いい写真の話 その3「見る側の話」

こんにちは、GOEです。

あらためて自分の文章を読み返してその下手さに辟易しているわけですが、前回までで一段落させるつもりだった「いい写真の話」について、まだまだ不足の部分が多いし、私も日々新たに思うこともあるのでもう少し続けてみることにしました。

先に誤解のないようにしたいのですが、このいい写真の話とは私が冷静に考えてみるとこういうことではないかと思うという自論ではあるのですが、実は自分の中でもかなり例外や矛盾があると感じている部分なのです。

理屈としてはいい写真とはこうだと思うけど、でも私がそれに準じて写真を撮るかと言えば…。と、かなり悩ましいのが実際のところで、あくまで現時点ではという程度でお読み下さい。


さて、いい写真の話、その1では写真を撮る側の考えと見る側の考えとがあるということ、その2では”いい写真”とは見る側の感覚、価値観で決まるということを書きました。

「じゃあ全部好みっていうなら撮る人はいい写真なんて気にしても仕方ないじゃん」「見る方も好み次第ならもうなんだって良くなる、意味ないじゃん」となるかもしれませんが、決してそんなことはないのです。

それに、全部好みだとした場合、じゃあ結局写真をどう見たらいいんだ?知り合いに写真展に誘われたけどどう楽しめばいいの?と思っている人には何の参考にもならないと思うので、今日はそのあたりについて見る側の話を書こうと思います。


「美術館の絵の見方が分からない問題」の話

直接写真の話ではないのですが、まず最初にこの話について書いておこうと思います。

”美術館 楽しみ方”や”絵の見方”でネット検索をするとこの問題と解説がたくさん出てきます。

写真の見方で悩む場合、この絵画の見方が分からない状態とかなり近い部分があるのではないかと考えています。

そして、既に絵画が好きな先人達が自分の論をネット上にあげているのでその答えが多種多様なのもまた写真にも通じる所。

詳しくは実際に絵画に詳しい人達の文章を読んだ方が良いと思います。noteでもこういう内容書いている人がきっといるのではないかと思います。私の意見としてはここで写真について書く内容と半分くらい一緒でしょうか。


私は写真をやるまではこういう美術方面には一切興味がなかったのですが、写真について考える一部として美術館等に遊びに行くようになりました。

なので、私自身はこの問題、絵の見方が分からないということ自体がほとんど無く、この”いい写真の話”で言っているのと同じで、絵画に付いても完全に好みで見ています。

ただ、私の場合はやはり写真的な見方が強く、自分が写真を撮る時の構図の参考になるか?や、この絵をこう感じるということは写真では…と思いながら見ることが多いです。具体的に言えば、例えばモネが睡蓮をあぁ描くってことは、写真で池の睡蓮を撮る時はこういう構図や配置だと綺麗に収まるのかもしれないと思ったり、逆に写真と絵画の相違点を考えてみたりします。

つまり、私にとっての絵画の見方は最初からある程度は決まっていて、絵画を見る理由があったから美術館に足を運んだという方が正しいのです。


写真を見る理由は?

私は写真が好きなので、世の中もっと写真を楽しむ人が増えたら良いなと思います。特に見る人が増えてくれると撮る側としては有り難い。

ただ、皆が皆写真を見たいと思うかは別の話。

一応ここでは、いい写真とは何か?というお題目の記事である以上、こんな長々書いてある駄文を読んでくれる人は、何かしらの理由で写真について気になっている人なのだと思って書いています。

さて、そこで一つお尋ねしたいのが、あなたが写真を見る、見たいと思う理由はなんでしょうか?


