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戸田ツトム:思想するデザイナー(2015年『アイデア』370号)

戸田ツトムは1980年代以降の「思想のデザイン」のイメージをひとつ形作った存在である。桑沢デザイン研究所に講義に来ていた松岡正剛との出会いをきっかけに1973年から5年ほど工作舎で活動、その後エディトリアル・デザイナーとして独立した戸田は、自身の『MEDIA INFORMATION』を皮切りに、『ISSUE』『ブリコラージュ』『WAVE』『GS』『スフィンクス』『W-NOtation』など80年代に生まれた雑誌に、これまでにない装いを与え、スタイルを確立する。工作舎に関わったデザイナー全員が影響を受けてしまう杉浦康平の一連のデザインメソッド──禁欲的な書体選択と混植、罫線や記号の多用、一律指定を避けた柔軟な文字ツメ、墨一色から発想したカラーリング──を継承しつつも、アンチ・パターンとでも言うべき段組の幅や配置を頻繁に変化させる特殊フォーマットをくり返すことで、本文とそれ以外が対等に在る独自のノイズ的(ポストパンク的といってもいい)空間処理を生み出した。

この意図的な叛可読性について反発がなかったわけではない。しかし戸田は単純な情報伝達のためのデザインよりも、ノイズ/違和感を混入させることで読者の視点に影響しようとするデザインを選んだ。書店に何かを探しにきた揺らぐ視点に対して流れを塞き止めるための罫線、手に取らないと読めない本文からの細かな引用、重力が上下左右にあるような文字組、文節以外の間を読者に読ませる不意な改行、極端なツメ打ちと均等アケ、シアー変形……。書店での不確定な出会いを意識した仕掛けの数々は、戸田のデザインの美学と矛盾しなかった。こうして菊地信義と並ぶ80年代装丁ブームの立役者として、書店の棚のムードを変えていったのである。

そんな戸田のデザインには、2000年代に突入した頃から小さくない変化が感じ取れるようになった。見出しに見出し書体を使わず級数を大きくした本文書体を使用するようになったのと同時に、本文からの引用は減り、ツメ打ちは目立たなくなった。白や空間の領域が増え、直角の印象が減り、文字は揺らぎはじめた。読者が介入できそうな印象を醸し出す、一言でいえば強さよりも弱さのデザインである。それまでのスタイルを捨てたようにさえ感じられる戸田の現在は、いかなる思索を経て選ばれたのだろうか。

自動車道の真中に一本の木を植える。その木を避けて通った多くの自動車のタイヤの痕跡が曲線となり、結果的に曲線の道路ができてしまった。という具合にだ、これがデザインだと言い得る。【中略】人々の声がだんだん皆似てきていること、そして活字や写植に似た字を書く人が増えていること、それから、デジタル・ウォッチの様な接触するだけで反応を示す商品が急激に増えていること、これらの事態は考えようによっては恐るべき状況だ。何故なら、われわれのショック、精神的な意味ではなく、物理的な“ショック”を体験する場面が日毎に少なくなってきているからだ。
(『MEDIA INFORMATION』創刊号「MEDIA AND DESIGN」その1)

現在ならアーキテクチャ論として扱われそうな、管理と思われない管理、制限と思われない制限について、戸田は1980年の時点で危機感を覚えていた。戸田が扱うデザインという思想は、そうした環境の観察から来る洞察と問題意識を伴う。手を動かす前に、何かを参照する前に、まず思索する。戸田ツトムは思想するデザイナーである。

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