺たちをここに閉じ込めたやつはな」
 
「……もしそうだとして、どうしてそんなことするの……?」

「知るか。
 こんなことするってことは、そいつは、映画やドラマなんかに出てくるような、人を痛めつけて楽しんでる犯罪者だ。そんな頭のおかしい犯罪者のすることなんて、俺に理解できるわけがない。
 
 まあとにかく、こうやって俺たちは徐々におかしくなっていく。
 その女が言ったような、霊だのあの世だのって話だって、犯人はニヤニヤしながら聞いてるかもしれないぞ?
 つまり、その女の話を信じるってことは、犯人の思うつぼってことだ。
 ここは、もっと冷静に考えて……」
 
「……日菜子さんの言うこと、私は本当かもしれないと思う……」

愛莉は、視線を床に向けながら言った。

「みんなはどう思う?」

俯いたまま、呟いた愛莉の言葉に、全員ハッとしたような顔をした。
いや、正確には、彩川と日菜子を除く5人が。

「……私は、何か思い出せそうなの……
 でも、それを思い出したら、何かすごく、
 怖いことになりそうで……」
 
「……日菜子ちゃん……?」

愛莉の言葉に、日菜子はブルブルと震えだした。

「私は……知らない……何も何も何も……
 いや…… いやあぁぁぁぁ!!!!」
 
「……!!!!」

日菜子が叫び声を上げた、5秒にも満たない、その僅かな間に、愛莉は、先程まで覚えていた記憶の切れ目から、
本当に意識が途切れるまでのことを思い出した。
同時に、"そのとき"を思い出して、体が震えだす。

「私……私は……」

「いやあぁぁぁぁ!!!」

「うわぁぁぁぁ!!!」

それに呼応するかのように、真穂と出原が、この世の終わりのような叫び声を上げた。

「おい……!
 なんだよ……!
 なんで急に……」
 
彩川は、キョロキョロと、全員を見回すようにしながら、顔をひきつらせている。

日菜子は、目を見開いたまま、瞬きもせず、自分を抱くようにして震えている。
焦点が合っていないはずのその目は、何かを見据えているように動かない。

「……私……
 死んだんだ……あのときに……」
 
愛莉の言葉に、叫び声を上げた2人……真穂と出原は、体をビクっと震わせた。

「死んだ……?
 何言ってんだ、あんた……
 生きて、今俺と話してるじゃないか……」
 
彩川も、何かに気づいているのか、声が震えている。

「話してる…… 話してるけど……
 私は…… 殺されたの、あの男に……」
 
「殺された……だって……?」

「この部屋のことは分からないし、なんでここにいるのかも分からない……
 だけど、殺されたのは確か……」
 
「その男ってのは、誰なんだ……?」

「知らない……
 知らない男よ……
 人間とは思えない気味の悪い雰囲気を持ってて、私を刺す瞬間に、満面の笑みを浮かべて……」

「待ってよ……
 もし、あなたの言ったことが本当なら……なぜ私たちは、あなたのことが見えているの……?
 なぜ話せているの?
 
 死んでるってことは、幽霊ってことなんでしょ……?
 私は今まで、幽霊なんて見たことも感じたこともない……なのに、なんで……」
 
千冬は、半ば状況を理解しているようだが、受け入れたくないのか、責めるように言った。

「……みんな……死んでるから……」

放心状態だった日菜子が、呟くように言った。

「死んでる……?
 私も……?」
 
千冬が顔を歪ませる。

「冗談よしてよ……!
 私は死んでなんか……」
 
「俺だって……
 俺は、覚えてるぞ……!
 ちゃんと全部……全部……」
 
彩川は、激しく抵抗したつもりだったが、風船がしぼんでいくように、言葉から力が抜けて、最後のほうは、ほとんど誰にも聞こえていなかった。

「……ここにいる8人の……私たちの共通点は……
 全員が……死んでること……
 それもたぶん…… あの男に殺されて……」
 
愛莉がそう言うと、何人かが叫び声を上げた。
誰もが、すべてを思い出していた。
誰もが、それを受け入れることを拒否していた。
しかし、誰もが受け入れざるを得ない記憶を思い出していた。

「でも、そんなことあるかな……?」

輿石が、弱々しい声で言った。

「もしかして、僕たちをここに連れてきた人間に、そう思わされてるだけだとしたら……?」
 
「そうか…… そうだ、そうだよ!!
 そうに決まってる……!
 死んでるなんて、そんな……」
 
 
『ようやく気づいたようだね』

彩川の希望を打ち砕くような、冷静で淡々とした声が、再び部屋全体に響いた。

『君たち8人の共通点は、全員が死んでいること。
 もう分かっているだろう?
 君たちは、それぞれ異なる日、異なる場所で、ある男に殺されたんだ』
 
「あの男?
 そいつは誰なんだ……!
 なぜ俺たちを……!」
 
『君たちを殺した男の名は、西園寺良仁(さいおんじ よしひと)……これから、その男が何者なのか、君たちがなぜここに来たのか、どうすれば出られるのかを話す。
 私が何者なのかも……』

声の主はそう言うと、一呼吸置いてから、話し始めた。


-7-

西園寺は、テーブルの上に置いた一枚の写真に、タバコの火を押しつけた。
ジュッという音と、ゴムが焼けるような、溶けるような、嫌な臭いが鼻にまとわりつく。

「何のつもりか知らないが……
 僕の邪魔をすることがどれだけ罪深いことか……おまえにも教えてやるよ……!」
 
西園寺は、左側の口角だけが極端に上がった、歪な笑みを浮かべると、テーブルの上の写真に、何度も何度も、タバコの火を押しつけた。

「ふぅ……ふぅ……」

スマホの中にも写真はあるが、わざわざプリントアウトした。
写真を見ていて、衝動に駆られたとき、勢いでスマホを壊してしまうかもしれない。
そう考えてのことで、グチャグチャにしてしまうことも踏まえて、あと4枚、プリントアウトした写真がある。

「見つけて、捕まえて、どこに隠したのか、吐かせてやる……
 どんな方法を使ってもだ。

 吐かせたあとは、それが本当か確かめて、僕のモノを返却させて、それから…… フフ…… フフフフフ……
 たっぷり……ヒヒ…… 痛めつけてやる……
 
 痛がっても、泣き喚いても、痛めつけてやる……
 僕のモノを奪ったことを、たっぷりと後悔させてから、殺してやる……」
 
西園寺は、口の右側から垂れたよだれを、手で拭き取ると、椅子から立ち上がった。

「見つけてやる……
 逃げても無駄だぞ……
 僕には分かるんだ……
 ニオイが……」

バッグの中に、2本のナイフを入れると、西園寺は玄関のドアを開けた。


-8-

「西園寺良仁……?
 この男が犯人だと言うのか?」
 
黒い革製の椅子にもたれたまま、捜査責任者の小野は言った。
右手に写真を持ち、老眼鏡を少し上にずらして、写真と坂下警部の顔を交互に見る。

「ええ、そう思います」

坂下昇(さかした のぼる)は、上司である小野を見下ろすようにして言った。

「……そう思う?
 思うとは、どういうことだね?
 この男が犯人だということは、何か相応の根拠があるんだろう?」
 
「ええ。
 西園寺は、事件が起こっている周辺の土地勘があります。
 2年前に野良猫を殺し、300万円の罰金を課せられています。それから約1年後の6月12日には、女子高生に対する殺人未遂事件を起こしています。日下部愛莉が殺害された夜、周辺で見られた不審人物と、特徴が一致します」

「……殺人未遂事件は、犯人は見つかっていない。
 西園寺と決めつける根拠はあるのかね?」

「被害者から聞いた特徴は一致しています。
 どういうわけか、容疑者から外されましたが。被害者側に、多額の見舞金が支払われたという話もあります。
 被害者もその件について口を閉ざしているので、そうだと言い切ることはできませんが」

「西園寺は、確かに子供のころから問題があり、親も手を焼き、西園寺自身も、堅苦しい家の体質が嫌で、お互い同意の上で縁を切ったと聞いている。
 それなのに、1年前の事件で、西園寺の家が見舞金を払ったというのかね?」
 
「ええ。
 西園寺のためじゃなく、自分たちのためでしょう。
 話が公になり、縁を切っているとはいえ、犯人が自分たちの息子だと分かれば、世間からの風当たりが強くなることは間違いありません。
 
 資産家の息子が殺人となれば、週刊誌なんかは、格好のネタとして、連日家に押しかける。
 家柄を重視する西園寺家なら、そういった事態は何とかして防ぎたいはずです」
 
「……しかし、それが事実だったとして、日下部愛莉を殺害したのが、西園寺だとは限らないだろう」

「目撃情報もあります。
 本人にも話を聞いてきましたが、どこか挑発的で、犯人は自分だが、証拠はない。
 捕まえてみろという感じでした」
 
「それは君の主観だろう?
 西園寺を疑っているから……
 いや、殺人未遂事件で捕まえられなかったから、そのときの悔しさで、個人的な感情が強いんじゃないのかね?」
 
「個人的な感情が強いことは否定できませんが、それだけで決めつけるほど、私も愚かではありません。
 しかし今のところ、他の容疑者はいませんし、西園寺を調べるべきだと、私は思います」
 
「任意でも、まだ取り調べには早いぞ?」

「分かっています。
 だから、これから証拠を集めます」
 
「……分かった。
 だが、殺人事件は他にもある。
 ここ半年の間に、性別年齢問わず、8人の人間が殺されていて、いずれも犯人は捕まっていない。
 日下部愛莉は9人目……
 これは深刻な問題で……」
 
