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蟄蛇坏戸 ―へびかくれてとをふさぐ― (三)

<全六話> <一> <二> <三> <四> <五> <六>


<三>


「まあ、素敵。とてもハイカラですのね」

 茉莉花まつりかの案内で通された家族用の居間は広々とした西洋風のしつらえであり、調度品も純和風の家で生まれ育った咲保さくほにとっては、珍しいものばかりだった。カーテンの織り柄すら、興味深い。
 植木にさえぎられながら窓から差し込む光も塩梅あんばいよく、落ちる影も柔らかだ。室内の空気も清浄で、いるだけでなごむ、とても気持ちの良い部屋だ。

「ありがとうございます。どうぞ、こちらの履き物に変えてお使いになってくださいまし」

 誘われて部屋の外に出れば、こぢんまりとしながらも開放的な板敷の間になっており、端には庭に降りられる階段もあった。間近に植えられた紅葉もみじは、盛りにはまだ時期が早いが、色が変わる短い間のこの風情ふぜいもまた良いものだ。枝の奥からは、石灯籠いしどうろうと橋のかかる小さな池がのぞき、一幅いっぷくの絵のような落ち着きある眺めだ。盛りになれば、また違った美しさが楽しめるに違いない。
 二人がけの可愛らしいテーブル席には、すでに昼食の用意がなされていて、その一方に咲保は腰掛けた。黒漆くろうるしの重箱に詰められた上品な松花堂弁当は、食べやすいように細やかな配慮もなされており、彩りも美しい。一口箸で運べば、素材の味わいもくっきりとして、濃すぎず淡すぎずの味付けに、舌がねて喜んだ。

「さすが熾盛しじょう家ですわね。見事ですわ。お庭もお料理も、何もかもすべてが美しく調ととのってらっしゃる」

 感嘆のため息と共に感想を述べれば、茉莉花は手を叩かんばかりの満面の笑みを浮かべた。

「そうおっしゃっていただけて嬉しいわ。今日のために私も随分と骨を折りましたのよ」
「え、茉莉花さまが? お兄さまやご婚約者さまではなく?」

 意外だった。次期侯爵家当主として、またその夫人になる者としての評価をあげる良い機会であったはずだ。すると、茉莉花は首を横に振り、声をひそめた。

「いえ、ここだけの話、先ほどの話ではございませんけれど、十和子とわこさまのお姉さま、佳江さまは、十和子さまとは正反対の気質でいらして、出しゃばらず、万事控えめな方でいらっしゃるの。穏やかな気質で、とても素直な方でいらっしゃるのですけれど……」
「それはまた、姉妹で極端きょくたんでいらっしゃるのね」
「そうですの。ですから、実を申し上げると、あの方を見ていると、十和子さまがああなるのも仕方ないのかしら、と思ったりしますのよ。ご本人がどう思っているかまでは存じませんが、なんというのかしら……言いたいことを我慢されているようにも感じますの」

 なるほど、学生時代の彼女への仕打ちは、姉への苛立いらだちを八つ当たりされていたこともあったのか、と咲保はうなずいた。家の方針へなのかもしれないが。
 それにしても、茉莉花も色々と溜まっているようだ。ともすると、悪口に聞こえかねないし、陰口には違いないのだが、咲保は悪い気分にはならなかった。それは、案外、気さくな茉莉花の人となりに触れているせいかもしれないし、咲保の天敵絡みだからかもしれない。

「当初は、母が当家の習いの仕込みも兼ねて、佳江よしえさまを中心に準備を進めていたのですけれど、一時が万事ばんじ、あれはどうすれば良いか、これはどうかと尋ねるばかりで一向に進まず……いえ、佳江さんもお花を生けるぐらいはできますのよ。免許もお持ちなぐらいですし。これほど大きな催しでなくとも、茶事ちゃじのお手伝いぐらいはなさったことあるでしょうし。ですから、ある程度はわかっていると思っていたのですけれど……」

