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当たり前を忘れたことを思い出したこと

揃って揺れる電車の吊り革。
小雨でも傘を刺して歩く人々。
検索履歴に残る「春服コーデ」の文字。
21時には静まり返る街。
頼んだ次の日には届く宅配物。

いつの間にか当たり前になってしまっていた。
だから当たり前じゃなくなったものに気づかなくなっていた。


6月24日。
私は部屋でひとり、昨日黙祷することを忘れていたことを思い出した。



6月23日。
幼少期の私にとってこの日とその数週間前は「もうわかったから」と言いたくなるほど、島全体がそういう空気に包まれる、そういう日だった。
別に蔑ろにしてたとか、どうでもいいと思っていたということではない。
むしろ毎年朝早くにあの場所に行き手を合わせるくらいには、想っていた。
でも毎年学校で配られて捨てるに捨てきれなくなる特別号の新聞紙が、ロッカーでくしゃくしゃになるのは、嫌だった。

今、私はありがたいことに県外で大学生をしている。
いわゆるカルチャーショックを何度も経験し、目まぐるしく流れる日常についていくことに毎日必死だった。
それでも、人並みには充実していると思える大学生活を送っていた。


そして今年、はじめて、黙祷を忘れた。


確かにその日は忙しかった。
先生の言ってることを理解しようとか、
お昼学食で食べる時間はないからコンビニ寄ろうとか、
次のプレゼンどうしようとか、
日曜日どういう経路で目的地まで行こうとか、

でも、たかがそれだけで。

陳腐な言葉で言うのなら、ショックだった。
自分で自分に失望した。

あれだけ地元を誇りに思っていたはずなのに、その地元を強く感じられるひとつの大事な要素を、お前は忘れたのか、と。

体験者の話を聞いて流した涙を、
決まって兵隊が上陸した場所の話から始まる祖父の芯のある声を、
私の手を優しく握りながら刻まれた名前を撫でる祖母のしわくちゃな手を、
お前は、忘れたのか、と。


図書館に並んだ、悲惨さを伝える絵本。
赤瓦の屋根から見下ろす二体の守り神。
雨に濡れたアスファルトと潮風の匂いに混ざった、線香の香り。
何処かから聞こえる心地のいい三線の音色。
手を合わせて言う、あの言葉。



私は、いつかまた、あの日を忘れて、
今度は、忘れたことすらも、思い出さないのだろうか。



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