「9人とも、西園寺の仕業かもしれませんよ」

「なんだって?
 9つの事件、すべてが西園寺の仕業だと言うのかね?」
 
「ええ」

「その根拠は何かね?」

「残念ながら、勘だけです。
 でも、西園寺は狡猾で、身長な男です。
 殺人未遂起こし、同じやり方では失敗すると考え、さらに慎重になった可能性があります。
 そこいらの犯罪者なら、自分の欲求を抑えることができず、雑なやり方で行動を起こし、結果、すぐに捕まる。
 
 しかし西園寺は、自分の欲求を抑えることができる……
 楽しみを熟成させ、先延ばしにすることで、最高の味を得る……
 そういうタイプです。
 そういうことができる犯罪者が、稀にいるんです」
 
「しかし、殺害された9人には、何の共通点もない。
 年齢も性別も、外見的特徴も違う。
 共通の知り合いがいるわけでもない。
 犯人が同一犯だとしたら、いったい何が目的だというのかね?」
 
「西園寺が犯人なら……
 ヤツは、快楽型殺人犯の特徴を持っています。
 だから、殺人の目的は、快楽を得るためです。
 目についた相手を殺害している可能性もありますが、俺は、何か見えない共通点があるんじゃないかと思っています」
 
「……坂下警部、君に捜査の仕方を教えたのは私だ。
 基本に忠実に、確実な捜査方法を教えたつもりだし、犯人を決めつけで動くなと、何度も言ったはずだが……
 君は、客観的に見ているようで、やはり西園寺に固執している。
 もし誤認逮捕なんてことになれば……」
 
「証拠を見つけられなければ、捕まえはしませんよ。
 いくら個人的な感情が強くてもね。
 それに、小野警視正こそ、西園寺の家柄があれだから、遠慮してるんじゃないですか?」

「バカなことを言うな!!
 家柄がどうだろうと、殺人事件の犯人を放っておくことなどありえない!」
 
「その言葉、信じますよ。
 また、殺人未遂事件のときのようなことにならないように、ね」
 
坂下は、小野の部屋を出ると、自分のデスクに戻るために、エレベーターの下ボタンを押した。

「必ず証拠を見つけて、その薄ら笑いを消してやるぞ、西園寺……」

自分に言い聞かせるように呟くと、坂下はエレベーターに乗った。


-9-

『まず、私が何者なのか……
 そこから話そう』

声の主はそう言うと、ゆっくりとした口調で話しだした。

『私の名は、杉山英和(すぎやま ひでかず)。
 教育関係の会社をやっていた。
 そして、君たちと同じ、西園寺に殺された人間の1人で、最初の被害者でもある』

「最初の……」

『私が殺されたのは、半年ほど前だ。
 つまり、西園寺は約6ヶ月の間に、私を含む9人を殺害していることになる』

「半年で……9人……
 狂ってる……なんでそんな……」
 
『殺されてから5ヶ月ほど、私は、いわゆる地縛霊として、殺された場所に留まっていた。
 いや、好きで留まっていたわけではない。
 そこから逃れることができなくなってしまったんだ。
 その理由は、無念の思いが強かったから……君たちと同じように』

「君たちと同じようにって……
 どういう意味だよ……」
 
『私は、7歳のときに両親を亡くし、親戚の家をたらい回しにされながら、13歳のときから施設で過ごした。
 苦しいことばかりで、いいことなど何もなかったが、この状況を変えるためには、お金が必要だということだけは分かった。
 
 だから、お金の勉強をして、投資を学び、会社を立ち上げ、それなりの資産を築くまでに至った。
 自分の境遇に打ち勝ち、これからは、自分と同じような境遇の子どもたちを助けるために、自分次第で人生は切り開いていける……そんなメンタルを身につけられる場を提供しようと、新しいビジネスを立ち上げるつもりだった。
 
 充実していたよ、すごくね。
 これから、本当にやりたいことをできる、と。
 しかし、そのビジネスを立ち上げる4日前に、私は西園寺に殺された。
 そのときの無念は、言葉で表現するは難しい。
 それぐらい、死にたくない、ここで、今死ぬわけにはいかないという思いが強かった。
 その思いが、私を地縛霊として、この世に留めてしまった。
 
 君たちも、理由はそれぞれ違うだろうが、
 明るい未来が見えていたんじゃないか?』

杉山の言葉に、8人全員が、ショックを受けた。
ある者は泣き出し、ある者は拳を強く握り、ある者は怒りを顔に浮かべた。

『西園寺という男は、どうやら霊感があるらしい。
 それも、かなり強い霊感持ちだ。
 だからなのか、人が発している幸せな雰囲気を、人一倍感じ取ることができるみたいでね。
 そういう雰囲気を持っている人間を見つけ、殺害し、幸せのピークから、一気に絶望のどん底へ叩き落とす、殺人という方法を使って……
 
 ロケットが大気圏を越えて、宇宙にまで到達した瞬間に、エンジンが爆発して、そのまま地上に落下するような……

 そうやって、被害者のこれ以上ないほどの絶望を感じ取り、そこに、これ以上ないほどの快楽を覚える……
 それが、西園寺という殺人犯なんだよ』

「でも……それおかしい……」

「どういうこと、日菜子ちゃん……?」

「地縛霊は、その場所から離れられない……
 ずっと、無念を残して死んだ、その場所に囚われるの……逃れたくても、鎖で繋がれたように、そこから離れられない……
 生前の未練と、そこから離れられない怒りが増幅していけば、やがて、地縛霊は恐ろしい悪霊になる……」
 
『君の言うことは正しい』

杉山は、落ち着いた口調で言った。

『今度は、そのことについて話そう。

 私は、さっき言ったとおり、地縛霊としてこの世に残っていた。
 幸い悪霊にはならなかったが、通り過ぎていく人たちや、幸せそうな人を見ると、怒りを覚えることもあった。
 
 だが、殺されてから5ヶ月経ったあの日……
 1人の男が、私の前に立った。
 その男は、私がそこにいることを認識していて、それでいて、怖がってもいなかった。
 ただ、悲しげな顔をしていた。
 
 そして、私をそこから、解放してくれたんだ。
 私が、よほど哀れに見えたのか、このまま放置したら、悪霊になって危険だと思ったのか、そこは本人には聞いていないけどね。とにかく、私は解放された。
 
 体が軽くなって、成仏できるんだと思った。
 その男も、両手を合わせてくれた。
 だが、私は成仏できなかった。
 
 戸惑ったよ。
 私も、その男もね。
 しばらく考えた後、私と男は、理由に気づいた。
 
 理由は、西園寺だった。
 西園寺が、私との間に霊的な繋がりを作っていたんだ』
 
「霊的な繋がりってなんだ……?
 なぜそんなことを……?」
 
『繋がりは、そのままの意味だよ。
 そうだな、たとえば、AさんとBさんがいて、その2人の間に、糸みたいなものがある。その糸は、AさんとBさんの体内にまで伸びていて、2人を繋いでいる、という感じだ。
 
 私を解放してくれた男の話だと、その糸は自然にできるものではないらしい。おそらくは西園寺が、自分の霊的な力を使って作ったものだろう。どうやって作ったのか、それは分からない
 
 では作った理由は何か?

 そのときは分からなかったが、西園寺という男を調べて見えてきたことは、糸で繋がりを作ることで、地縛霊としての私の苦しみを感じ取り、
永続的な快楽を得ているんだろう、ということだ。
 
 殺人の瞬間に感じる快感には及ばないものの、糸を使って、他人の苦しみを、それも、自分が殺した被害者の苦しみを感じ続けることは、西園寺にとって、精神安定剤のようなものらしくてね』

「人の苦しみが精神安定剤……?
 どれだけ狂ってるの、その男……」
 
「確かに、自らの快楽のために殺人を犯して、死後も繋ぎ止めて苦しませ、快楽を得る……その行為は、ほとんどの人間には理解できないだろう。
 しかし、似たようなことを、君たちも見たことがあるはずだ」
 
「そんなもの日常にあるか?
 俺は見たこと……」
 
「……あるわ……」

「ある?
 あんた、元看護師だったな?
 病院にそんなヤツがいたのか?」
 
「違う……
 みんなも見たことがあるはずよ……人のちょっとしたミスや、言葉のチョイス……自分の考えに合わないからとか、ステレオタイプな正義を振りかざしたりして、平気で人を傷つけて、気持ちよくなってる連中……」
 
「……誹謗中傷……」

日菜子が呟くように言うと、愛莉は静かにうなずいた。

『そう……
 誹謗中傷する連中は、自分が気に入らないと思えば罵声を浴びせ、人を追いつめる。
 中には、そうやって自分のフラストレーションを発散している者もいる。
 自分のあり方を省みることもなくね。
 
 誹謗中傷された人が自殺をしても、死人に鞭打つように、罵声を浴びせ続ける。
 自らの欲求を満たすために殺人を犯し、死後も死者を繋ぎ止め、永続的な苦しみを与え、自らは快楽を得る…… 殺人という違いはあれど、本質的には、西園寺も誹謗中傷する連中も、それほど変わりはないということだ』
 
杉山はそこまで話すと、一呼吸置いてから、再び口を開いた。

『次はこの、赤い部屋のことだ。
 この部屋は、私を解放してくれた男、植松省吾が作ったものだ』

「何者なの? その植松って男……」

『システムエンジニアだが、子供のころから霊的な力を持っていたらしい。だが、そのことでイジメにあったりして、自分の力を嫌っていた。だから、そういった力の真逆にあるような、ITの世界に入った。
 
 ある日、仕事で遅くなって帰る途中、私を見つけたそうだ。
 植松は無視しようと思ったが、目が合った。
 私にも、この男は私が見えているというのが分かった。
 
 助けてくれと言ったよ。
 ここから出してくれ、解放してくれ、とね。
 それが聞こえたのかどうか分からないが、植松は、渋々といった感じではあったが、私を解放してくれた。
 