 あとで良かったら、部屋から出て廊下のすぐ右側に生けてある花を見てくれ、と茉莉花は言った。佳江が生けたものだと言う。

「見ていただいたら、なんとなくお分かりになられるかと思いますわ」

 あったことも気づかなかった花の存在に、咲保も茉莉花の言わんとすることがわかった気がする。

「あぁ、でも、なんとなく佳江さまのお気持ちもわかる気がしますわ。ご自分に自信が持てなくていらっしゃるのではないのかしら。それでなくとも、格上の侯爵家に嫁ぐのですもの。腰が引けていらっしゃるのかも」
「確かにそういうところもおありでしょうね。でも、突然、できないと泣かれた日には、こちらもどうすればいいのか、おろおろしてしまいましたの」

 それを聞いて、咲保の箸も止まった。
 
「その場でお泣きになられましたの?」
「ええ、私もそばにおりましたけれど、母も別段、厳しいことを申したわけではございませんのよ。ごく当たり前に、雨天の際には、お客様にお出しするお茶碗を変えることを指摘しただけで、突然」
「あらぁ……」
「流石に、ないでしょう?」
「それはちょっと……」

 ない。隠れてならまだしも、その場では『ない』。
 確かに侯爵家に嫁ぐとなれば、覚えなければならないしきたりの数もかなりのものになるだろう。色々ありすぎて疲れてしまったとか、我慢が効かなかったにしても、婚家に馴染なじむ以前の問題のような気もする。多分、根本的なところで向かないのだろう。それは不幸な事だが、どうしようもない。

「ですから、お母様もこれ以上は無理だと判断されて、残りの支度したくを私が引き継ぎましたの。佳江さまには、私の花嫁修行の一環だからとおっしゃって」
「お母様も気遣われたのですね」
「えぇ、でも、以来、母との間がぎくしゃくしてしまって……この先が思いやられるというか」
「そうでしょうねぇ」
「父はそういうことには無頓着むとんちゃくですし、上の兄の満更まんざらでもなさそうな態度をみるにつけ、殿方はああいう方が好ましく感じるのでしょうけれど、奥向きのことを取り仕切るにはねぇ」
「……そうですわねぇ、難しいところですわね」

 家々の結びつきは当主同士が決めるもので、当人の希望や気質はあまり考慮されない事がほとんどだ。ましてや女の方から異議を唱えたところで、なかなか聞いてもらえるものではない。それでも、大抵は、諦めるなり、頑張るなり、我慢をしてでもなんとか折り合いをつけていくものだが、どうにもならない場合もあるという事なのだろう。当人同士の相性さえ良ければよい、というものではないらしい。
 世の中いろいろあるのだな、と咲保は思い、その点、家人の理解を得て自由にさせてもらっている彼女は幸運なのだな、としみじみ噛み締めた。

「あら、」

 と、一羽のヒタキにも似た小鳥が飛んでくると、差し出した茉莉花の指先に止まった。途端、みるみる内に一枚の紙へと変化する。

「失礼、しきですわ。お母様からかしら……ああ、そうですわ。無事、九尾きゅうびは片付いたそうですわよ。数名の怪我人は出たようですけれど、みなさまご無事ですって。これから戻るそうですわ」
「よかったこと。これで一安心ですわね」
「えぇ、でも、気が重くもございますわね。今日のことをなんと説明したものやら……」
「ああ、そうですわね。でも、茉莉花さまが悪いわけではございませんし、そのままお伝えになられればよろしいではございませんか」
「それはそうなのですけれど……」
「茉莉花、いるか」

 唐突に響いた男性の呼び声に、彼女たちは視線を移した。モーニングコートの青年が一人、部屋に入ってくるのが見えた。

(この方は……)

 間違いなく、先ほど、杜種とぐさたまきを連れ去った青年だ。環はどうしたのだろう?  なにやら焦っておいでのようだ。一瞬、目が合ったが挨拶する間もなく、軽く会釈するだけに留まる。

