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103 嫌われない勇気(若い人たちと自分①)

自分より若い先生と話していて、踏み込んでいくか、いかないか、特に最近は自分の中で選びながら話しています。

僕は若い人に何か伝えたいときは「嫌われない勇気」が必要だと考えます。おもねるわけではありません。

嫌われない勇気とは、相手のサイズにこちらが本気で向き合って、伝わりやすい言い方、やり方を模索し、とことんフィットする形を探ることです。

嫌われない勇気とは、伝えきる気概に等しいのです。

勇気、まで言うと大げさかもしれません。ただ、他の人に関わり合っているほどこの仕事は余裕がなくなってきているのが現状です。関わり合うには勇気がいります。立ち入る以上は全力で、相手のサイズに合わせる本気度が求められるということです。はっきり言って面倒くさい。それでもこちらが諦めず、相手が自分のことを毛嫌いしないように伝えきるために。

ぱあんと、突き放して「さあ、ついてこい」という、昔気質のやり方は単なる自己満足です。生徒に対してもそう。もうそんなやり方は時代が求めていません。というより、それが許されない時代になりました。

「あなたが本気で向き合ってくれるなら、僕もとことんいきます。頑張っているから絶対困らないように、邪魔しないように助けます。」

暑苦しいかもしれないけど、簡単に他者とつながれるようになったこんな時代だから、リアルな付き合いに飢えているし、ややもするとそれから逃げがちなのです。ネットで自分の愚痴を吐露すれば、手軽に「いいね」がもらえるし、あっという間に傷を舐め合う空間に浸ることができます。

リアルな付き合いは疲れます。思うようにいきません。反面、うまくいったときの達成感は昔より得られるものが増大していると感じます。

僕の声かけが必要ないなら、距離をおいてくれてかまいません。それくらいに思っています。結局は、虎穴に入らずんば虎子を得ず、なのです。それは生徒と先生、若い人と自分くらいの中堅、中堅とベテラン、若手とベテランと、どの世代にも言えることです。

ただ、注意すべきは年長者は有利であるということ。これを自覚できないアドバイスは雑音です。

若い人は何でも受容すべきであるというのは、年長者の驕りであり、一番犯してはならない過ちです。

嫌われない勇気は、相手と誠心誠意向き合うことだと、僕は考えています。若い人は誰もがアドバイスを求めていません。そこの見極めも、同時に大切になってくると思います。

スギモト