 しかし、さっき話したとおり、西園寺の糸があった。
 そこで私は、植松を半ば強引に巻き込み、西園寺を調べることにした。
 分かったことは、さっき話したことと、他に8人の人間を殺害していることだった。
 
 殺害された場所に行ってみると、予想通り、君たちは地縛霊として、そこに留まっていた。西園寺に繋ぎ止められたままね。
 
 そこで私は、君たちを解放し、協力して西園寺に対処しようと考えた。
 しかし、ただ解放したのでは、糸に繋がれたまま、成仏することはできない。何とかして、糸を切らなければならない。そのために、植松が作ったのが、この赤い部屋だ。
 ここにいる間は、西園寺との繋がりは遮断できる』

「遮断できる?
 ってことは、俺たちは今、その西園寺って男と繋がってないってことか?」
 
『そうだ』

「なんだよ、そうならそうと、早く言ってくれよ。
 それなら俺たちは、成仏できるんだろ?」
 
『残念ながら、そう単純な話ではない』

「え……?」

『確かに、ここにいれば繋がりは遮断される。
 しかし、糸が切れたわけではないんだ。
 一時的に、電波が届かない状態にしてある……ということだ。
 糸そのものは、繋がったままなんだよ』

「じゃあ…… じゃあ何のためにこんな部屋を……!」

彩川の問いかけに、杉山は少し黙ったあと、口を開いた。


-10-

(半年前の事件の目撃情報……
 再確認、あまり意味があるとは思えないが……)
 
坂下警部は、9件の殺人事件、すべてを西園寺がやったと仮定して、聞き込みや情報の整理をやり直していた。

今のところ、西園寺と特徴が一致する目撃情報は、日下部愛莉の1件のみ。
他の8人は、刃物で殺されていること、犯人が捕まっていないこと以外に、共通点はない。
刃物と言っても、それぞれ種類の違う刃物で、唯一同一の刃物で殺害したと考えられるのは、23歳の派遣社員、塚口日菜子と、卒業間近だった女子高生、西海真穂だが、これといって特徴のある刃物ではないから、同一犯と決めつけるには、少し根拠が弱い。

(やはり、他に共通点らしい共通点はないな……
 いや、連続殺人犯の特徴に囚われて過ぎてるのかもしれない。
 もっと別の視点から……)

プー プー

デスクで、事件の資料と向き合いながら、脳内を忙しく走り回っていると、内線が鳴った。

「坂下です」

集中を切らされたことで、坂下は少しイラ立ったような声で言った。

『坂下警部、受付に、お客さんです』

「お客さん?
 誰だ? 誰とも会う約束なんてしてないぞ?」
 
『西園寺という男でして、名前を伝えてもらえれば分かると……』

「西園寺だと!?」

大きな声と同時に立ち上がったので、刑事部屋のほぼ全員の視線が、坂下に集まった。

『あの……どうします?
 約束もないなら、帰ってもらいましょうか?』

「いや、すぐに行く」

坂下は、デスクから立ち上がると、1階の受付に急いだ。

(何のつもりだ……
 まさか自主? いや、それはありえない。
 何をしにきたんだ……)
 
「どうも、坂下警部」

受付に着くと、西園寺はニコリとしながら言った。

「……」

坂下は、壁際に顎をクイっと向けて、そっちに行くように促した。
西園寺は、特に抵抗することもなく、大人しく壁際に移動すると、壁に寄りかかって腕を組んだ。

「……何の用だ」

坂下は、睨むような視線で言った。

6:4で分けられた黒い髪、髭はきれいに剃られており、第一印象は爽やかに見える。
薄く唇は、少し情の薄さを感じさせるが、口角は上がっており、落ち着いて雰囲気がある。

だが、口角の上がり方が少しアンバランスだからなのか、坂下が西園寺の本質を知っているからなのか、どこか不気味な、嫌な空気を感じる。

「お願いがあってきました」

西園寺は、少し首を傾げながら言った。

「お願いだと?」

「ええ。
 実は、僕のことを嗅ぎ回っている人間がいるみたいで。
 ちょっと前から、何となくそんな気はしていたんですが、まあ気のせいかなと思っていたんです。
 でも、先日家の近くにいるのを見かけまして、声をかけようかと思ったんですが、逃げられてしまいました」
 
「男と女、どっちだ?」

「男です。
 面識はないですね。
 調べてみてはどうです?」
 
「なぜ俺に頼む?
 普通に警察に届け出ればいいだろう」
 
「そうですね。
 それも一つです。
 
 でもね、せっかくだから、調べてみてはどうかなと思ったんですよ。
 刑事さんは、僕のことを疑ってるようだし、ついでに僕のことも見張れる。
 悪くないでしょ?」
 
「……お得意の挑発か」

「挑発だなんて。そんなつもりはないですよ。
 ただ、そうしてもらったほうが、僕の身の潔白も証明できるんじゃないかと思って」
 
「……おまえを嗅ぎ回ってるって男の特徴は?」

「これをどうぞ」

西園寺は、シャツの胸ポケットから一枚の写真を取り出すと、坂下の目の高さあたりに差し出した。

「……この男がそうか?」

「ええ。
 差し上げますよ、この写真。
 捜査に役立ててください」
 
「……」

「じゃあ、僕はこれで」

西園寺は、最初と同じようにニコリとしてから、背中を向けた。

「……」

坂下は、西園寺が見えなくなると、写真に視線を移した。

西園寺は、なぜこんなことをする?
もし、この男が本当に西園寺を調べていたとして、いったい何のために?
被害者の誰かと知り合いなのか?

「坂下警部、大丈夫ですか……?」

受付の女性警官が、坂下の顔を覗き込むようにしながら言った。

「ん? ああ、大丈夫だよ」

坂下は、自分でも分かるぐらい、ぎこちない笑顔を返すと、刑事部屋に向かって歩き出した。

写真の男を調べることは、西園寺の思うつぼなのかもしれない。
だが、ヤツの性格を考えると、本当に何か重要なことなのかもしれない。
それを教えて、ゲームのように楽しんでいる……

(……いいだろう。挑発に乗ってやる)

坂下はそう決めると、写真の男について調べ始めた。


-11-

『君たちをこの部屋に集めた理由は……』

杉山は、今までよりも慎重に、言葉を選ぶように言った。
少しの沈黙のあと、覚悟を決めたように言葉を続けた。

『……西園寺を始末して、私たちが本当の意味で解放されるためだ』

8人とも、一瞬何を言っているのか分からなかった。
誰が質問するのか……そんな空気が流れたが、たまりかねたように、愛莉が言った。

「始末するって、どういう意味……?」

『……西園寺を、殺すということだ』

「……!!」

西園寺を殺す……

杉山の言葉を聞いた8人は、青ざめた。
相手は、凶悪な殺人犯。
死刑になって当然。
しかし、自分の手で殺すとなると、話は違ってくる。

「西園寺を殺さなければダメなの……?
 たとえば警察に捕まるとか……
 それで死刑になるとか……」
 
『現状、警察が逮捕に踏み切れるほどの証拠はない。
 つまり、捕まるのを待っていたら、いつになるか分からない。
 捕まったとしても、糸が切れるわけではない。
 裁判になっても、死刑になるとは限らないし、死刑だとしても、その判決が出るまで何年もかかるし、執行されるまでの時間も合わせれば、20年近くかかるかもしれない。
 
 仮にスムーズに死刑が執行されても、それで糸が切れるかどうかは分からない。
 その間、私たちはずっと、西園寺の糸に繋がれたまま、苦しみ続ける。
 そうなれば、私たちはいずれ悪霊になって、自分の大切な人たちを傷つけてしまうかもしれない……』

「そんな……」

「じゃあどうするんだよ……!
 死刑になってもダメなら、俺たちがやったって同じなんじゃないのか……?」
 
『いや、方法はある。
 そのために、君たちの力が必要なのだ』

「どういう意味……?」

『君たち8人と私、9人の想いを使って、西園寺に呪い殺す。
 九字法を使ってな』

「九字法……って……?」

「九字法は、日本でもよく知られている呪法の一つ……」

「日菜子ちゃん、知ってるの……?」

「うん……
 私…… 私も霊感があって……そんなすごい力はないけど、だから、黒魔術とか、そういうのも興味あって……」
 
「どんなものなの?」

「九字法は、2つのやり方がある……
 1つは、九字の印を結ぶ方法。
 臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前……そう言いながら、手でそれぞれの対応した印を結ぶ……
 
 もう1つは、縦に4回、横に5回、印を切る方法。
 2本の指を立てて、臨で横、兵で縦、闘で横……というふうに、格子状に虚空を切っていく……
 
 どちらも、自分の念を乗せて、憎い相手に送り込むことで、その相手を呪うことができる……その力が強ければ、殺すことも可能……」
 
「その九字ってやつ、映画かなんかで見たことあるけど……そんなこと、本当に可能なのか……?」

彩川が、怯えたように言った。

『可能だ。
 しかし、西園寺は強い霊能者でもある。
 だから、1人の力では敵わない。
 
 私たち9人のそれぞれの想いを九字に乗せ、それを放つことで、西園寺の魂を消滅させる……西園寺がもっている霊力を直接攻撃する……そんなイメージだ。
 そうすれば、糸も消滅する……』