「猫が好きだから猫の写真が見たい」というのは分かりやすいですよね。好きな物がまずあって、それを見たいという理由。

また、見たことの無い物を見たいという理由もあります。例えば自分では行けない場所の風景や、過去の事件の報道写真などを見たいと思うなどはそうではないでしょうか。

別に写真を見たいわけじゃない。彼氏彼女が写真趣味で撮って見せてくるけど自分には普通、良い悪いなどサッパリなどという場合もあるかもしれません。でも、これもよく考えてみると、見たいわけじゃないけれど、写真を見る理由としては彼氏彼女が写真を撮るからだと思います。

まだまだ色々な理由があると思いますが、ここにいい写真の一つのヒントがあると私は考えています。


例えば猫が好きな人です。同様に何か好きな物がある人は自分に置き換えて考えてみて下さい。

猫好きな人は猫の写ったどんな写真が見たいのでしょうか?子猫のアップ?ジャンプしてるところ?珍しい猫?色々あると思います。でも、例えば猫かどうか分からないようなブレた猫の写真を見たところで、それは良い猫の写真にはならないのではないでしょうか?

好きな物があってその写真を見たい人にとっては、まずその物自体がちゃんとカッコよく写っていることが大事なのだと思います。

このように、見たい人の見たいポイントが写っているのが、その人にとってのいい写真。アイドルの写真集で顔が一切写っていないってあり得ないですよね?アイドルファンはその人の顔が見たいのです。

報道写真を見たいと思う人にとっては、その事実が気持ちの良いものかは別にして、事実が写っていることを見て本当の出来事だと確認できることがポイントになるのです。芸能ゴシップ記事の写真はアイドルの顔が写真集のように綺麗に写っていなくてもいいのです。ゴシップ記事の写真が見たい人の目的はスキャンダルの事実の確認で、可愛い、カッコいいアイドルを見るためではないのです。

どんな理由であれ、写真を見たいと思う人というのは、おそらく意識していないだけで見たい理由はちゃんと持っていて、それを満たした写真がいい写真になるのだと思います。

この部分をより意識して「自分は何が見たいのか?」を考えるときっと写真の見え方も変わってくると思います。


誰が撮ったの?の話

では、自分は写真はよく分からないけど彼氏彼女が見せてくる場合はどう考えればいいでしょうか。もちろん、親兄弟、友人なんかもあります。

まず大前提として、興味がないから見ない、詰まらないから見せないで。という選択肢もありだと私は思っています。

写真好きな側としては残念だし、人に見せるのってドキドキするのに頑張って見せてるなら見てやって…と思うけれど、いい写真かどうかが見る側に委ねられているというのはそういうこと。見る側の興味が無い、好きじゃない気持ちの方が優先されるべきで、押し付けで見せても良いこと無いと個人的には思います。まぁ、せめて断る時は優しくしてあげて…とは思いますが(笑)

でも、そんな場合にも見方を変えると面白い一面があるかもしれません。

写真は実のところ撮った本人が写ります。これは結構色々なところで目にする話で、私も実際そのとおりだと思っています。

写真と絵画の違いもそのうち書きたいなと思うのですが、写真は撮影した本人が、実際にその写真に写っている物の前でカメラを構えて撮影したというのが揺るがない事実としてあります。

写真を見るというのは、写っている物を見るというのと同時に、実はその物を目の前で写した人がいる事実を見ているのです。

これ普段意識していないけど、よくよく考えると凄くないですか?

有名人の写真や好きな猫など、普段、写真を見る時って写っている物の方に注目しがちなので、特に写真を撮らない人はこのことに殆ど気づいていないのではないかと思います。

前回の「いい写真の話その2」の最後に私が持っている福山雅治さんの写真集の話をしましたが、あの写真集は、超有名芸能人の福山雅治が良いなと思った視線の集合体。私は特別、福山雅治のファンと言うわけではなく、ただの写真集としてしか見ていないため、ある意味でその面白さは半減。あの写真集の真の面白さは、ファンにとって大好きな福山雅治が見た視線を覗き見できるところなのだと思っています。

写真に写った微笑んでいる外国の老婆はカメラを構えた福山雅治に向かって微笑んでいるし、普段テレビでカッコいいあの福山雅治が海岸のゴミ箱だったり人の足だったり撮って楽しそうって想像するとちょっと面白くないでしょうか。


さて、ここで急に話は戻りますが、つまりはそういうことで、あなたの周囲にいる写真好きな彼氏彼女や友人の写真というのは、その写真を撮っている人がどういう物をいいと思い、どういう部分に目を向けているかの内面の告白なのです。