「たった今、父上からの連絡で、今から帰ってくるそうなんだが」
楢司しゅうじ兄さま、そのことなら、私のところにもお母様から連絡がありましたわ」
「ああ、そうか。それで、保護した子どもたちのことだが、手っ取り早く、説明がてら迎えに来てもらうよう杜種家や九島くしま家らのご当主らにお声がけしようかと思うのだが、支度を頼めるか」
「それは出来ないことはないですけれど……みなさまお疲れでしょうし、子どもたちは、一旦いったん、家に帰して、説明は日を改めた方がよろしいのではなくて?」
「出来ればそうしたいが、事が事だけに、各家、帰ってもすぐに休む間もなく当家へおいでになられると思う。そのたびに、こちらもいちいち説明するのも面倒だし、二度手間、三度手間になる。一度で済ませられるものならそうしたい」
「まぁ、お兄さまがそう判断されるのでしたら、従いますけれど」
「そうか。では、頼む」
「ところで、佳江さんはどうされたの?」

 その問いには、ああ、と歯切れの悪い返事だ。心なし、頬が引きっても見える。

「佳江は、先ほど家に帰ったそうだ」
「帰った!? まだお客様がいらっしゃるのに!?」

(あぁ、佳江さまはそうとらえられたのね……)

 当主代理を務める楢司の様子から察するに、場の責任者として、『公爵令嬢を保護した』つもりなのだろうと感じた。だが、武家の家では、いまだ旧体制の慣わしが根強く西洋のダンスなどでも忌避きひする傾向が強いそうだ。事、男女の関係ともなると、夫婦であってもみだりに触れ合うことははしたないとされている。先ほどの楢司の行動は、佳江の気質も合わせて考えれば、『公爵令嬢と特別な関係がある』か、あるいは、『特別な関係になりたがっている』と、そうとらえるのも無理からぬことだろう。誤解だとしても、同情を禁じ得ない。

(殿方は、あまりそういったことに疎いものだけれど、どうしたものかしら……?)

 男たちの気が利かないのは、どこも変わらないらしい。ただ、問題は茉莉花だ。今のやり取りからして、把握はあくしていないし、気付いていないに違いない。後から知れば、より面倒なことになりそうだ。とはいえ、他家たけのことに口出しするのは御法度ごはっと。そのことで咲保に提示できる解決策などあろうはずもなく、ただ無責任に事を荒立てるだけになる。
 あまりの悩ましさに、咲保は黙って恨みの視線を楢司に向けた。すると、茉莉花との言い合いにうんざりしてか、「知らん」と乱暴に言い捨てて、足音高く部屋を出て行ってしまった。
 ごめんなさいね、と咲保に向き直った茉莉花が言った。

「みっともないところをお見せてして、恥ずかしいわ。許してちょうだい」
「いいえ、お気になさらず。うちも似たようなものですから」

 そう答えると、ふふっ、と茉莉花は軽い笑い声を立てたが、それもすぐにしぼんでしまった。しょげる姿に気の毒に感じる。彼女もただ巻き込まれただけなのだ。

「佳江さんもこんな時に何を考えているのか……いくらなんでも、ひどいわ」
「いえ、あの、私に何かお手伝いできることはございますかしら」
「いいえ、お気遣いなさらないで。ありがとう。なんとかなりますわ。多分……両親もすぐに戻るでしょうし」
「そう。ご無理なさらないでね」
「ありがとうございます。でも、そんなわけで、中途半端になって申し訳ありませんけれど、ここで失礼させていただくわ。あなたはここでゆっくりなさっていらしてね。お帰りの際は、うちの者に一声かけて下されば玄関までご案内いたしますので」
「えぇ、そうさせていただくわ。今日お会いできてよかった。素敵なおもてなしをありがとうございました。とても楽しゅうございました」
「えぇ、私も。また、今度ゆっくりとお会いできないかしら。学生の頃はあんな風でしたけれど、これを機に仲良くしていただけると嬉しいわ」
「えぇ、こちらこそ是非。お時間がある時にでもお誘い下さいませ」
「では、後日、連絡させていただくわね。お帰りの道中お気をつけになって。ごきげんよう」
「ごきげんよう」

 茉莉花を見送って、咲保は食事を続けようとしたが、ほんの少しの間に、あれほど美味しいと感じていたものが、ひどく平凡な味に変わってしまったようだった。どうにも気に掛かってならない。