「でも……一体誰が、西園寺に呪いをかけるの……?
 私たちの中に、九字法なんてできる人いないと思うけど……」
 
「九字を切るのは、植松だ。
 この赤い部屋は、植松と繋がっている。
 つまり、この部屋を通して、植松は君たちそれぞれの想いを受け取り、西園寺に呪いは放つ」
 
「それは、遠くからできることなの……?」

「いや、西園寺と対面でやらなければならない。
 遠くから飛ばす方法も、あるにはあるみたいだが、効果が弱まる上に、気づかれてしまう可能性もある」
 
「連続殺人犯だと分かっていて……
 そんな男と接触して、直接呪いを送るの……?
 その植松って言う人、どうしてそこまで……」
 
「それは、植松としても、他人事ではないからだ」

「え……?」

「さっき話したとおり、赤い部屋にいる限り、西園寺は糸から私たちの苦しみを感じることはできない。しかし、いずれそのことに気づくはずだ。
 
 西園寺にとって、他人の苦しみは精神安定剤……
 なぜかイライラする、なぜだろう……
 そんなふうに考えてるうちに、糸が機能していないことに気づくはずだ……
 
 私たちも、理由は分からないが不安を感じたりすることがあるだろう?
 そのとき、すぐに原因は分からないが、考えたり、出来事を辿ったりしているうちに、これかもしれないということに気づく。西園寺の場合、気づいて糸を確認すれば、機能していないことが分かる。
 
 そうなれば、なぜ機能していないのかを考えるだろう。
 そしてやがて、植松に辿り着く。
 邪魔しているものが植松だと分かれば、西園寺はためらいなく、殺そうとするはずだ……だから、彼にとっても、他人事ではないのだよ……」
 
「それってよ、あんたが植松って男を巻き込んだせいなんじゃないか?
 あんたが成仏したいがために、西園寺を調べさせたから……」
 
「それは否定しない。
 確かに、私は植松を巻き込んだ。
 だが、このまま西園寺を放置することもできなかった。

 さっきも言ったが、糸に繋がれたまま苦しみ続ければ、成仏することもできず、私たちはいずれ悪霊になる。
 そうなれば、大切な者を、自らの手で傷つけてしまうかもしれない。それに、西園寺は……放っておけば、もっとたくさんの人を殺す。もしかしたら次の犠牲者は、私たちの大切な人かもしれないんだ……!」

「でも……殺すって……
 法に任せないってことは、それって、私たちも人殺しってことに……」
 
『私たちはすでに死んでいる。
 そんなことに縛られることはない。
 あとは、気持ちの問題だけだ』
 
「気持ちってなんだよ……
 その西園寺ってやつを殺してやるって想いか?」
 
『それも一つだ。
 だが重要なのはそこじゃない。
 西園寺を始末する理由……それを自分の中に見出すことだ。
 
 私に言われたからやる、ではダメなんだ。
 そんな想いでは、九字法を使っても成功しない。
 私たちはそれぞれ、自分なりの強い想いを持って、西園寺に立ち向かわなければならない』

「理由……
 強い想いを持つ理由……
 相手を殺すほどの……」

『いきなりそんなことを言われても、難しいのは分かっている。
 私も、覚悟を決めるのに少し時間がかかった。
 ゆっくり考えてくれ……
 と言いたいところだが、あまり時間はない』

「時間が……?」

『西園寺が、君たち8人の糸の異常に気づくのは、時間の問題……
 いや、もう気づかれてるかもしれない。
 そうなれば、ヤツは植松を探し出し、殺そうとするだろう。
 植松が殺されれば、私たちだけではどうすることもできない……』

「君たち8人って……あんたの糸はどうなってるんだ……?」

『私は赤い部屋の外にいる。
 西園寺に気づかれないように、ヤツを調べ、この部屋を作り、君たちを集めるためには、私の糸を遮断するわけにはいかなかった。
 
 それをやってしまえば、ここまで準備をする前に気づかれ、計画が潰れてしまう可能性があった。だから、私は地縛霊として囚われていた場所を拠点として、植松と一緒に動き、西園寺を調べた。
 
 慎重にな……
 下手に近づけば、大胆に動けば、強い霊感を持つ西園寺に気づかれてしまうからな。
 
 だから私は……
 
 ……!!』

「……?
 どうしたの……?」
 
「植松が助けを求めてきてる……
 危険が迫っているのかもしれない……

 私は行く。
 植松を死なせるわけにはいかない。
 君たちは、さっき言ったことを、よく考えてくれ。
 ヤツを……西園寺を始末するために……」
 
 
杉山の声が聞こえなくなると、8人はそれぞれ、先程の言葉について考えた。

強い想いが必要だと、杉山は言ったが、コップに水を入れるように、これぐらいと量が決まっているわけでもない。

そして、強い想いを持つ目的は、西園寺を殺すため……
人を殺すために、強い想いを持つ……

「俺さ……」

全員が黙り込んでいると、長い髪を後ろで結んだ、本谷玲二が口を開いた。

「今の会社に入る前、ずっとブラック企業にいて……
 ほんとに酷い会社で……
 幹部連中にとっては、社員は替えのきく駒みたいなもので、壊れたら交換すればいいみたいな感じでさ……
 
 精神を壊して辞めていく社員が、何人もいた……
 俺も、壊れそうだった……
 自殺も考えたよ……
 けど、辞めて新しい会社を見つける自信もなくて……
 
 でも、あるとき、俺より先に入ってた先輩が、この会社はいずれ潰れる、我慢したところで、良いことはなにもない、怖いかもしれないけど、おまえも早く辞めたほうがいいって……
 ここの仕打ちに耐えられたおまえなら、どこへ行ったってやっていけるって、そう言ってくれて……
 
 先輩が辞めた次の月に、俺も辞めて……
 中々次の仕事は見つからなかったけど、必死に勉強して、とにかくたくさんの会社に応募して……
 
 100社以上落ちて、やっと決まったのが、今の会社だった。
 嬉しくてさ……
 すごくいい会社で、アドバイスしてくれた先輩にも連絡して、今度飲もうって、そんな話をしてて……やっと、俺の人生上向いてきたと思ったのに……」
 
「私は……」

今度は、8人の中で一番若い、高校3年生の西海真穂が口を開いた。

「中学のときまで劣等生で、よく馬鹿にされてた。
 だけど、お母さんが……あなたは大丈夫、やれば出来る子なんだからって、できることからがんばればいいのって言ってくれて……
 
 私、必死に勉強して、高校に入ってからも、ずっとがんばった……
 家、あまり経済的な余裕がないのに、私が頑張ってるのを見て、お父さんもお母さんも、大学のお金を出してくれることになって……試験にも受かって、いつか2人に恩返ししようって……そう思ってたのに……」
 
「俺もな……」

彩川が、これまでと違った静かな口調で言った。

「家が貧乏でな。
 子供の頃は、それが原因で嫌な思いもたくさんしたよ。
 世の中を恨んだり、親を恨んだりもした。
 自分は何も悪くないのに、なんで馬鹿にされなきゃいけないんだって。
 
 でも、高校を卒業して働きだして、自分で稼げるようになってからは、自分次第でどうにでもなるんだって、少しずつ分かってきて……何回か転職もしたし、ハズレの会社に入ったこともある。
 
 でも何とかがんばってきて、コンビニのエリアマネージャーにまでなって、ようやく経済的にも少し余裕が出てきて……これからってときだったのにな……
 
 俺は、いきなり背中を刺されたんだ、西園寺ってヤツにな。
 わけが分からなかったよ。
 強い痛みだけがあって、なんで痛いのか、なんで自分がこんな目に遭ってるのか……何にも分からないまま、意識がなくなって……気づいたら、この部屋にいた。
 目が覚めたときは、何も覚えてなかったんだけどな……」
 
「杉山さんが言ってたとおり……」

愛莉は、座って膝を抱えながら言った。

「私たちは全員、過去にいろいろなことがあって、それを乗り越えて、上向いてきたときに殺されたのね……
 
 私はね……
 夫と娘がいるんだけど、初めての子供じゃないっていうか……20歳のとき、当時付き合ってた男との間に、子供ができたの。望まない妊娠で、男はそれを知ってから連絡がつかなくなって……
 
 親に相談したら、あなた1人じゃ育てられないんだからって……
 そう言ったけど、本当は違うのよ、きっと。
 うちの親、世間体をすごく気にするから、それで……
 
 それから、今の夫に出会って、結婚して、子供もできて……
 ずっと苦しかったし、一度は子供を堕ろしてしまった私が、幸せになる資格なんてあるのかなって、本気で考えて……
 
 でも、夫と娘のおかげで、やっとその罪悪感から解放されて、心から幸せを感じられるようになってきて……
それがすごく、幸せで……」
 
8人それぞれに、強い想いがあることは確かだった。
8人全員が、自分以外のメンバーの想いも感じ取った。

人の人生を奪い、苦しみを与え続けることで、
自らの欲求を満たし、精神を安定させる……

そんな西園寺のことを許せない気持ちは、当然8人の中にもある。
自分が殺されたことに対しても、強い怒りがあるのは確かだった。
殺してやりたいという想いも、強さの違いはあれど、8人とも持っている。

凶悪犯罪のニュースを見て、もし自分の大切な人が殺されて、法がしっかりとした裁きを与えないなら、自らの手で……そう思った者もいた。

だが、本当に実行するとなると、中々覚悟は決まらないものだと、8人は実感していた。
同時に、躊躇いなく人を殺せる、西園寺という男の異常さも。

「みんな、どうする……?」

彩川は、様子を伺うように言った。

「俺には……守らなきゃいけない者はいない。
 けど、殺されたことは許せないし、苦しみ続けるのもごめんだ。
 
 たぶん、みんなも思ってるだろうけど、俺も、だから始末するっていう選択に、躊躇いもある……あるけど、野放しにはできないと……そう思う」
 
彩川の言葉に、頷く者もいたが、まだ迷っているのか、反応しない者もいた。
彩川も、それ以上踏み込んで聞くことはしなかった。
時間がないと、杉山は言った。
そのとおりなのだろうし、状況も理解した。

