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災いは笑顔を携える【物語】
-1-
谷「それでは新村さん、よろしくお願いします」
インタビュアーの谷に言われて、新村寛(にいむら かん)は、
静かに頷いた。
和食レストラン残響。
和食をベースしているため、そう言われているが、実際には、オーナーの新村の創作料理に近い。
ジャンル新村というのが、一番しっくりくるかもしれない。
斬新で、常識を軽々と超えてくる料理の数々に、人々は魅了され、雑誌にも度々紹介され、店内は常に混み合っている。
そんな新村であるから、インタビューにも慣れている。
が、今回は少し緊張していた。
今回のインタビューは、新墾(しんこん)という月刊のビジネス誌で、成功者の軌跡を紹介する、人気コーナーに掲載するためのもの。
料理そのものについて話す、いつものインタビューとは違う上、今まであまり話したことがないことを、話すことになる。
自分の店でのインタビューだし、いつもどおり話せばいいのだが、なんとなく、始めてのことをするような、ワクワク感と緊張が入り交じった、妙な気持ちになっていた。
谷「少し緊張されてます?」
新村「そうですね(笑
まあ大丈夫ですよ。
喋れなくなるようなことは、ありませんから」
谷「そうですよね。では、始めていきますね」
新村「ええ。お願いします」
谷「よろしくお願いします。では…今月の15日で、10周年を迎える残響ですが、以前やっていた店で、とても教訓になる体験をされたと伺っております。今回は、そのあたりのお話をお聞かせいただけますか?」
新村「分かりました。
残響を開く前…もう20年ぐらい前になりますが、カリダという店をやっていました。専門学校を卒業して、和食店で2年ほど修行した後、すぐに店を始めたんです。とにかく早く、自分の料理を作りたかった。
残響の料理を見てもらえれば分かるように、私の料理はかなり自由なので、既存の店に入ってというのは難しい(笑
だから、自分の店を開いて、思いっきりやろうと思ったんです」
谷「先ほど実際に料理をいただきましたが、確かに見たことがないような料理が多いですね(笑
和食には違いないのでしょうけど、和食という枠に収めていいのか、迷ってしまう(笑」
新村「よくそう言われます(笑
邪道だなんて言われたりもしますけどね(笑」
谷「カリダでも、同じような料理を?」
新村「今ほどの技術力はなかったですが、同じように、和食をベースにした創作料理と、アルコールを提供できる店ですね」
谷「集客にあたって、どんなことをされました?」
新村「特別なことは何も…ただ、来てくれたお客さん一人ひとりに、誠実に接客して、最高の料理を提供することだけを考えてましたね。その結果、口コミで広がって、店はそれなりに繁盛してました」
谷「それを閉めなければならなくなった理由は、なんだったんでしょう?」
新村「店を開いて3年ぐらい経ったある日、一人のお客様が来店されました。それがすべての始まりでしたね」
谷「一人のお客様が原因だと…?」
新村「原因はいろいろありますが、元を辿ると、ということです」
谷「詳しくお聞かせ願えますか?」
新村「ええ」
-2-
17年前。
新村「ありがとうございましたぁ!!」
最後のお客さんが店を出ると、忙しいながら充実した一日が終わり、店にはしばしの静寂が訪れる。
黙々と清掃や後片付けをして、売上の計算が終わると、ようやく一息つく。
それが、和食レストラン、カリダの日常だった。
新村「店は順調に伸びてる。来月は、みんなにボーナスを出すぞ」
林田「ほんとですか!?」
林田新(はやしだ あらた)は、思わず大きな声を上げた。
接客係のリーダーとして、開店当初から働いている林田は、それまでボーナスをもらったことがなかった。
給与は、働きに応じて随時上がるため、不満はなかったが、新村の口から初めてボーナスという言葉が出たことに驚き、同時に、嬉しくもあった。
開店当初は、まったくお客さんがこない日もあり、一日に2人などという日も、それほど珍しくなかった。
それが今や、店は連日混み合い、平日はともかく、週末ともなれば、必ず満席になる。林田としても、感慨深いものがあった。
菊住「もしかして、林田さんもボーナスもらったことなかったんですか?
