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ばるぼらさんの全記事アーカイヴ

2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追加します。あとnoteの有料記事もここに… もっと読む
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2021年5月の記事一覧

雑談:2番目のLSD×音楽にまつわるニューディスカバリー

LSDについて LSDは1943年4月16日に化学者アルバート・ホフマンが偶然発見した幻覚剤です。合成の実験中にできたLSDが指についていて、それを舐めてしまい、その後幻覚が見え始め、新しい何かを体験してしまった、という話です。この作用に驚いたホフマンは研究を続け、一時は軍事用自白剤などの実験にも用いられましたが、結局、有用性は認められませんでした。 時は流れ1960年代初頭。様々な文脈で幻覚剤を体験した人たちが出会います。アメリカで過ごしていたイギリス人作家オルダス・ハク

アップルシード アルファ(2015年『bounce』374号)

1985年2月に青心社という関西の新興出版社から『アップルシード』が描き下ろし単行本として発表された時、世界大戦後の近未来を舞台としたSFマンガという枠を超えて、30年後にも参照され続ける普遍的な物語だったことに気づいていた人はどれだけいただろう。 サイバーパンクSF『攻殻機動隊』で知られる士郎正宗のもう一つの代表作『アップルシード』が、監督・荒牧伸志の手によって映画化されるのは、今回で3度目だ。2004年の『アップルシード』、2007年の『エクスマキナ -APPLESEE

John CageとAKB48の共通点(2011年未発表)

これは新しくデジタルコンテンツの販売サイトを作るので、何か文章とデジタルコンテンツを一緒に提出してください、という依頼で、何にしようかなと思ってフォントを作った時のものです。結局世に出ませんでしたな~。 * フォントに興味を持ったのはいつだったか覚えてないけれど、自分で買うほど興味が沸いたのは、キノコのイラストで有名なJohn Cageのアルバム(CRAMPSレーベルのnova musichaシリーズ1番)を見てからだったと思う。レーベル・オーナーのGianni Sass

アカツカの履歴書・その他の活動(2008年『赤塚不二夫 KAWADE夢ムック』)

六〇年代から八〇年代にかけて、日本のマンガ家のイメージをがらりと変えた「マンガ以外のことをするマンガ家」といえば、手塚治虫を除けば、その筆頭として赤塚の名があげられるだろう。別ページで触れられている芸能プロ、雑誌編集、レーシング・チームなど、(どれも失敗しているが)普通のマンガ家のイメージからは離れたものに手を出しているのは、マンガが一般に認知されるようになったことで、マンガ家が絵を描くこと以外の仕事をしても奇異の目で見られなくなった、マンガ家の社会的地位が向上した時代的な背

デジタルメディアの考古学2・サイバーカルチャー・ショーケース (2010年『アイデア』344号)

90年代初頭の日本で何が望まれていたのかがまず重要だ。時代のキーワードは「サイバー」「マルチメディア」「デジタル」である。海外では80年代からハッカー+カルチャー誌である『High Frontiers』(のち『Mondo 2000』)や、デジタル+ヒッピーこと「ジッピー(Zippie)」を打ち出していた『Encyclopaedia Psychedelica』などがあったものの、日本では未だ「Macを介した新しい文化と表現」という需要に応えるメディアがなかった。80年代のコンピ

「ヘタうま」の初出を探す

「ヘタうま」は1980年代前半に盛り上がった主にイラストレーション/漫画の潮流の一つです。海外のニューペインティング、ストリートアート、グラフィティなどと同時代性を持つ日本の動向として現在は評価されています。ところでこの言葉がいつから使われ始めたのか、という問いに対して明確な答えは未だに出ていません。 ヒントとなるのは、ヘタうまの代表である湯村輝彦さんの作品集『湯村輝彦ヒットパレード』(美術出版社)。オビに〈これが話題の「ヘタうまイラストレーション」の全貌だ!〉とあり、この

デジタルメディアの考古学1・フロッケという祝祭(2010年『アイデア』344号)