「まるお、いる?」
「はい、お嬢さまこちらに」

 影から伸び出るように姿をあらわした侍女に、咲保は相談することにした。

「あのね、まるお。庭であなたが席を外していた時、私、見てしまったの。今日の騒ぎで捕まった女の子が蛇憑きだったのだけれど――たぶん色欲しきよくの蛇よ――あやかしの。それから分かれた蛇が、茉莉花さまのお兄さまに取りくのを見てしまったの。それが、その後のお兄さまの行動にも影響した可能性もあると思うの。けれど、先ほどご本人にお会いした時に、それらを自覚しているご様子はないし、茉莉花さまもお気づきになられていないようなの。そういう事ってあるのかしら?」

 その質問にまるおは小首を傾げると、思案げな口調で答えた。

「はっきりとはわかりかねますが、熾盛家のように力のあるお家の方々には、小物すぎる物の怪モノノケの気配は、かえって気付かれにくいのかもしれません。憑かれても、すぐに物の怪が居心地悪さに逃げるでしょうし、影響もほとんど受けられないかと」
「そういうこともあるのかしら……だとしたら、お伝えした方がいいのかしらね? でも、ただ迂闊うかつな行動をされただけならば、他家のことに口を出すのは失礼じゃない。ご当主が戻られたら流石に気づかれると思うし……下手に指摘して恥をかかせるような事になったら、私がお父様に叱られてしまうわ。どうかしら? それとも、このまま黙ってお暇してしまって良いと思う?」
「お嬢様がお望みならば、気付かれぬようはらってしまいますが」

 と、答えるまるおに、咲保は首を横に振った。

「いいえ、それは良くないと思うのよ。杜種公爵家との関係がどう転ぶかわからないもの。もし、公爵家からご令嬢への責任を取るように言われたとして、茉莉花さまのお兄さまがお断りされる場合の言い訳になるじゃない? 九島伯爵家との兼ね合いもあるだろうし」
「確かにそうですね」
「ただ、そうだとしても、亀由かめよし家の佳江さまとの縁談は解消されそうだわ」
「それは仕方がございませんでしょう。とうに縁は切れているご様子ですし」
「あら、そうなの。あなたの見立ては正確だもの。それはどうにもならないわけね」
「はい。ですので、これ以上、お嬢さまがお力になれることはないかと」
「そうね、残念だけれど……では、これをいただいたら、そのままおいとましましょう」
「かしこまりました」

 方針が決まったところで、咲保は残った料理を片付けはじめた。あらかた食べ終わったところで、熾盛家の女中が一人、脚車付き配膳台ワゴンを押して入ってきた。

「食事はお済みでしょうか。水物をお持ちしました」
「ありがとう……っまるおっ!!」

 咲保の脇に控えていたまるおが、突然、丸々とした身体つきに似合わぬ俊敏しゅんびんさで女中に襲いかかると、手にした長柄箒ながえぼうきしたたかに打ちえた。ほうきはどこにでもある棕櫚しゅろを束ねたお座敷箒ざしきぼうきで、まるおの愛用の一品だ。女中は抵抗する間もなく、その場でばったりと倒れ伏した。あっという間の出来事だ。

「大丈夫? その方に怪我はない?」
「大丈夫です。祓った影響で失神されているだけです。すぐに目を覚まされるでしょうし、何があったかも覚えておられないかと思います」

 慌てて咲保が駆け寄ると、床についたまるおの箒の柄の下に、うごめくモノを見た。

「あら、蛇……」
「御当主代理に憑いたモノと同じかどうかは判じかねますが」
「そうねぇ、私もそこまではわからないわね」
「片してもよろしいですか?」
「ええ、お願い」

 胴体を押さえつけられのたうち回っていた蛇は、新たに加えられた力に短い断末魔だんまつまの声をあげて、消えた。同時に、まるおも手にした箒を仕舞う。

「でも、困ったわねぇ……単にご当主から乗り移っただけならいいけれど、別で増えていたとしたら厄介やっかいだわ」
「では、お暇するまでの途中、他にもいないか確認しながら参りましょう。もし、見つけた場合は、ご当主代理さまか妹さまにご報告なさればよろしいかと」
「そうね。そうしましょうか」

 咲保は横転した配膳台を注意深く避けながら、気絶する女中に「ごめんなさいね」と一言あやまって、部屋を出た。


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