菊住真理恵(きくすみ まりえ)は、珍しく大きな声で言った。
菊住は、3ヶ月前に店に入ったばかりで、声が小さく、少し気弱な女性だが、そんな自分を変えたいと、接客の仕事を希望してきたのだった。
丁寧に、確実に仕事をこなすため、決して器用ではないが、着実に力をつけており、新村からも林田からも信頼されている。
林田「最初に言われたよ。
給与は仕事ぶりに応じて随時上げる。だから、昇給の時期のようなものはない。代わりに、ボーナスはしばらくは出せないから、社員であっても、そこは理解してほしい、ってね」
菊住「そうなんですかぁ…それが、ボーナスが出せるまでになったんですね…なんか、ちょっと感動ですね」
林田「だろ?」
菊住「あ、でも…私はまだ入って3ヶ月だから、関係ないか…」
新村「何言ってんだ。菊住にも出すよ。がんばってくれてるし、そんな大企業みたいな決まりは、うちにはないよ(笑」
菊住「え? そうなんですか?
…へへ… 嬉しい…」
林田「菊住の働きぶりなら、もらって当然だよ。お客さんからの評判もいいし」
菊住「ありがとうございます!」
新村「さて… じゃあそろそろ終わるか。二人ともお疲れ様!
菊住は明日休みだったね。
ゆっくり休みなよ」
菊住「はい!」
新村「林田、明日もよろしくな」
林田「ええ。お任せください。じゃあ、お疲れ様でした」
菊住「お疲れ様です」
新村「お疲れ様」
誰も、店が伸びていくことを疑わなかった。
新村は、店はもっと成長できると確信しながらも、決して奢ることはなかった。お客さんに感謝の気持ちを持って、自分が最高の料理を提供する限り、問題はないと…
翌々日の木曜日。
21時を過ぎ、空き始めたころ、その男は一人で来店した。
歳は30代半ばぐらいだろうか。
オーダーメイドで作ったと思われる、ピッタリとした、フィッシュマウスのネイビースーツに、落ち着いた赤のネクタイとポケットチーフを合わせている。口元に微笑を浮かべ、ゆっくりとした動作だった。
髪は短髪、髭は綺麗に剃ってあり、目が細く、顎はしっかりとしている。一見すると、誠実そうに見えるが、林田は、少し不気味な印象を受けた。
林田「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
男「ええ」
林田「カウンターでもよろしいですか?」
男「ああ… できれば、テーブル席がいいな。混んできたら移りますので」
林田「かしこまりました。では、そちらのテーブル席へどうぞ」
男は、足を組んでふんぞり返るようにして椅子に座ると、物色するように、店内を見回した。
林田「…」
男「注文いいかな?」
菊住「あ、はい!」
林田が他のお客の注文を聞き行くと同時ぐらいに、男は声を上げた。
男「生ビールと…この、一口ひつまぶしのチーズ和えってやつを」
菊住「はい。かしこまりました」
男「おねぇさん、名前はなんて言うの?」
菊住「え…?菊住です…」
男「菊住さんね。俺は枝野っていうんだ。よろしくね」
菊住「あ、はい…」
菊住は、なぜか少し、背中が寒くなった。
ナンパなどで声をかけられるのとは異質の、不快感とも違う、薄気味悪さ。
新村「どうかしたのか?」
菊住「いえ…あ、生ビールと一口ひつまぶしのチーズ和えです…」
新村「はいよ」
生ビールを注ぎながら、菊住は枝野のところに行くのを躊躇していた。
おかしなお客は今までもいたが、あれは何か違う…
そんな漠然とした思いが、心を重くした。
林田「大丈夫か? 菊住」
菊住「…え?あ、林田さん…はい、大丈夫です、すみません…」
林田「あのお客さんに、何か言われたのか?」