90年代前半に松本弦人が展開したフロッピー関連の活動は、日本のメディア史において特異な意味を持っている。それは端的に言えば、『APE』 (1992年3月)や『M.O.P.』 (1993年6月)でフロッピーを紙媒体の文脈に結びつけ、松本がプロデュースを務めた(企画制作は江並直美とデジタローグ)即売会「マッキントッ書」(1993年10月)や「フロッケ」(1994年4月~)でフロッピーをパッケージ/メディアとして広めた点にある。 もちろん似た試みがなかったわけではない。198

展評・「服部一成二千十年十一月」(2010年『アイデア』344号)

グラフィックデザイナー服部一成の個展「服部一成二千十年十一月」が東京・銀座のギンザ・グラフィック・ギャラリー(以下ggg)で開催された。一階に新作ポスター、地階にライトパブリシティから独立した2001年から2010年までの代表作(キユーピー広告のみライト時代からの継続)が展示される二部構成となっている。

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クエンティン・フィオーレと『Aspen』(2011年『KAWADE道の手帖 マクルーハン』)

マーシャル・マクルーハンの『メディアはマッサージである』をはじめて手にしたインパクトを語る際に誰もがブックデザインに触れざるを得ないように、同書が今日まで影響を持ち続けているのは、そのテキスト自体よりも、言葉の一つ一つに何倍もの含みを持たせる強烈なデザインが大きな要因となっているのは想像に難くない。まるでゴダールの映画のようにカットアップされたテキストとイメージが見開きごとにコラージュされ、言葉と図の(無)関係性、前ページと後ページ、ページをめくる行為……そういった「本」

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掲示板文化の今後(2002年7月『2ちゃんねる中毒』)

草の根通信からインターネットにわたって存在した掲示板 その誕生から現在までを解説 ここでは日本における掲示板の歴史を見ていこうと思う。ひとまずその舞台である、パソコン通信とインターネットの違いから簡単に説明しておこう。 パソコン通信とインターネットの違いパソコン通信(以下パソ通)は、ある一つのコンピューター(ホスト)に他のパソコンを繋いでネットワークを作る、一極集中型のコミュニティである。電話回線を利用して直接ホストに接続するため、ホストが遠くにあればあるほど電話代がかさ

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90年代おさらい:Macintosho展

1993年に「マッキントッ書展」というのが開かれました。1993年10月30日~12月26日@デジタローグギャラリー。フロッピーディスク1枚とフロッピーサイズのジャケット6枚で1メディア。当時1メディア700円。出展者21組は下記のとおり。 Macintosho作家リスト M-A001 安斎肇 M-A002 井口真吾 M-A003 伊藤ガビン M-A004 池松江美+大岡宏典+古賀学 M-A005 織咲誠 M-A006 SMTV(八谷和彦+松尾晴之) M-A007 川勝正幸

メモ:「イラストレーション」について

去年、Twitterで回ってきたツイート。 「日本デザイン史におけるイラストレーションの定着とその意味の拡大について」という論文。へー、ちょっと興味あるわ、あとで読もう。 ……と思ってから約1年。さっきようやく読みました。遅え! 感想は「なるほど~」と思った以外とくにないですが、イラストレーションについて何か書こうと触発されたので、ここで少し昔調べていてメモっていた話をいくつか貼り付けます。今回話になんのオチもありません! メモの羅列のみ。論文とも関係なくてすいませんね。

雑談:YMO→チェッカーズ→?

もう5年前になりますが、2016年、作詞家の売野雅勇さんが自伝的回顧録を出しました。『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』という本です。もともとコピーライターとしてスタートし、ファッション誌『LA VIE』を編集し、ひょんなことから作詞家としてデビューすることになり、中森明菜「少女A」やチェッカーズ「涙のリクエスト」などヒット曲を連発していく……売野さんの言葉をキャッチする天才的感性を裏付ける、興味深い話がたくさん書かれています。90年代の坂本龍一関連(GEISHA