いい写真の話 その2

こんにちは、GOEです。

いい写真の話 その1」の続きです。

前回、撮る側が語る理屈としての3タイプ、そして見る側が思う正しい、正解という話をしました。

それを踏まえて今回は、じゃあ私自身がどう考えているのかを書こうと思います。念の為に書いておくと、あくまで今現在の私が思うことであって今後変わるかもしれないし、他の方は全く違う考えを持っているかもしれない点だけご注意下さい。


いい写真かどうかは見る側の感覚である

結論から言うと、写真の善し悪しを決めるのは全て見る側の感覚です。と言い切れるくらい私はそうだと思っています。

私も含め、写真を撮ることが好きな人達は普段、意外とこれを忘れていると思います。

写真を撮る時にどうしているか?を考えると、被写体を決め、大まかにどんな絵にするかを考え、設定を決め、ファインダーを覗いて構図を決め、シャッターを押す、そして必要なら設定や構図の調整を行い再度撮影。

別角度から撮ったりと試行錯誤をすることもありますが、大まかに言うとこういう工程で写真を撮っているのではないでしょうか?

ストリートスナップなどでは予め万能というか無難な設定にしておいて、撮りたい瞬間一発勝負ということもありますが、それでも被写体を見つけてから構図等絵を決めてシャッターを切るのは同じかと思います。

さて、この工程の中にいい写真になる条件があるのかと言うと、実はこれらは全て写真を作るための選択、思考、動作であって、それをしたからいい写真になるということにはなりません。

最終的に作られた写真が良いものかどうかを決めるのはその写真自体を見た時だと私は思うのです。

例えばこれを料理に当てはめると、その料理が美味しいかどうかは食べた時に決まるということです。

塩加減をこれくらいにした、何度の油で揚げたなどの選択をした時点で”美味しい”が決定するのではなくて、最後の最後に実際に食べた時に美味しかったものが美味しい料理。塩加減などはその美味しい料理ができた原因ではあっても、それ自体が美味しいの条件ではないのです。

そう考えると、次の問題があります。そう、味の好みの問題。

一流料理人が一流の腕と道具と食材で拘り抜いた料理を作ったとします。まぁ例えば寿司だったとして、そもそも魚が嫌いな人だったら美味しいとは思わない。焼き肉の方が良いやとなるかもしれません。

写真も同じだと思うのです。何度も練習し高級機材を買って構図やボケ具合も調整し、これがベスト!というタイミングで撮った最高の写真があったとしても、例えばそれが自動車だったとしてそれに興味が無い人が見たらやはりどうでもいいとなると思います。もっと言えば男性向けのエロ写真を女性に見せたらどうでもいいを通り越して不快かもしれません。

というように、いい写真とは撮る側の問題ではなく、見る側の問題で、撮った人が失敗した写真と思っていても、見た人が良いと思ってくれればそれはその人にとっていい写真になるのです。


撮る側も見る側になる

写真を撮る人は常々いい写真を撮りたいと思っています。もちろん私もそうです。だからこそ様々な所でいい写真とは何かの話が出るのだと思います。

しかし、上に書いたように写真の良さとは本来見る人の問題であって、これは実のところ写真を撮った本人についても同じことが言えるのだと考えています。

どういうことかと言うと、自分が撮った写真が良い写真かを判断しているのは、実はその写真を見た時だということです。

前回、良い写真論は3タイプに分けられると書きましたが、よくよく見てみると、これらも実は撮った後に写真を見てこういう部分が成功しているから良い写真と判断しているわけです。

撮影者も写真の善し悪しを考える時は見る側に回ります。

ここでポイントになるのが、撮影者だけが持つバイアスがあるということ。

自分で撮った写真を見ると、本当は写真として写っていないのに撮影した本人には見えてしまう部分が確実にあります。

例えば、その時の周囲の状況で、本当はもっと近づきたかったけどこれが限界だった。憧れのライカで撮った写真。シルエットだけど、実はこれは有名なあの人でこういう写真もアーティスティックで良い。子供を撮ったけどブレちゃった、でもこれも躍動感!などというように、そんなこと言われなきゃ分からないよ。という部分まで自分が撮影しただけに見えてしまい、それ込みで良い写真だと感じることがあるのです。

だから駄目ということではありません。撮影者も見る側に回れば好みで写真を見る。当然のこと。その時に何で撮られたかやどういう状況だったかなども含めてその写真が好きなことは良いと思います。

ただし、写真の良さとは個々人の見る人に委ねられていて、この時苦労して撮ったんだよなぁと思い出し、撮影者が良いなと感じても他人にはその良さが伝わらないことも理解しておく必要があると考えています。


写真のアドバイスの話

写真の良さは見る側の主観。そう言い切ってしまうのは簡単だし実は楽です。各々の好みの問題で、極論良いも悪いもないということになるので私のこの語り口はちょっとズルいというか実は何も言っていないのとあまり変わらない。

それでもあえてここまで見る側の問題だと書いてきたのにはワケがありまして、世の中、雑誌やネットなど、こうしたら良い写真が撮れるようになるというアドバイスがあまりにも多いのです。