菊住「名前を聞かれただけです…でも、よく分からないけど、なんか怖くて…」
林田「そうか…じゃあ、ビールは俺が持っていく。菊住は、他のお客さんの接客を頼む」
菊住「すみません…」
林田「気にするな。ほら、あっちのお客さんの料理でてるぞ」
菊住「あ、はい」
菊住が行ったあと、林田はジョッキの水滴を拭き取りながら、さり気なく枝野のほうを見た。
特に、菊住を目で追うようなことはしていない。
なんとなく嫌な感じがするのは分かるが、そういうお客は初めてではない。
林田「お待たせしました。生ビールです」
枝野「菊住さんにお願いしたんだけど?」
林田「申し訳ありませんが、接客担当者のご指名はできかねますので…」
枝野「そんなことは分かってるけど、最初にきた人が対応したほうがいいと思わない?」
林田「状況次第なので…」
枝野「ふ~ん…」
枝野は不満そうだったが、それ以上何かいう気配もないので、林田はその場を離れた。
新村「はい、一口ひつまぶし」
林田「…」
新村「どうした?」
林田「いえ…あとで話します」
新村「?」
林田「お待たせしました。一口ひつまぶしのチーズ和えでございます」
相変わらず不機嫌そうな顔だが、枝野は黙って、料理を口を運んだ。
枝野「へぇ…ああ、君、ちょっといいかな?」
林田「はい、どうされましたか?」
枝野「この料理、絶品だね。ぜひ、シェフに会いたいんだけど」
林田「…シェフは調理中なので、確認いたします」
枝野「ああ、頼むよ」
林田は、訝しみながらも、確認するために厨房に向かった。
林田「新村さん、2番卓のお客様が、料理が絶品だったから、会って話したいと言ってますが、どうしますか?」
新村「ふ~ん…珍しいね、こんな小さな店のシェフに会いたいなんて。わかった。1番卓の料理を作り終わったら行くよ」
林田「分かりました。
では、そのように伝えます」
林田が説明すると、枝野は素直に納得した。
なんとなく、不満を口にするかと思っていた林田は、少し驚いたが、それほど気にせずに仕事に戻った。
新村「お客様、お待たせいたしました」
新村がテーブルの前までいくと、枝野はゆっくりと視線を移し、にこやかに笑った。
枝野「やあ、あなたがシェフ?」
新村「はい。シェフの新村と申します。
この度はご来店いただき、ありがとうございます」
枝野「いやぁ、たまたま寄ってみたんだけどね、
まさかこんなに美味しい料理を食べられるとは思わなかったよ。
この店はもう長いの?」
新村「開店して、3年目です」
枝野「そうですか。じゃあ、勢いがついてきたころですか?」
新村「そうですね、おかげさまで…」
枝野「あ、申し遅れました。
私、人材育成や企業向けのコンサルタントをしております、枝野と申します」
新村「枝野様、コンサルタントの方でしたか」
枝野「ええ。
今後、仕事でこの辺りにくることが増えそうなので、また寄らせてもらいます」
新村「ありがとうございます。お待ちしております」
やりとりが終わると、枝野は会計を済ませ、帰っていった。
気づけば、閉店間際。
他のお客もポツポツを帰っていき、閉店時間を5分過ぎたところで、すべてのお客が店を出た。
新村「二人とも、お疲れ様~」
菊住「お疲れ様でした」
林田「新村さん、あのお客さん、ちょっと気になりませんか?」
新村「さっきのって… 枝野さんのこと?」
林田「ええ…なんか、嫌な感じがします…見た目は清潔感もあって、良さげですが、垣間見える部分が、なんとなく…」
新村「考えすぎだよ。いいお客さんじゃないか。
わざわざ料理を褒めてくれたり…」
林田「そうなんですが…」
新村「菊住はどう思う?」
菊住「え? 私ですか?
