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ブルーノートのジャケットの秘密に迫りたかった

つい、長くて読み応えのある文章ばかり考えてしまうので、気を抜くと更新が止まってしまう。ので、長くない文章をササッと出す訓練……。

これについてもうちょっと色々知りたいな、と思って調べるうちに、いろんなものを買うわけですが、いざ買ったものの、あまりよくわからなかった、というものが結構あるんです。もしかしたら将来世の中に出すかもしれないけど、かなり先になるだろう、と思われる資料、そういう死蔵してるものをちょっと出すことにします。

今回はこれ。

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表紙にchouinardと書いてありますね。これが何かというとシュイナード芸術学校(Chouinard Art Institute)という学校のパンフレットです。1921年に米国ロサンゼルスにできたアートスクールで、1961年にロサンゼルス音楽学校(Los Angeles Conservatory of Music)という音楽学校と合併してカリフォルニア芸術大学(California Institute of the Arts)、通称CalArtsになりました。もともとディズニー関係で有名で、ウォルト・ディズニーは自分の会社のアニメーターをこの学校に通わせていました。カルアーツになってからはアメリカでも有数の芸術教育機関としてその名を轟かせています。

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シュイナード芸術学校が存在したのは1921年から1961年までの40年間。このパンフレットは発行年が書いてないのですが、1940~50年代くらいのデザインに見えます。で、なぜこのパンフレットを持ってるのかというと、あるデザイナーがこの学校に通っていた経歴があるからです。

そのデザイナーはリード・マイルス(Reid Miles)。1954年からジャズの名門「ブルーノート」レーベルのジャケットデザインを担当、タイポグラフィと写真の構成力の高さで世界中に多大な影響を与えた人物です。1927年にシカゴで生まれたリード・マイルスは、第二次世界大戦の真っ最中だったため高校卒業後は徴兵制度で海軍に所属。その後、ロサンゼルスに移ってシュイナード芸術学校に入学しています。終戦後でしょうから、入学の年は1940年代後半でしょう。

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リード・マイルスがなぜあんなに革新的なデザインをできたのだろう、というのは個人的には大きな謎です。それ以前にこんなデザインをするジャケットデザイナーはいませんでした(Discogsのページをご覧ください。あれも、これも!)。リード・マイルスはブルーノートの前に雑誌『Esquire』にもデザイナーとして参加しており、そこで何かしらの影響を受けているかもしれません。『Esquire』は1952年にヘンリー・ウルフ(Henry Wolf)がアートディレクターに就任しており、彼の影響があるのかもしれません。ただ、デザインの基礎を学んだのは学校だろうから、まず学校のデザイナーが誰だったのかを知ろう、と思って、パンフレットを探しだした次第です。

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このパンフレットのデザイナークレジットにはブルース・バーンズ(Bruce Barnes)、ドン・ビレル(Don Birrell)、アルヴァン・ドゥ・キュール(Alvin de cuir)の名前が並んでいます。学校のパンフレットは学校のデザイナーがやるでしょうから、こうした先生たちの影響をリード・マイルスは学生時代に受けたのではないか、好き嫌いは別として、この人達の手癖がリード・マイルスにも移った可能性があるのではないか……と思いました。

が、結局。この先生たち、昔すぎてどんな仕事をした人たちなのかわからないんですよね~。ドン・ビレルは海外Wikipedia記事があるので少しは知られているようですが、他の名前はほぼわからない。パンフレットを見る限り、そこまでブルーノートのジャケのような構成作品もありませんでした。なので学校で基礎は教えてもらったものの、そこまで作風に影響を与えたわけではなさそうだ、『Esquire』を見たほうがよさそうだな、となったのでした。このパンフレットはこうやって役目を終えました……。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

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