いや、私も今後そういう記事書くと思うけど…。

で、そういうアドバイスを見て、なるほど、こうすれば良い写真なのかと勘違いをしてしまうのは残念というか勿体ない。この点はまた別の機会に少し詳しく書きたいと思いますが、何が言いたいかと言うと、本来、良い写真かを決めるのは写真を見たあなたなのです。

私を含め、撮り方のアドバイスをした記事というのは、あくまで記事を書いた人がそう思いながら撮っている、その人が良いと思う写真を撮る方法でしかないので、話半分に聞いておいて、自分はどういう写真が好きかを考えた方が良いと思います。

特にそういうアドバイスが一番聞きたいであろう写真を始めたばかりの人ほど、色んな考え方の先人がいることを早く知った方が絶対に良い。皆が同じことを言っている共通項も見えれば、意見の割れる部分も分かることが重要でそれがいい写真へと繋がるのではないでしょうか。


さて、今まで写真は見る側の好みと言いましたが、見る側と言っても色々あります。

「写真を撮る人が自分の写真を見る、他人の写真を見る」「写真は撮らないけど絵を描く人」「美術関係一切興味がない」「実写映画好き、アニメ好き」「撮らないが写真を見るのは好き」「最近写真を撮り始めた」etc…

それぞれ持っているものが違うのです。写真の好みとはつまり、こういう自分の持っているものからくる良し悪しの判断。もっと言えば興味がないなど持っていない部分があることも判断材料になります。

そこで、私のような写真を撮る側の人間としては、どんな人がどんな写真を良いと思うのか、もっと身近で言えば、家族や友人が良いと言った写真はどうして選ばれたのかを考えることが、一つ参考になると思います。


写真の良さは変化を重ねる

良い写真について一つポイントを上げるとしたら、写真の良さは常に変化するということです。

見る側の好みと言った以上、そりゃ見た人が違えば良さも各々で違うとなるのですが、要因はそれだけではありません。

分かりやすい部分では時間経過があります。

例えば今日、家族の写真を撮ったとして、それを30年後に見た時にどう思うか、必ずしも良いと感じる訳ではないかもしれませんが今日撮って今見たときとは明らかに別物になると思います。

時間経過の影響は好みの差とは別で、全ての人に当てはまる変化で、社会的な意味もかなり変化する要因です。

写真自体は何も変化しません。特に今のデジタルの場合、劣化もほとんど無くその気になれば100年後に新たにプリントアウトもできるかもしれません。

しかし、見る側の環境や社会状況が変わると個人の好みレベルではなくもっと大規模にその写真が意味する所が変化するのです。

一番わかり易いのはヒトラーのポートレートかな…。もっと環境的な話をすると100年後に今の日本の風景の写真を見るとどう思うかという部分。

蛇足ですが良し悪しとは別にして、ここが絵画と写真の違いでもあって、これは変化とは逆で、不変の存在感が理由だと思っています。


また、良さの基準が見る側にあるので、写真を見る人が新たなことを知ると当然、印象が変わるのでその良さも変化します。

例えばですが、今、私の目の前に一つの写真集があります。(本当に今本棚から出して目の前にあります。)

大体17インチのノートパソコンくらいの大きめの写真集。中身は全てモノクロ写真で影だったりベンチだったり、街なかの人々だったり。鏡越しに撮られた撮影者自身の写真などもあります。

なんとなく頭の中で写真集や撮影者についてどんなものか想像してみて下さい。



さて、この写真集ですが、実はある有名人の写真集なのです。そう聞くと今度は「え?一体誰の?」と撮影者の方が気になるのではないでしょうか?



では一体誰なのかと言うと、この写真集、芸能人の福山雅治さんの写真集です。アイドルのグラビア写真集?のような印象になるかもしれませんが、そうではなくて、彼が撮影したストリートスナップの写真集と言った感じです。福山雅治が見られる!と思ってこれを買った人がいたとしたら怒ると思います(笑)

どうでしょう?良し悪しは別にしてこのでかいモノクロ写真集の印象変わりませんでしたか?

さらにです、実は福山雅治の写真の師匠?は著名な写真家の植田正治さん。鳥取砂丘でモードっぽい写真撮って有名なあの人。この写真集にも福山雅治が植田正治を写したものが数点含まれています。

ほら、またちょっと印象変わりませんか?

さらにさらにです、実はこの写真集、定価5000円以上します。正直高い。でもこれ、私はブックオフで100円で買ってきました(笑)

やっぱり印象変わりますよね。


写真はそれ自体が変化するのではなく、時代や環境など、見る側の感覚の変化によって良さが新たに生まれたり、また逆に現代にそぐわない物になったりするのです。他にも後に判明した事実によって、そう言えばあの写真の表情って…というような後から分かった事実の裏付けのような立場になってみたりと、色々あるのですが、キリが無いのでそれはまた別の機会ということで。

本当に長くなってしまったのでひとまずこれくらいにしてみます。本当はまだ書き足りない部分がいっぱいあって、じゃあ具体的に見る側はなにかすると良いことはあるのか?や、そもそも私自身は普段どう考えて撮影しているのかなど、結局具体的なところが全然書けていません。

正直、ここまで長々書いておいて読み返すと何言ってるんだ?という気もしていますが(笑)

大枠こんなことを考えているというのは…伝わるといいのだけど…。

また少しずつ続きとして記事を書くかもしれません。

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