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九〇年代のオタクと岡田斗司夫(2009年未発表)

※これは2009年に書いていた90年代論(未発表)からの一部抜粋です。

宅八郎の後に「オタク評論家」として出てきたのが岡田斗司夫である。岡田はもともとアニメ制作会社として知られるGAINAXの元代表取締役で、またその母体となったSF/特撮関連のショップ「ゼネラルプロダクツ」の社長でもあった。ゼネプロでは日本のガレージキット市場を開拓し、GAINAXではアニメ「王立宇宙軍」の制作や、美少女育成ゲームのルーツといえる『プリンセスメーカー』(一九九一年五月)の企画などを行っている。これらの経歴だけでもオタク史において重要な人物であり、八〇年代から自ら名乗っている「オタキング」も伊達ではないことが分かると思う。一九九二年にゼネプロを閉鎖、GAINAXを退社し、一九九四年から二年間は、東京大学教養学部の非常勤講師として「マルチメディア概論」を講義している。岡田の最初の著書『ぼくたちの洗脳社会』は一種のマルチメディア論であったが、凡庸なデジタル賛美とはまったく違う、現在のネット社会の「洗脳競争」を鋭く予見していた刺激的な一冊だった。

しかし岡田が九〇年代に与えた影響は、むしろここからである。

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1,255字
2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…

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