そうですね… ちょっと苦手ですけど、それほど問題はないかと…」
新村「そうか。
まあ、もし問題があるようなら、対処しようじゃないか」
林田「はい…」
その後、枝野は定期的に店にくるようになり、多い時は週に4日来ることもあった。
必ずテーブル席に座り、店が混み始めても、自分が一人で数人分の料理を頼んでいるのだからと言って、動こうとせず、食べきれずに残したり、周囲のお客にあげたりと、妙な行動をすることが、しばしばあった。
林田は、そのたびにやんわりと注意したが、枝野はなんやかんやと理由をつけて、改めることはなく、林田もなぜか、それ以上強く言えなかった。
林田「新村さん、枝野さんですけど…」
ある日の閉店後、林田は言った。
新村「うん」
林田「やんわり、断ったほうがいいんじゃないですか?」
新村「断わるって?」
林田「店に来ることをです。強めの言い方をするなら、出入り禁止に…」
新村「何を言ってるんだ。コーヒー1杯で居座ってるわけでもないのに…」
林田「それはそうですが、他のお客様への行為や、料理の食べ方については…」
新村「そうかもしれないが、大切な常連客だ。少しぐらい大目に見よう。お客様あっての我々なんだから」
林田「…分かりました」
林田は、嫌な予感が消えなかった。
新村は、店の変化に気づいているだろうか?
枝野が来るようになってから、店の空気感は少しずつ変化している。
それも、悪い方向へ…
お客のわがままを許すことは、決して良いことではない。お客は大切だが、神様ではない…新村と林田の間にも、気づかないうちに、溝ができ始めていた。
-3-
菊住「林田さん、駅まで一緒に帰りません?」
閉店後。
林田が着替えを済ませて外に出てくると、店の前で待っていた菊住が声をかけてきた。
林田「どうした?珍しいな」
菊住「ちょっと、気になることがあって…」
林田「そうか。じゃあ、歩きながら話そう」
駅までの道を歩きながら、菊住はしばらく、俯きながら黙っていたが、林田が声をかけてようとすると、口を開いた。
菊住「最近、店の空気感が変わったと思いません?」
林田「…おまえもそう思うか…」
菊住「はい…」
林田「新村さんにも言ったんだけどな。どうも、気づいていないらしい…あの枝野ってお客が原因だと思うんだけど…」
菊住「私もそう思います!!」
林田「だろ?どうしたもんかな…」
林田たちの予感は、的中した。
二人がその話をした翌週から、枝野は友人らしき人間を連れてくるようになった。
最初は1人か2人だったが、徐々に増えていき、その全員が、枝野と同じような振る舞いをする。
週に3日はそういった状態で、決まった曜日にきていた常連客が、枝野たちを嫌ってか、あまり顔を見せなくなったりと、目に見える変化が出てくるようになった。
林田「新村さん、ちょっといいですか?」
ある日、店が閉店したあと、林田は新村に声をかけた。
その顔には、苦悩が浮かんでいる。
新村「どうした…?」
林田「枝野さんたちのことです…」
新村「またか…いいじゃないか。
多少問題があっても、友人なんかを連れてきてくれてるんだろ?
売上にはなってるし、店で暴れたわけでもないし…」
林田「私や菊住は、ずっとホールにいるから、新村さんとは見え方が違うのだと思いますが…あの人をそのままにしたら、いずれ店が傾きますよ?