それでも、もう少し、もう少し、ぎりぎりまで考えたい……

8人は、いつ戻ってくるか分からない杉山を待ちながら、必死に集め続けた。
自らの手を汚して戦う理由を……


-12-

杉山が異変を察知する数時間前。

(ここもそろそろ危ないかもな……)

眠れなくなって以降、植松は家を出て、ビジネスホテルを転々としていた。
そうすることで、少し安心でき、眠ることができた。

しかし、外に出ているときは、誰かに見られているという気持ちが強くなってきている。
それが霊的なものなのか、実際に誰かにつけられているのか分からなかったし、本当のことなのか、精神的に疲弊した自分が見せる幻覚なのか、それすらも分からなかった。
しかし、気のせいだろうの一言で片付けられない理由が、植松にはある。

(赤い部屋の存在はともかく、糸が機能していないことは、たぶんもう気づかれている。そう簡単には見つけられないはずだけど、そろそろ次の場所に移るか……)
 
荷物をまとめ、忘れ物がないかチェックすると、カードキーを持って部屋を出た。
1階まで降りると、ATMのような機械にカードキーを差し込み、チェックアウトの手続きを済ませ、ホテルを出た。

「……!」

外に出た瞬間、気配が強くなった。
おそらく、霊感のあるなしに関わらず、誰でも感じるほどのもの……それに、その気配の主は、自分の存在を隠そうともしていない。

(誰だ……
 いや、確かめるより、逃げたほうがいいか……)
 
植松は、気配に気づいていないフリをして、電車の駅があるほうに向かって歩き出した。
早足だと怪しいので、あくまでも平静を装って。
もっとも、相手は尾行しようとしているというより、接触してこようとしている可能性が高い。そうなると、気づいていないフリも、あまり意味はないのかもしれないが。

「……」

気配は、一定の距離を保っているように感じる。
植松は、そのまま駅前のショッピングモールに入ると、フードコートに入って、ハムカツサンドとアイスコーヒーを注文した。壁際の席に座り、さり気なく注意を見回す。

(……誰もいない……
 気配も…… 諦めたのか……?
 いや、もしかして、今の気配も気のせいだったのか……?)
 
何が本当か分からなかったが、ホッとすると、空腹が強くなった。
だが、ハムカツサンドを食べようと口を開けた瞬間、それはすぐ隣にきた。


-13-

「選択肢はあるようで、ないわね……」

愛莉は、ゆっくりと立ち上がりながら言った。

「やらなければ、私たちは半永久的に苦しみ続ける……
 それに、これは想像だけど、私たちをもっと苦しませるために、西園寺は家族に危害を加える可能性だってある……苦しみの旨味が増すためなら、そういうこともするのが、西園寺って男なんでしょ……
 
 夫と娘に何かあったら……
 私は、決断しなかったことを、きっと……
 ううん、間違いなく後悔する……
 
 娘は……きっと、もうママに会えないって分かったら、大泣きして、どうかなってしまうかもしれない……夫も、女の子を育てるのは勝手が分からないし、苦労するはず……
 
 私自身が……2人に会えないことは、もちろん辛い……
 2人を悲しませてしまうことも……
 
 けど、私は……
 2人に死ぬより辛い苦しみを与えた西園寺を、許すことはできない……!
 自分が人殺しになるなんて、信じられないけど……
 でも、やるわ……!」
 
「私も……」

千冬は、愛莉のほうを見ながら言った。

「私も……すごく辛い……
 もう彼に会えない……それが辛くて、悲しいのはそのとおりだけど、プロポーズしてくれて、幸せにするって言ってくれた、大好きな彼に、一生消えないような苦しみを与えた犯人を、絶対に許さない……!
 法で裁けないなら、私が裁いてやるわ……!」
 
「俺は、もう少し個人的な理由だけど……」

彩川は、少し遠くを見るように言った。

「これからもっと、バリバリ働いて、資産も築いて、今までできなかったことをたくさんやろうってときに、俺を殺しやがって……野郎の人生でツケを払ってもらわねぇと、気がすまねぇ……」
 
「私も、怖いけど……やる……
 私の将来を奪って、お父さんとお母さんを苦しませるヤツなんて、地獄に落としてやる……!」
 
真穂は、目に涙を溜めながら言った。

「でも、本当にできるのかな……
 西園寺って人、すごく強い霊能力を持ってるって……
 この赤い部屋を作った、植松って人だって、すごい力を持ってるのに、それよりもさらにすごいなんて……そんな人を、私たちが倒せるのかな……」
 
日菜子は、消え入るような声で言った。

「日菜子ちゃん……
 不安なのは分かるわ。
 私も怖い……
 
 けど、あなたにだって、守りたい人がいるんじゃない?
 麻衣子さん、だっけ?
 大切な友達なんでしょ?」
 
愛莉が、肩を抱きながら言うと、日菜子は頷いた。

「きっと、麻衣子さんも日菜子ちゃんと同じぐらい苦しんでるわ。
 大切な友達が殺されたんだから……」
 
「うん……
 私……ずっと友達いなくて、麻衣子は初めての友達で……」
 
「そうよね。
 そんな優しい麻衣子さんを苦しませるヤツ、やっつけなきゃ。
 敵わないかもしれないからって、諦めちゃダメよ。
 一緒にやるの。
 日菜子ちゃんは、1人じゃないのよ」
 
「うん……
 私、やる……麻衣子のために……」
 
「うん。

 あなたたちは、どう?」

愛莉は、黙ったまま俯いている3人の男、輿石、本谷、出原のほうを見ながら言った。

「やるよ……
 やっとできた彼女との夜……
 楽しみにしてたのに、台無しにされたんだ……
 やってやるさ……!」

輿石は、俯いたまま、拳をきつく握りしめながら言った。

「僕も……」

輿石に同意するように、出原も口を開いた。

「就職に失敗し続けて、自殺も考えたことあったけど、やっと決まって……友達がお祝いしてくれるってことになってた……それを、壊されたんだ……
 
 僕は強くないし、臆病だけど……
 それでも、このまま、負けたまま……終わりたくない……!」
 
「俺は、分からない……」

本谷は、首を横に振りながら言った。
その顔には、悲痛さが浮かんでいる。
 
「俺は、こんなもんだったんじゃないかって……運命だったんだって、受け入れるのもアリかなって……」
 
「おまえ……!
 これからずっと苦しみ続けることになってもいいのか!?
 犯人は頭のイカれた殺人鬼なんだ。
 正当防衛……いや、正当な仕返しだろっ!!」
 
「だって、西園寺ってやつは、すごく強い力を持ってるんだろ……?
 もし失敗して、犯人を怒らせたら、もっと酷いことになるかもしれない……だったら受け入れて、できるだけ苦しまないようにしてもらうとか……」
 
「おまえ、あの杉山って男の話を聞いてなかったのか?
 そんな交渉ができるような相手じゃないんだよ、西園寺ってヤツは!」
 
「でもそれって……」

「なんだ?」

「そんなに睨まないでよ……
 それって、杉山って人が言ってるだけで、誰か確かめたわけじゃないでしょ……? もしかしたら、杉山って人のほうが犯人で、西園寺って人はまともってことも……」
 
「へぇ、もしそうだとして、じゃあなんで杉山はそんなことをする?
 何のために?
 さっきの話が全部作り話だとしたら、俺たちが死んでるのも嘘か?
 まあそりゃあ、死んでるのにこうして普通に話してるってほうが、おかしいことかもしれない。けど、俺は殺された瞬間を覚えている……思い出したからな……その記憶まで、嘘だって言うのか?」
 
「いや、そんなつもりは……」

「覚悟を決めろよ。
 相手は、話し合いが通じるようなやつじゃない。
 そっちの……愛莉って女が言ったとおり、俺たちには選択肢があるようで、ないんだ。
 やるしかないんだよ……!」
 
「……」

本谷は、おそらくは彩川の言っていることを理解しているのだろうが、受け入れられないでいるようだった。

「時間はないぞ……
 迷いがあったら、力ってのは発揮できねぇ……
 早く……」
 
『おい、聞こえるか?』

「……!」

赤い部屋に、杉山のときの同じように、スピーカーから聞こえるような声が響いた。
しかし、その声は杉山ではない。

「……あんた誰だ……?
 杉山じゃないな……?」
 
『俺は、植松だ。
 その赤い部屋を作った……』

「あなたが、植松さん?
 杉山さんはどうしたの?
 あなたが危険だって、どこかに行ったみたいだったけど……」
 
『ああ、知ってる……まんまと、西園寺にハメられた……』

「ハメられたって、何があったの……?」

『細かく説明してる暇はないから、簡単に言う。
 杉山さんは、西園寺に捕まった。
 このままじゃ、九字法は使えない。

 だから、杉山さんを助けて、すぐに九字法をぶつける……!悪いけど、もうあなたたちが覚悟を決めるのを待ってる暇はなくなった。
 杉山さんを助けたら、またすぐに赤い部屋にアクセスする……いつでも応じられるようにしておいてくれ……!』