猫を撮る時に顔のアップを撮ろうとする人なのか、その場所、街の風景も込で猫を撮ろうとする人なのか、公園の銅像を全身写るように撮る人なのか、胸から上をアップで撮る人なのか、一部、手や足などのパーツをクローズアップして注目する人なのか、本当に様々です。

あなたが写真に写っている被写体に興味が持てない場合でも、それを撮影した友人や彼氏になら興味はあるのではないでしょうか。

一緒に出かけた後で、その時の写真を見せられた時に一体相手は何に目を向けていたのかが赤裸々に語られるのが写真の一つの側面だと思います。


写真を見る

写真は好み、それは間違いないと思います。というか絵画や彫刻も芸術分野全て極論は好みの問題。

ただ、それだけ言っていても話は進まないので、ここで少し写真の見方というか、写真に興味はあるけど何をどう見るの?という部分をざっくり書いてみようと思います。

構図がどうとか色のバランスがどうとか写真の具体的な見方、技術的な部分はまた別の機会で、まず、写真には色々なジャンルがあることを知るといいと思います。

ここも詳しくは別の記事の方が良いと思うのですが、大雑把に言うと何を撮るのか、風景や人物など被写体でするジャンル分けと、何のための写真か、写実性、記録性の大小で分けるジャンル分けができるのではないかと思います。

人を撮るのと風景を撮るのも違えば、同じ人でも履歴書の証明写真と家族の記念写真では意味も写真としての見た目も全く違うという感じです。

色々なジャンルがあることを知ると、より自分が好きな写真を見つけやすくなるし、映画など意外と写真家に影響を受けていたり、また逆もあったりしてそういう部分でも新たな発見があるかもしれません。


色んな写真があることを知り、なんとなく自分の好きな写真を見つけた場合、今度はその写真を撮った撮影者を見てみるのもいいと思います。写真は絵画と違って画風や筆のタッチのような差がほぼ見られないので分かりにくいですが、同じ被写体を撮影しても人によって目を向ける部分がかなり違います。

例えば猫写真で有名な岩合光昭さんの写真とまた別の猫写真家の写真の違いを見るのも面白いし、実は岩合光昭さんって猫写真家以前に凄腕の動物カメラマンで、あの人はシロクマを撮ってもめちゃくちゃ可愛いの撮ったりします。

一方で、写真家の星野道夫さんの撮ったシロクマを見ると、これまた岩合さんのものとは違う。というように、撮る人の考えや感覚が垣間見えるのが写真の面白さの一つだと思います。


そして、できることならネットの画像じゃなく、実物の本や写真展の写真を見た方が良いと私は思っています。

映画館で見る映画と、自宅でDVDを借りてきて見る違いと言うと分かるでしょうか。写真集も一連の流れ、見開きの左右の写真等それ自体に意図があって並んでいるので、やはり実物を見ることに本来の意味があるのです。

一枚の写真を見て好きかどうかもありますが、複数枚の写真の集合としての写真展や写真集を見ることは、どうしてその並び順なのか、写真ごとの強弱の差など色々な部分が見えて来て面白いと思います。

また、意外と大きいのが、紙を見るのかデジタルのモニターを見るのかの差です。どちらが優れているという話ではなく、見た目、印象に差が出るので、やはり理想は撮影者の意図して出している状態で見ることかと思います。

以上のように、写真を見る時には何に注目して見るのかと、どういう状態で見るのかがあります。

最終的には好みの問題、興味の問題なので、そもそもそこまでは写真見たいと思わない、写真展の誰だか分からない人が撮った誰だか分からない人物の写真よりも、好きな芸能人のインスタ写真と言われると…まぁしょうが無いよねとも思うのですが、写真好きとしては写真展、面白いよ。とこそこそっとネットの隅で言いたくなるのでした。

本当のことを言えば私は人の写真を見る方より自分で撮る方が好きなので、写真に興味があって見るのが好きなら自分でも撮ってみたら?と勧めたくなるのですが。

とりあえず今回はこの辺で。次回はたぶんその自分で撮る方のお話になるかと思います。



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