お客を連れてきているようで、それ以上に客離れを引き起こしている…
売上としてはあまり変わらないのかもしれませんが、優良なお客さんが減っていけば、店の雰囲気も悪くなって…」
新村「あのなぁ…客離れは、必ず起こるものなんだよ。
うちを気に入ってくれたとしても、別にいい店を見つければ、そっちに通ったりする。
でも、うちにもまた、新しいお客さんが来てくれる。
そうやって、流れるものなんだ。
前にも言ったが、枝野さんがまったく注文もしないなら、それは問題だ。
けど、注文はしてくれる、友人も連れてきてくれる、それだけでも十分じゃないか」
林田「私は…もっと長い目で見た話しを…」
新村「枝野さんはうちの料理も接客も褒めてくださるし、いいお客さんだよ。俺には、なぜ君がそんなことを言うのか分からない」
林田「あの男はたぶん…サイコパスかソシオパスです…」
新村「サイコパス?連続殺人犯なんかが持ってるっていう性質の、あれかい?」
林田「サイコパスだから人殺しというわけではありません…もっと身近な存在なんです…共感力は皆無で、人を傷つけても何も感じない……手段を選ばずになんでもできるんです。普通の人なら躊躇するようなことでも……
だから、企業なんかで上に行く人間もいる。
表面上は、好感をもたれるような人間なのも、サイコパスの特徴の一つです。
調べたんです、本を読んで……
枝野の態度は…あれは……!」
新村「ふぅ… もういいよ。
本当に問題があるなら、そのうち分かるだろう」
林田「分かったときには手遅れになってますっ!!」
今まで一度も大声など上げたことがない林田に、新村も菊住も驚いたが、新村は少し不機嫌な顔になり、林田にもう帰るように言うと、奥に引っ込んでしまった。
林田「…新村さん…」
菊住「林田さん、どうします…?」
少し怯えたような、心配しているような顔で、菊住が言った。
林田「説得は難しいな…しょうがない…俺達だけで、なんとしよう」
林田と菊住は、翌日が定休日なのを幸いに、仕事帰りに飲み屋によって、対応策を考えることにした。
「僕はビールで。
菊住は?」
「あ、私もビールお願いします」
ビールが運ばれてくる間に、適当に料理を注文し、運ばれてきたビールで喉を潤してから、林田は口を開いた。
林田「こっちから、もう来ないでくれとハッキリ言うのは、難しいと思う。新村さんもあんな感じだしな」
菊住「じゃあ…それはしょうがないって、新村さんも思うようなことが起こらないとダメってことですね」
林田「そうだな。
…確実なのは、枝野に手に出させることかな…そうすれば、新村さんだって放置はできないはずだ。
問題は、どうやって手を出させるか…」
菊住「あんまり挑発したら、相手に正当性を与えることにもなりますし……暴力だから、正当性なんてないかもしれませんけど、酷いことを言われたから、思わず手が出てしまったとかだと、ちょっと……」
林田「うん。
確かに難しい……
事実だけを淡々と言って、枝野から言葉を引き出しつつ、手を出すところまで持っていくしかないな…」
菊住「うまくいきますかね…」
林田「なんとかやってみるよ。
ただ、その間は、他の接客は菊住が一人でこなすことなるけど…」
菊住「大丈夫です。任せてください」
林田「頼もしいな。ありがとう」
菊住「いえ…」
林田「俺は、カリダが好きだ…潰したくない…」
菊住「私もです…やりましょう、林田さん」
林田「ああ…」
二人は飲み屋を出ると、無言で駅まで歩き、それぞれの帰路についた。
-4-
定休日明けの20時ごろ。
枝野は、新しい友人らしき男を3人連れて現れた。
林田「いらっしゃいませ」
新村「やあ枝野さん、いらっしゃい」
にこやかに挨拶する新村をよそに、林田は菊住に目で合図をした。
菊住が無言で微かに頷く。
新村「2番卓! 料理でるよ!」
料理を受取り、枝野たちがいるテーブルに運ぶと、林田は作戦に移った。
林田「枝野さん、また新しいご友人ですか?」
枝野「今日知り合ったばかりだから、友人というほどのものでもないけど、中々気の合う人たちでね。いい店があるから行くかいと言ったら、ぜひ行きたいというので、連れてきたんだよ」
林田「そうですか。
それはありがたいですが、いつもみたいに騒ぐのは控えていただけますか?」
枝野「それはどういう意味かな?」
林田「失礼ながら、枝野さんが連れていらっしゃるお客様は、毎回他のお客様に何かしらの御迷惑をかけているので…」
枝野「だから、彼らも騒ぐと?」
林田「そうは言っていません。念のためです」
枝野「君は、前から私のことが気に入らないみたいだから、そんなことを言っているんじゃないのかな?」
林田「そうではありません。私はあなたの人格を注意しているのではなく、行為を注意しているんです。
ご友人が騒いでも、あなたは制すこともせずに、むしろそれを促すようなことをする。それを止めていただきたいのです」
枝野「ほう…私が店に来るたびに、他のお客さんに迷惑をかけている、といいたいのですね」
