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九〇年代のおたくと宅八郎(2009年未発表)

※これは2009年に書いていた90年代論(未発表)の一部抜粋です。

九〇年代に突入した時期の「おたく」は、世間的な評価がどん底だった。それはもちろん前年八月に起きた宮崎勤の連続幼女誘拐殺人事件の影響である。宮崎の部屋に積み上げられたビデオテープや漫画の山は、そこから連想されるおたくという存在に嫌悪感を持たせるのに十分で、おたくは「幼女に手を出すロリコンの危ない人種」と世間に認定された。宮崎がサークル「E・T・C大腕」名義でコミック・マーケットにも参加していたこともマイナスに作用した(漫画同人誌『マンモスコング・月光仮面』を制作)。この一九八九年の混乱については、八〇年代最良のルポタージュ本である『別冊宝島 おたくの本』(一九八九年一二月)が詳しい。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…

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