「ちょっと……!
 応じられるようにって、どうすれば……」

『念じてくれればいい……強く、あなたたちの、それぞれの想いを……』

「それだけでいいの……?
 でも、あなたは大丈夫なの?」

呼びかけたが、植松からの応答はなかった。

「状況は……刻一刻と変わるのね……
 考える暇も与えてくれない……」

「そんなもんだろ……
 やるぞ……やるしかないんだ……」

渋っていた本谷も、諦めたように頷いた。

8人は、部屋の中心に集まると、静かにそのときを待った。


-14-

「そのまま動くな」

隣に座ってきた男は、そう言った。

「動きたくても、動けないよ、そっち側に座られちゃね……」

植松は、恐る恐る男のほうを見た。

「あなたは……?」

その男は、西園寺ではなかった。
鋭い目と、黒いスーツ。
何となく、雰囲気が普通の人間と違う。

「俺は……」

男は、スーツの上着を少し広げ、警察手帳を見せた。

「え……?
 なんで、俺のところに……」
 
「俺は、警視庁捜査一課の警部、坂下だ。
 君は、植松省吾だな?」
 
「なんで、俺の名前を……」

「西園寺良仁を知ってるな?」

「……!」

隠したつもりだったが、咄嗟に驚いた顔をしたのを、坂下は見逃さなかった。

「西園寺を調べてるのか?」

「……」

「別に君を逮捕しようっていうんじゃない。
 調べてるなら、なぜ調べてるのか教えてほしい」
 
「……その前に、教えて下さい……」

「質問の内容によるが、なんだ?」

「なぜ、俺がヤツを調べていると、分かったんですか……?」

「西園寺が警視庁に来て、俺に君の写真を見せた。
 自分を嗅ぎ回ってるヤツがいる、とね」
 
「西園寺が……」

「なぜ西園寺を調べている?」

「……理由を話しても、あなたは信じませんよ」

「話してみなければ分からないだろ」

「いえ、分かりますよ。
 ずっとそうだったし……」
 
「ずっと?」

「1つだけ、話します。
 西園寺は……連続殺人犯です……警察がヤツを逮捕できるような証拠は、残念ながらありませんけどね……」
 
「……連続殺人っていうのは、半年前から起こってる殺人のことか?」

「……!」

「図星か。
 君はけっこう分かりやすいな」
 
「……」

「もう一度聞く。
 なぜ西園寺を調べている?
 それも、ヤツが殺人犯だと、君なりの理由で知ってもなお調べようとするのはなぜだ?」
 
「……死者の無念を晴らすためです……」

「死者の無念だって?」

「そうです。
 そのために、俺は俺の理由で、西園寺を放置できない……!」
 
「だから、君が西園寺を止めるというのか?」

「……」

「何をするつもりか知らないが、容認できないな」

「……西園寺を見つけたら、どうするつもりですか……?」

「何か理由をつけて逮捕するか、もしかしたら、君が持っている情報が、逮捕に繋がるかもしれない」
 
「……俺は、西園寺を逮捕できる情報は持っていません。
 仮に逮捕できたとしても、勾留中に証拠が見つからなければ、釈放するしかない……もし証拠が見つかったとしても、裁判も時間がかかる……」
 
「それは……
 しかし、たとえ凶悪な殺人犯と言えど、裁判を受ける権利を有している以上、しかたのないことだ。法の外のやり方でケリをつけることは許されない」
 
「ええ、それは分かります。
 俺も、普段ならそう考えます。
 でも、ダメなんです……
 俺がやらなきゃ……」
 
「警察に任せるんだ」

「ダメだ……
 あなたを信頼していないわけじゃない。
 だけど、俺じゃなければ、彼らを救えない……!」
 
「救う? 彼ら?
 いったいなんのことだ?」
 
「……やっと分かった気がする……俺の役割……俺にしかできないこと……」
 
「何を言ってるんだ……」

「刑事さん、ごめんなさい……
 俺はもう行きます。
 俺を捕まえられる材料もないですよね?
 任意でというなら、お断りします」
 
「……いいだろう。
 だが、よく考えることだ。
 君にどんな理由があるのかは知らない。
 しかし、君が考えていることをやれば、俺は君のことも逮捕しなければならなくなる」
 
「……そうかもしれませんね……
 でも……そうならないかもしれない……
 とにかく、やるしかないんです……
 俺にしかできないことを……」
 
植松がそう言って立ち上がると、坂下も席から立って、通路のほうにずれた。
植松は、坂下に軽く会釈すると、ショッピングモールを出た。

(まさか警察がくるなんて……
 マークされたら、動きにくくなるかも……いやでも、理由はどうあれ、警察が見張ってくれるなら、そのほうが安全かも……)
 
「やあ、植松省吾くん」

「……!!!」

後ろから声が聞こえて、背中のあたりに、何か尖ったものがチクチクと当たるのが分かる。
このどす黒くて、ジメっとした空気は……

「西園寺……」

「当たりだ。
 僕の邪魔をしているのは君だろう?
 見つけるのに苦労したよ。
 すぐに分かると思ったのに、中々たどり着けなかった。どうやら、君も僕と同じような力を持ってるみたいだね」
 
「……それで、坂下警部を利用したのか……」

「まあそんなところだよ。
 彼は、君から話を聞いて、内容によっては君を保護するつもりだったんだろうけど、警察に話せる内容なら、とっくにそうしてるはずだ。でも君は、危険を犯して僕を調べていた。だから、坂下警部と接触しても、きっと保護は求めないだろうと思った。
 予想通りだったね」
 
「……俺を……どうするつもりだ……」

「いろいろと話を聞きたい。
 殺すかどうかは、そのあとに決めるよ。
 でも、もし抵抗するなら、今ここで殺す」
 
「こんなに人が大勢いるところで……?
 ハッタリだな……」
 
「ハッタリではない。
 人が大勢いるからこそ、人混みに紛れ込みやすい。
 容易いよ、君を刺してから人混みの中に消えることなんてね」
 
そう言うと、西園寺は突きつけたナイフを、背中に少し押し込んだ。
ゾクっとする痛みがあって、血が出ないぎりぎりのラインだが、恐怖を与えるのは十分だった。

「……分かった……
 従うよ……」
 
「それでいい。
 賢い選択だ。
 じゃあ、行こうか」
 
「どこに行くんだ……」

「そうだな……隣のビルの屋上がいいだろう。
 あのビルは、セキュリティも緩いし、屋上に行くのも難しくない」
 
ナイフを通して入ってくる殺意を感じながら、植松は西園寺が指定したビルに向かって、ゆっくりと歩いた。ビルは5階建てで、警備室もなく、古びたエレベーターがある。

エレベーターで5階までいき、そこから階段で屋上まで上がる。
屋上に出るドアは施錠されていたが、内側から開けられるタイプで、西園寺は、植松に鍵を開けさせると、押し込むようにして屋上に出た。

『杉山さん……
 杉山さん、気づいてくれ……!』

植松は、杉山の霊に向かって話しかけた。

『杉山さん……!』

「誰と話している?」

植松の異変に気づいたのか、西園寺が鋭い声で言った。

「誰とも話してない……」

「とぼけても、僕には分かるぞ」

「本当だ……」

「……まあいい。
 妙なことをすれば、そのときは殺す。
 いいね?」
 
「……」

コンクリートだけが広がる殺風景な屋上。
周囲には、このビルよりも高い建物がいくつかある。

「誰かが見てるかもしれない、なんて期待は、もたないほうがいい」

植松の思考を読んだのか、西園寺は言った。

「君を殺すときに、もし目撃されても、遠くから見てあったり殺人と分かるような殺し方は、僕はしない。後に遺体が見つかっても、僕にたどり着ける決定的な証拠はでない。大人しく、僕の質問に答えたほうがいい」
 
「……」

「理解してくれたみたいだね。
 じゃあ、質問させてもらうよ。
 君は、僕の周りで何をしていた?
 実は、最近ちょっと不愉快なことがあってね。
 それに君が関係しているのか知りたい。
 君は…… ん?」
 
「……?」

「なんだ……
 体が……」
 
『逃げろ……!』

『……?
 杉山さん……?』

『そうだ……!
 私がコイツの体を押さえている間に……』

『押さえるって、乗り移るってことですか……?
 無茶ですよ……!
 乗り移るなんて、簡単にできることじゃ……』

『いいから早く逃げろ!
 逃げて……8人をまとめて、戻ってきてくれ……!
 それまで何とか時間を稼ぐ……!』

『そんな……』

『早くしろ……!』

『……!』

植松は、歯を食いしばったまま、屋上のドアまで走り、ビルの中に入ると、一瞬鍵を閉めようと振り返った。

「……!」

しかし、再び屋上に背中を向けると、急いで階段を降りた。
もし、鍵を掛けて、西園寺が警察に捕まったら、これまでのことが水の泡になる。
杉山の覚悟も、無駄にすることになる。

「クソ……!」

階段を降りきると、ビルの隙間に入り、息を整えたあと、赤い部屋に意識を飛ばした。


-15-

「くく……ふふふ……」

西園寺は、壁により掛かると、汚れたコンクリートの地面を見ながら笑った。

「おまえは、最初に殺したやつだな。
 何のつもりだ? 名前は……そうか、杉山か。
 ……おまえだけは、リンクが切れてないな。そうか、おまえと、あの植松って男、2人で何か企んでるんだな?」
 
『……』

「答える気はないか。
 でも、まあいい。
 話させる方法ならあるしね……
 
 僕の動きを止めるのに、取り憑くっていうのは、悪くないアイデアだった。
 そう、悪くない、だ。
 相手が普通の人間なら、十分に押さえられただろう。
 取り憑き方も悪くない。
 彼を相手に練習したのかな。
 
 でも残念だね。
 僕は、そこいらの人間とは違う。
 普通の人間は霊を怖がるけど、僕にとっては日常の一部みたいなものだ。取り憑かれそうになったことは何度もあるし、取り憑かれたことも、何度かある。そのうち、内側から支配する方法を学んだ。
 だからね、逆に苦しめることもできるんだよ、僕に取り憑いた、君のような霊のことをね……」
 