林田「好き嫌いの問題ではなく、事実だけを言えば、そういうことになります」
枝野「常連客の私に対して、随分な言い方じゃないか」
林田「失礼は承知です。
しかし、店側としても、他のお客様に迷惑をかけることを、見過ごすわけにはいかないのです」
枝野「本当に失礼な男だ…私がこの店にいくらお金を落としたと思っているんだ?」
林田「店に来ていただき、お金を使っていただいていることは、ありがたく思っております。しかし、だから何でも許されるわけではありません。枝野さん、あなたの行為は、許容範囲を越えております」
枝野「なんだとっ!!」
新村「どうされましたか?」
枝野が席を立ち、林田と睨み合ったところで、異変に気づいた新村が走ってきた。
新村「林田、どうしたんだ?」
林田「他のお客様に御迷惑のないよう、お願いしただけで…」
枝野「オーナー、林田さんはね…私が連れてくる友人が、必ず他のお客さんに迷惑をかける、今日初めて連れてきた彼らも、どうせ迷惑をかけるだろうから、もう店にこないでほしいと言ったんですよ。
常連客で、新しいお客をたくさん連れてきている、私に向かってね…」
新村「林田、そうなのか?」
林田「店にこないでほしいとは言っていません。迷惑をかけないようにお願いしただけで…」
新村「迷惑って… 失礼だろう、そんなことを言ったら!」
林田「ですから…」
新村「林田、ここはもういい。他のお客様の対応をしてくれ」
林田「…分かりました」
新村「枝野さん、大変な失礼を…」
枝野「いやまあ…オーナーが分かってくださればいいですよ。
しかし…彼はちょっと、気をつけたほうがいいかもしれませんね。カリダに相応しくないように思いますね、失礼ながら…」
新村「いえ、貴重なご意見ありがとうございます。
お詫びといっては失礼かもしれませんが、一品無料で提供しますので、食べていってください」
枝野「それはありがたい」
その日、閉店近くまでいた枝野は、自身は特に何もしなかったが、"友人"たちは大きな声で騒ぎ、他のお客は時折、眉をしかめた。
林田はそのたびに、お詫びを言ったが、なぜ騒いでる客を注意しないんだとお叱りをうけ、それに対しても謝るということを繰り返すことになった。
新村「林田くん、ちょっといいかな」
林田「…なんでしょう」
新村「なぜ枝野さんにあんなことを言ったんだ?大切な常連さんだぞ?」
林田「前に言ったとおりです」
新村「サイコパスか、ソシオなんとかだっていう話か?」
林田「ソシオパスです。
サイコパスかソシオパスか分かりませんが、枝野を放置したら、店は…」
新村「店が何だと言うんだ?」
林田「店は… 潰れると思います…」
新村「なんだって?」
林田「私は、カリダが好きです。潰したくない…だからっ…!!」
新村「…枝野さんの言ったとおりだな。林田くん、君はうちに相応しくない」
林田「相応しくない…?」
新村「そうだ。これ以上は言わせないでくれ…」
林田「…そうですか…」
菊住「待ってくださいっ!! 林田さんは…」
林田は、何かを言いかけた菊住のほうを見て、首を横に振った。
菊住は目を潤ませながら言葉を飲み込み、そのまま更衣室に向かった。
林田「…お世話になりました、新村さん」
それが、林田の最後の言葉だった。
ついこないだまで、和気あいあいとしていたのが嘘のように静まり返った店で、新村は、明日からのことを考えないようにしながら、一人仕事に戻った。
-5-
翌日から、林田がいなくなったカリダは、大わらわだった。
新村はホールと調理場を兼任し、菊住は以前の倍以上の仕事をこなし、閉店後には言葉を発する体力もないほど疲れ果てし、帰路につく。そんな日々が続いた。
枝野は相変わらずで、時折初めてのお客を連れてきては、さり気なく騒ぎを助長し、制することもなく、自分はゆったりと食事と酒を楽しんだ。
気づけば、枝野が連れてきた連中だけで、店内が埋まる日も増え、開店当時から通ってくれていた優良客もこなくなり、客層も変わり、人手不足も相まって、店は荒れていった。
菊住「最近、このあたり治安が悪くなりましたね…」
新村「…そうだな」
菊住「…」
新村「どうした?」
菊住「私がここに入った頃は、そんなことありませんでした。
お客さんも、優しい人ばかりで…でも、今は違う…枝野さんが来た頃から、客層も変わって、あの人が連れてくるような人たちが、このあたりによく来るようになって…」
新村「…やっぱり、そうなんだろうか…」
菊住「私はそう思います。
こないだ、斜向(はすむか)いにあるカレー屋さんに行ったんです。そこの従業員さんも言ってました。
治安が悪くなったって… いつごろからって話になったんですけど、やっぱり、枝野さんが通い始めたころと、一致していました…」
新村「…だとしても… 偶然じゃないのか…?」
菊住「現実を見てくださいっ!!新村さんは、お客様は神様だって、常に感謝して、極力要望に応えていかないといけないと言いますけど、すべてのお客さんがいい人じゃないっ!!
