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坂本龍一ブックガイド2009(『ユリイカ2009年4月臨時増刊号 総特集=坂本龍一』)

ここでは坂本龍一関連書籍の大ザッパな分類と解説を行うが、時時の坂本の興味の移り変わりと、折折の編集者との付き合いであると言ってしまえばそれまでだ。唯一共通するのは、聞き書き/語り下ろしや対話ではない、坂本の自筆による書き原稿が、前書き・後書きを除いてほとんどない点である。例外は、『音楽図鑑』における散文的メモ、村上龍とのFAX文通集『友よ、また逢おう』での私信風テキスト、同じく村上との共著『モニカ』における見た夢の話が数行ずつ、『アフリカノート』での少量の日記などで、エッセイや論考の類は皆無。「文章を書くサカモト」は、自分が知る範囲では、雑誌『季刊トランソニック』一〇号(昭和五一年六月二五日発行/全音楽譜出版社)所収「反権力の音楽生産 環螺旋体設営?」が最古で、二〇〇五年五月から翌年一一月まで約一年半運営していたブログ「ひっかかり」の不定期なエントリが最近の例である(メールマガジンは考慮しない)。

この坂本が公の場で文章を書かない理由を、先にいくつか考えておきたい。まず単に多忙。次に父親の影響。そして音楽を言葉にすることの不可能性の自覚、などである。多忙は言わずもがなであるので、二つ目から始めると、父親・坂本一亀は河出書房で三島由紀夫『仮面の告白』を手がけ、小田実、野間宏、高橋和己などを発掘したことで知られる編集者であり、ならば息子も書物という容器や、その先にいる文豪達の作品よりも、「編集」という作業にこそ身近な興味があったと推測できる。「高校ぐらいになるまではまともに顔を見たことがなかった」(『時には、違法』)と言いつつも、「子が親から受ける影響というのは、文化的なものと遺伝的なものと両方あると思うのですが、後者の方が、つまり父親の背中を見てどうとかではなく、もともと生まれ持っている性質が受け継がれるという形での影響の方が強いんじゃないか」(『音楽は自由にする』)と語るように、そこに何らかの関連があるとシンプルに考えるのが自然だろう。父親が構想社を設立したように自らも個人出版社〈本本堂〉を運営していたし、見城徹や後藤繁雄らのような〈編集者〉との交流も、根には父親が遠因にあるのではないか。

三つ目に、自分の専門分野である音楽を、言葉やその他の手段で表すことはできないという自覚があるからこそ、自らが筆をとることをしないのではないだろうか。坂本関連の書籍はどれも、本というメディアが持つ伝達性・パッケージ性・アーカイヴ性に注目し、扱うテーマは言葉の領域で判断できるものばかりである。「音楽家同士って会ってもあんまり刺激になんないんだよ。言葉で共有できるところってないんだよね」(『EV.Cafe』)といった発言や、「音楽の抽象性と言葉の抽象性では、表せるものが違いすぎる(略)歌詞は言葉だから、できる。しかし、ぼくがもてあましているのは、音だ。音のかたまりだ」(『少年とアフリカ』)という苛立ち、およびこのやりとりを参照したい(『音を視る、時を聴く[哲学講義]』。Sが坂本、Oは大森荘蔵)。

S (略)音で得られたことを、たとえばこんど言葉でお書きになった時に、それは同じものは得られます?
O その場合はだめだろうと思います。特に音はそうでしょうね。音で的確に表現されたものは言葉ではまず表現できないということは、定理みたいなものじゃないかと思います。
S そうですね。視覚と聴覚との違いでもまたむずかしいことがありまして、三角形ならば描くのも三角形。円ではない、四角でもない。簡単ですよね。描くことができる。音で三角形として受け取れる音の状態を作れ、と言われると、これは不可能……。

くり返すが、坂本が一人で組み上げた論のようなものは、少なくとも書籍の形ではほとんど見当たらない。「われわれは学者じゃないんだから。ひとつひとつ真面目に分析してるわけでもないし、全部思いつきで、感覚的に喋ってることだから」(『少年とアフリカ』)と言うように、用いるのは喋り言葉という常に流動的な過程で、「疑問/解決」「提起/議論」のシークエンスはあるが、それぞれの結論はぼんやりとある一点を目指しつつも不確定だ。一人の力の限界を知っているのか、それとも初めから興味がないのかは不明だが、端から端まですべてに自分の意図が練りこまれた設計図を用意するのは避けているようである。これは小さなことだが意外だった。それでは本題に移る。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

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