『……!
 あ…… く……』

「苦しいだろ?
 息が詰まるようだろ?
 普通の人間なら、おまえのような霊体を見ることも、触ることもできないけど、僕は見ることも、触ることもできる。霊能力を使えば、今おまえにしてるように、締めつけることもできる。
 
 さあ、何を企んでるのか言いなよ。
 このままじゃあ、もう一度死ぬことになるよ?
 もう一度、死の恐怖と苦しみを味わいたいのかい?」
 
『殺し……たければ……
 殺せば……いい……
 そうなれば……おまえの言うリンクも消える……』

「分かってないな、おまえ。
 そんなもの、また別のヤツを殺せばいいだけだよ。
 おまえの代わりなんて、そこら中にいるんだ」
 
『警察……だって……
 そんなに……バカじゃない……
 いずれ……おまえを……突き止めるぞ……』

「ふふ、確かに坂下という刑事は僕を疑ってるみたいだ。けど、いくら疑ったところで、証拠がなければどうにもならない。
 さあ、話せ」
 
『ふん…… 私……は……
 おまえなんか……には……屈しない……』

「いい粘り強さだね。
 でも言ったはずだよ?
 支配する方法を学んだ、と。
 おまえの意思なんて、関係ないんだよ」
 
『ぐ…… く……』

「何を企んでる?
 そこまでして、何を守ろうとしてる?
 やっぱりおまえ、他の8人のリンクが切れたことについて、何か知ってるね?
 
 ……まてよ?
 そうか、あの植松って男は、僕と同じような力を持ってる。
 それで、おまえのアイツは、繋がりを作っていて、アイツが助けを求めたんだな。
 それでおまえが来た……
 
 そう考えれば、あのタイミングの良さは納得できる。
 ということは、8人のリンクが切れる原因を作ったのは、アイツか……
 
 いったい何をした……?
 おまえ、知ってるだろ?
 
 ……答える気はないか……
 じゃあ、強引に聞き出そう。
 支配するってことは、ソイツの思念も感じ取るってことだ。
 隠し事をしても無駄だと分かったかな?
 
 
 ……なんだこれは……
 赤い部屋……?」
 
『……!!』

「……!
 動揺したね。
 揺れるのを感じたよ。
 そうか、あの植松って男が、この赤い部屋を作って、そこに8人を隔離したのか。
 
 こういったものは、作ったヤツ以外の人間の意識は入り込めない……
 中々悪くない作りだ。
 でも、力が上の者なら、強引に壊すことだってできるはずだ……」
 
西園寺は、そう言って笑うと、赤い部屋のドアをノックした。

「はぁ……はぁ……」

植松は、さっきのビルの屋上へ急いでいた。

杉山の声は聞こえない。
おそらく、西園寺の支配下に置かれてしまったのだろう。
何とかして助け出さなければ、九字を切っても……

「はぁ……はぁ……」

屋上へ出る階段まで上り切ると、植松は少し呼吸を整えてから、ドアを内側に引いた。

「……!」

少し離れたところに、西園寺が見える。
空調設備か何か、何なのか分からないが、とにかく、屋上にある小屋のような建物の壁に寄りかかって、動く気配がない。

「……何をしてる……」
 
ゆっくりと近づいていく。
植松の姿は見えているはずなのに、反応がない。

「……?
 ……まさか……でもそれなら……」

植松は、一気に西園寺に近づき、右の拳を振り上げた。

ガンッ!!!

「……!!!」

殴ったと思った瞬間、植松は顔に強い衝撃を受けて、そのまま尻もちをついた。

「つっ……」

「甘いね、植松くん。
 僕が君の赤い部屋の存在に気づいて、アクセスしていることに気づいたまではよかったけど、意識をそっちに飛ばしてる状態なら、僕に勝てると思った?
 僕はね、君とは力の次元が違うんだよ。
 肉体に意識を残したまま、霊的な場所にアクセスすることも難しくない。
 君には高難易度でもね」
 
「く……」

植松は、すぐに立ち上がろうとしたが、中々足に力が入らない。
見た目からは想像できないほど、西園寺のパンチは重く、頭も少しクラクラする。

どうする……
どうすればいい……

「ちょっと、何……?」

赤い部屋の8人は、突然のノックに、全員がビクリとした。

「植松じゃないのか……?」

彩川が呟く。

「彼なら、ノックする必要なんてないでしょ……直接私たちに話しかければいいんだから……」
 
「でも、じゃあ誰が……」

コンコンッ

再びノックする音が聞こえて、8人は後ずさった。

『やあ、僕に殺された8人の方々』

その声は、ドアの向こうから聞こえた。
杉山のときとも、植松のときとも違う。
誰かが赤い部屋の外にいて、ドア越しに話しかけてきている。

『僕は、西園寺良仁。
 御存知の通り、君たちを殺した殺人犯だ。
 君たちが、この赤い部屋を作った植松と、僕が最初に殺した杉山と一緒に、何をしようとしているのかは知らない。
 
 僕は、このドアを強引に壊そうと思えばできる。
 でも、できればそんなことはしたくない。
 できれば、内側からドアを開けてほしい。
 開けてくれたら、その人は解放しよう。

 でも僕が強引にドアを壊すことになったら、そのときは、全員にたっぷり、殺したとき以上の恐怖と、苦しみを与える。 
 僕にはそれが可能なことが、君たちも理解しているんだろう?
 選択の余地はないと思うよ?』

そこまで言うと、ノックも声もしなくなった。

「おい……これって……」

「植松さんは何をしてるの……?」

「やられちゃったのかな……」

「開けたほうがいいんじゃない……?
 だってほら、解放してくれるって……」
 
「おまえはまだそんなこと言ってるのか、本谷……
 嘘に決まってるだろ。
 あんな言葉信じられるか……!」
 
「でも……」

『開けるな!』

「植松さん……!
 どういうこと?
 いったいどうなってるの?」
 
『かなりマズイ状況だ……
 杉山さんは囚われたまま、赤い部屋の存在に気づかれた……このままじゃ、九字を放てない……!』

「でも……じゃあどうするの……?
 西園寺が部屋の中に入ってきたら……」
 
『大丈夫……
 西園寺が何を言ったか知らないけど、その部屋は、作った者以外が壊すことはできない……怖いかもしれないけど、そのまま待っててくれ……杉山さんを救い出して、九字を切る……
 その合図を送るまで……』

「でも……本当に大丈夫なのか?
 もし西園寺が部屋に入ってきたら?
 それに、あんたが杉山を救い出せる算段はあるのか……?」
 
『ない……』

「な……」

『けど、やるしかない……
 やってやるさ……!』

「待って!」

愛莉は、何かを思いついたように言った。

「なんだ……?」

「西園寺を部屋に入れましょう」

「なんだって……?」
 
「でも、この部屋のドアって、内側からも開かないんじゃ……」

「それは、植松さん次第なんじゃない?
 ねえ、植松さん?」
 
『確かに……俺が許可すればドアは開けられるけど、でも……』
 
「まさか、自分だけ助かろうとしてる……?
 そんなこと……」
 
「違うわ……
 よく聞いて、植松さんも……」
 
『……?』
 


『そろそろ、結論は出たかな?』

部屋の外から、西園寺の声が聞こえた。

「ええ…… 全員で話し合って決めたわ……」

『ほう、それで結論は?』

「ドアを開けるわ。
 その代わり、私たちを解放すると約束して……」
 
『8人全員を、かな?』

「そうよ……」

『それは難しいな。
 しかしまあ、君たちの決断には敬意を評したい。
 中に入れてくれ。
 その上で、話し合おうじゃないか』

「……いいわ……」

愛莉は、他の7人のほうを見て頷くと、ゆっくりとドアを内側に引いた。ドアは、何の抵抗もなく、きしむような音を立てることもなく、滑るように開いた。

『これはこれは、8人お揃いで……』

西園寺は、薄気味悪い笑みを浮かべて、ゆっくりと部屋に足を踏み入れた。

『かなり警戒してるみたいだね。
 まあ当然か。
 君たちを殺した男が、目の前にいるわけだからね。
 感じるよ……君たちの恐怖、不安……ああ……流れ込んでくる……』

恍惚の表情を浮かべる西園寺の隙きをついて、彩川はドアを閉めた。

『ん?
 何のマネかな?』

「……」

『まさか、8人がかりで私を倒そうということかな?』

「……」

8人は、西園寺を囲むように、手の届かない位置を保っている。

『なるほど、悪くない方法だ。
 確かに8人がかりなら、私を押さえられるかもしれない。
 今ここにいる私は、幽体離脱しているような状態だから、霊体である君たちも触れることができる。
 
 しかし……しかしだ。
 8人のうち、半分は女、残り半分の男も、太っちょとモヤシのような男ばかり……君……コンビニのエリアマネージャーだったか、君だけは少しは戦えそうだが、何とも……戦力としては心もとないんじゃないかな』

「……」

『まあ、抵抗したい気持ちも分かる。
 だが、さっき言ったとおり、大人しく従わないなら、より辛い目に遭わせることになる。もう一度、殺されたときの……いや、それ以上の苦しみと恐怖を味わいたいのかな?』

西園寺の言葉に答えるものはいなかった。
全員、西園寺を中心に周るように、ゆっくりと歩き、距離を保ったまま、特に何かをする気配はない。

『何を考えている……
 ……何かを待ってるのか……?』

チャンスは、たぶん1分ぐらい……
8人全員が無事なままでいられる時間は、それぐらいしかない……

植松は、愛莉の言葉を頭の中で繰り返していた。
本当にうまくいくのか分からない。
分からないが、自分が単独で西園寺に立ち向かうよりも、よほど現実的な気がした。

(頼む……うまくいってくれ……)

永遠にも思える時間が過ぎる。
どれぐらい時間が経ったのか……

(ダメか……)

『植松くん……!』

『……!
 杉山さん……!!
 話せるんですね!?』

『ああ、しかし、いったいどうなって……』

『話は後です!!
 西園寺を倒すのは、今しかありません……!』

『……!』

『リンクが切れた!!!!』

赤い部屋の中に、植松の声が響き渡った。

『リンクが切れた……だって……』

「今よっ!!!!」

『まさか…… 僕と杉山のリンクを切って、解放されるのを待ってたのか……? でも、そんなことをしたって……
 ……!
 植松……コイツなにを……
 
 2本の指……その動きは……九字法……そうか……それで……
 くそ……そうはさせるか!!!』

西園寺は、日菜子のところに走りより、首を締めた。

「あ…… ぐ……」

『九字法とは……考えたね……
 だけど、1人でも始末すれば、効力は……』

ガンッ!!