林田さんが正しかったんですよ…店を荒らすような人を、店に来てくれるという理由だけで、優良客と同じように接する…その間違いが、今の状況を生んだんですよ、きっと…」
新村「じゃあ、どうすればいいと思う…?」
菊住「もう手遅れですよ…今、彼らを全部排除しても、治安の悪いところにある店に、わざわざ来る人はいません…
味が良くても、他にも美味しい店はあるし、おかしなお客がたくさんいる店にくる理由がない…だから、彼らを排除したら、今度は売上がなくなって…」
新村「それは… つまり…」
菊住「もう無理ですよ…枝野が何を企んでいたのか分かりませんが、彼の思う壺になったってことだと思います…」
新村「…」
菊住「新村さん、私も、もう限界です…辞めさせてもらいます…」
新村「え…? 待ってくれ、君にまで辞められたら…バイトはすぐに採用するから…」
菊住「もう、無理ですよ、新村さん…」
そこまで話すと、新村は大きくため息をついた。
谷「そんなことが……あったんですね……」
新村「それから一ヶ月後、私は店を閉めて、何がいけなかったのか、どうすればよかったのか、ずっと考え続けて、世界各地の店で修行をさせてもらいながら、ビジネスのこと、人間関係のことなど、料理以外のことも勉強しました。そして10年前、残響をオープンしたんです」
そこまで言い終わると、身体に溜まっていた老廃物を、すべて出しきったかのような、スッキリした顔で、新村は微笑んだ。
谷「…なるほど…その枝野という人は、何が目的だったんですかね…?」
新村「私が店を閉める3日前…閉店を決めてから、しばらくきていなかった枝野が店にきて、ビールと、最初に来たときに食べた、一口ひつまぶしを注文したあと、
『残念ですよ。お気に入りの店だったのに…』
わざとらしい顔で、そう言いました。
そのあと、ふと枝野を見たら、疲弊しきった私を、不気味な笑顔で見つめていました。未だに忘れられない顔です…
そして、帰り際にこう言いました。
『二ヶ月後、ここには私がコンサルした店が建つことになっています。お気に入りのカリダの良さを引き継ぐような店にするつもりです』
私は一言、そうですかとだけ言いました。
枝野はそれを見て、ニヤっとすると、帰っていきました」
谷「それはつまり…自分がコンサルした店を建てるために、新村さんの店を…?」
新村「そういうことなんでしょうね、たぶん。
私が店を出してから、その地域には店が増え始めた。激戦区になる前に、場所を確保しようとしたのかもしれませんが…」
谷「けど、それならまだ空いている場所に入れば…」
新村「そうですね。
けど、私の店がある場所が良かったのかもしれないし…ここはオフレコでお願いしたいんですが…」
谷「承知しました」
新村「枝野は、店が崩壊していく様を見て、楽しんでいたんじゃないかと思います。他の場所でもよかった。けど、自分の楽しみのために、あえて私の店をターゲットにした…」
谷「林田さんの言ったとおり、サイコパスやソシオ…パス? だったと?」
新村「たぶんね」
谷「ソシオパスというのは、どんな人のことをいうんですか?」
新村「ソシオパスはサイコパスと似ているけど、サイコパスが他人との深い関係を築けないのに対して、ソシオパスは一部の…例えば家族…などとは、深い関係を持っていることがある、と聞きました。
日常的に嘘をつき、罪悪感もなく、平気で人を傷つけるけど、第一印象はよく、表面的には人当たりもいいから、相手も騙されやすい。
そして、集団に溶け込む…基本的には、サイコパスと一緒です。
ただ、一部とは関係が深いそうです」
谷「つまり… 会社の上司や同僚の中にも、ソシオパスがいる可能性があると…?」
新村「そうなりますね」
谷「恐ろしい話ですね…」
新村「ええ、まったくです。
いま思うと、枝野がコンサルタントをしているという話も、嘘だったんじゃないかと思います。自信満々で言うし、言葉巧みだから、嘘だとは気づきにくいんですけどね。カリダの跡地に、別の店が出来たのは確かですが、それが枝野がコンサルした店かどうかも…」
谷「なるほど…林田さんと菊住さんとは、その後は…」
新村「林田は、今は別の有名店でサービス部門のマネージャーをしています。
時々連絡を取ってますよ。
菊住は、残響のサービス部門のトップです」
谷「そうだったんですか!」
新村「ええ。
林田とは、店を閉めてから連絡をとって、いろいろ話しました。
彼も分かってくれて、情報交換をするようになり、今はお互いを高め合える関係になりましたね。
菊住は、当時も優秀なバイトだったけど、今は一番頼れる人材です。サービス部門は、彼女に任せておけば何も心配はない」
谷「恐ろしい経験だったけど、それがあって、乗り越えたからこそ、今があるんですね」
新村「そうですね。
何があっても、そこから学び、糧として、結果を出したときに、あの経験があったからこそ今があると思える。
生きていれば、転ぶことはあります。
けど、転んでもタダで起きてはダメです。
必ず糧として、次に活かす。
成功するには、そういう強かさは不可欠だと思います」
谷「負けてたまるかという気持ちですね。その気持ちがあるから、どうすればいいかと考える」
新村「そのとおりです」
谷「肝に命じておきます。今日は私自身も、非常に勉強になりました。ありがとうございました」
新村「いえ、こちらこそ。
今まで受けたことがないインタビューだったので、新鮮で、貴重な経験になりました。記事、楽しみにしています」
谷「ええ。記事が出来たら、お見せしますよ」
新村「よろしくお願いします」
谷が帰ったあと、新村は椅子にもたれ、天井を見上げた。
過去の話をしただけだが、何かをやりきったときと同じような気持ちになっていることが、不思議だった。
菊住「枝野がここにも来たことは、言わなかったんですね」
菊住が、ちょこっと顔を出して言った。
新村「ああ。言いそびれたというか、まあいいかなと思ってな」
菊住「枝野、まだどこかで同じようなことをしてるんですかね」
新村「かもしれない。
けど、今回の記事が出ることで、少しは世の中に警戒心のようなものが生まれてくれたらいいなと思う。
あのころの俺は、何も分かっていなかったから、枝野にいいようにやられたというのもあるけど、ヤツが危険な人物であることに変わりはないからね」
菊住「そうですよね…」
お客様は神様です。
それは、サービスを提供する側、受ける側、どちらが持っていても、健全な関係は築けない。
売り手と買い手という関係であったとしても、そこには人間としての人格がつきまとう。
悪質なお客を切り捨てる覚悟を持つからこそ、良質なお客の支持を得ることができる。
新村「雑誌の記事がでたら、勉強会でもこの話をするかな…」
菊住「何か言いました?」
新村「いや、独り言だよ」
菊住「?」
新村「さて…今日も最高の料理と時間を提供するかっ!」
菊住「はいっ!」
新村は立ち上がると、厨房に戻った。
最高のお客様に、最高の料理を楽しんでもらうために。
みなさんに元気や癒やし、学びやある問題に対して考えるキッカケを提供し、みなさんの毎日が今よりもっと良くなるように、ジャンル問わず、従来の形に囚われず、物語を紡いでいきます。 一緒に、前に進みましょう。