『な……』

「はぁ……はぁ……邪魔するな……!」

本谷は、後ろから西園寺の後頭部を殴りつけた。
日菜子の首を締める力が緩み、西園寺がふらつく。

「植松さん…… お願い……!!」


九字を切ろうとする植松のほうへ、西園寺は走り寄ってきたが、突然ぐらついて動きを止めた。

「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前!!!」

西園寺の体を覆うように、格子状に指を切りながら、呪文を唱える。


「あ……が……」


それは、霊感がない者には、何が起こったのか分からなかっただろう。
しかし、植松と西園寺には、はっきりと見えた。

格子状に切られた虚空が、黒い渦のようなものを作ったあと、西園寺を飲み込み、耳が痛くなるような、空気が弾けたような音がしたかと思うと、消え去った。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

西園寺の体は、コンクリートの地面に倒れていたが、そこにあった。
生きているのか、死んでしまったのか、植松には分からなかった。

「どうなったんだ……
 成功したのか……?」
 
『成功だよ』

杉山の声が聞こえた。

『成功……?』

『糸は消えた。完全にね。
 赤い部屋の8人の糸も消えたはずだ』

『みんな……?』

「西園寺は消えたわ」

ホッとしたような、愛莉の声が聞こえた。

「終わったのか……」

「これは……どういうことだ……?」

背後から、屋上のドアが乱暴に開く音が聞こえて、振り向くと、そこには坂下がいた。

「坂下警部……どうしてここに……」

「このビルの屋上で、男2人が暴れてるって通報があった。俺は近くにいたのと、もしかしたらと思ったから、ここに来たんだ。
 
 ……そこで倒れてるのは、西園寺だな?
 おまえがやったのか……?」
 
「さあ……それは何とも……」

「とぼけても、調べれば分かることだぞ?」

「ええ、それは分かってます。
 でも、本当に俺がやったって言っていいのか、1人の力じゃないというか……」
 
「何を言ってる……?」

「こっちの話ですよ」

「そこにいろ。
 聞きたいことがある。
 
 ……息はしてるな。
 おい、西園寺、おい。
 ……ダメか。しかたない」

坂下は、スマホを取り出して救急車を呼び、応援の警官を呼んで、植松は、事情聴取のために、坂下に同行した。

病院に運ばれた西園寺には、外傷はなかった。
入院して3日後には、意識も戻った。
しかし、何を話しかけても、まともに反応せず、ずっと何かに怯え、時々血が出るほど体を掻きむしり、どんどんやせ衰えていった。

何度も精密検査が行われたが、原因が分からず、血液検査も異常なし、ウィルスなども発見されなかった。
そして驚いたことに、食事もまったく受け付けない、骨と皮だけのような状態になっても、生命だけは維持していた。
まるで、生きながら地獄の拷問を受け続けているかのように……

捜査中だった9件の殺人事件は、その後、新たな事件が起こっていないこともあり、西園寺の仕業ではないかという説が濃厚になったが、容疑者が取り調べをできる状態ではないため、実質未解決事件になりつつあった。


「西園寺は、廃人のようになってしまったそうだね」

刑事部屋で、ふてくされたように椅子にもたれている坂下に、小野は言った。

「警視正が、わざわざ下っ端の部屋になんのご用で?」

「部下が仕事もせずにボーっとしてると聞いたものでね」

「なるほど、それは確かですね」

「西園寺の件は、本当なのか?」

「ええ。
 植松がなにかしたんだと思いますが、調べてもまったく分かりませんでした。薬物を使った形跡もないし、いったいどうなっているのやら……」
 
「まあ……スッキリしない事件ではあるが、殺人が止まったのであれば、良しと考えるべきだと、私は思うがね」
 
「……そうかもしれませんね……」

口ではそう言ったが、坂下は納得がいかなかった。

数年前に起こった、後に死刑遊戯と言われるようになった事件のとき、刑期を終えてた男が数人、行方不明なった。
そのあとにも、刑務所から出所した3人が、不可解な事故死というのもあった。
そして、今回の事件……

植松は、警察に任せても彼らは救えない、自分にしかできない。そう言っていた。

いったい、彼らとは誰のことだったのか。
植松は、それについて、明確に答えることもなく、調べてみても、何も出なかった。

「死者の無念を晴らすため……か」

坂下は刑事として、犯罪者を捕まえることは、そこに繋がると信じているが、裁判の結果までは、刑事は干渉できない。
そんなことで、死者の無念を晴らすことなどできるのか。しかし、それは坂下個人がどうこうしたところで、何かが変わるわけではない。

『世の中には、多様なニーズがあるものよ』

出所した3人が、不可解な事故死を遂げたあと、現場に駆けつけた坂下に、女はそう言った。
あの女も、結局何者なのか分からずじまいだ。

「ったく、嫌になるな。
 酒でも飲みに行くか……」
 
坂下は、椅子から立ち上がると、用事ができたから帰ると言って、本庁を後にした。
飲まなきゃやってられない。
そんな気分を、たまには素直に受け入れてやってもいいだろう。
そんなふうに思った。


-16-

「さて、今日で最後か……」

植松は、髪を整え、ピッタリとサイズの合ったスーツに身を包むと、家を出た。

事件の後、植松はシステムエンジニアの仕事を辞めて、霊能者として生きていくことを決めた。
それまでずっと、自分の力に背を向けて生きてきたが、事件を通して、自分にしかできないことがあることを知った。

といっても、復讐のために力を使うのではなく、霊のことで悩んでいたり、かつての植松と同じように、自分の力を肯定的に囚えられず、苦しんでいる人を助けるために、その道を選んだのだった。

電車を乗り継ぎ、とあるマンションの前まで来ると、エレベーターで6階まで上る。

ピンポーン

インターホンを押すと、30代後半ぐらいの男性が顔を出した。

「どちら様ですか?」

「私は、植松省吾と言います。
 奥様には生前、お世話になりまして、お悔やみをと思いまして……」
 
「ああ、そうなんですか……
 えっと、失礼ですが、妻とはどういった関係で……?」
 
「奥様が看護師をしていたとき、私はシステムエンジニアとして、病院に導入されるシステムの説明行きました。
 そのとき、担当のお医者さんは、何となく乗り気じゃなかったんですが、一緒に話を聞いていた奥様は、システムを気に入ってくれて、おかげさまで、導入が決まりまして……その後も何かと、お医者さんとの間を取り持ってくださって……」
 
「そうでしたか、妻がそんなことを……分かりました、どうぞ」
 
「失礼します」

植松がシステムエンジニアとして、愛莉と知り合ったというのは、植松が愛莉から聞いた話をアレンジした、作り話だった。
嘘をつくのは、少し気が引けたが、それは、愛莉の最後の願いを叶えるためのものだった。

「こちらです」

「失礼します」

植松は、お線香を上げて、両手を合わせた。

「ママ……?」

女の子が、不意に呟いた。

「絵里菜、何を言って……」

「だって、ママいるよ」

「……ほんとに、そこにいるのか?
 お母さんが……」
 
「うん、笑ってる。
 あ、パパにチューしたよ」

「ほんとに、愛莉が……」

「会いに来てくれたのかもしれませんね」

「はは……すみません、娘が急に……」

「いえ、では、私はこれで」

「あ、はい」

愛莉の娘と夫は、玄関まで植松を見送ると、深々と頭を下げた。

『ありがとう、植松さん』

マンションを出ると、愛莉は言った。

『あれで良かったですか?』

『ええ。
 もう一度だけ、2人に会いたかったから……これで、思い残すことは何もないわ……』

『良かったです……
 本当は……生きて会えたらって思いますけど……』

『それを言っても、始まらないわ。
 確かに寂しくはあるけど、あなたのおかげで、私はこうして2人会えて、旅立っていける……』

『……』

『そんな悲しい顔をしないで。
 これからも、1人でも多くの人を助けてあげて。
 あなたにしかできない方法で』

『ええ、そうします。
 変な言い方ですけど…… 愛莉さんも、お元気で』

『ええ。
 ありがとう』

その言葉を最後に、愛莉の声は聞こえなくなった。
これで、あの事件に関わった9人全員が、この世を去っていった。
できることは少ないが、それでも、少しでも彼らの役に立てたことが、植松は嬉しかった。

「さて、行くか」

雲ひとつに青空を見上げてから、植松は歩き出した。
新しい生き方に向かって。

オーディオ(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=Ud-AJMuUmo4


みなさんに元気や癒やし、学びやある問題に対して考えるキッカケを提供し、みなさんの毎日が今よりもっと良くなるように、ジャンル問わず、従来の形に囚われず、物語を紡いでいきます。 一緒に、前に進みましょう。